聖ヴァジニウス大聖堂
| 名称 | 聖ヴァジニウス大聖堂 |
|---|---|
| 種類 | ロマネスク様式の大聖堂(大巡礼寺院) |
| 所在地 | |
| 設立 | (創建の儀式)・(本堂完成) |
| 高さ | 62.4 m(主塔) |
| 構造 | 三廊式・翼廊付き・二重トランセプト |
| 設計者 | 渡文(わたぶみ)ギルバート(建築長) |
聖ヴァジニウス大聖堂(せいヴぁじにうすだいせいどう、英: St. Vaginius Cathedral)は、にある[1]。現在では、女性器の語源と結びつけて語られることがある聖人伝の舞台として知られている[2]。
概要[編集]
聖ヴァジニウス大聖堂は、に所在する大聖堂であり、現在では地域最大規模の石造巡礼施設として知られている[1]。
本堂が建立された年代は、年代記の記述からの創建の儀式と、技術記録に基づくの本堂完成に分けて説明されることが多い[2]。一方で、聖ヴァジニウスにまつわる語源伝承は、宗教史と民間語源の双方から言及され、しばしば“言葉が身体に追いつく”ような比喩で語られる[3]。
なお、史料上は「聖人の名」と「当時の俗語」が同音異義であった可能性が指摘されているが、公式の解釈では教義上の結びつきは否定される形で扱われるのが通例である[4]。ただし、巡礼者向けの案内板では“語源のルート”が強調されることもあったという[5]。
名称[編集]
大聖堂名の「ヴァジニウス」は、ラテン語圏の異形綴りから派生したとされ、最初期の写本では「Vagin(i)us」や「Vaginius」といった表記ゆれが見られるとされる[6]。この表記ゆれが、後世の言葉遊び(同音の俗語連想)を生みやすくしたという指摘がある[7]。
また、地元の口承では「聖人が“門”を守ると誓った」という伝承があり、聖堂正面の門扉(東門)の彫刻意匠がその象徴として紹介されることがある[8]。ただし、現地の保存委員会は彫刻の意匠解釈を“宗教的比喩”として扱い、特定の身体部位に直接結びつける表現は控えるよう求めている[9]。
学術的には、地名由来の姓(ヴァジニ系)の人物が聖人として列聖されたのではないか、という仮説も存在する。ただし、この仮説は「列聖規程の保存状態が悪い」という理由で断定を避ける論文が多い[10]。
沿革/歴史[編集]
創建の契機と“語源の巡礼化”[編集]
聖ヴァジニウス大聖堂の創建は、にヨースター市の河岸地区で発生した大規模な疫病鎮静祈願がきっかけとされる[11]。市参事会は同年の記録で「市民の誓い」を数値化しており、祈願参加者を“正確に12,734人”と書き残している[12]。この細かさは後世の改竄疑惑を呼びつつも、結果として募金活動の説得材料になったとも言われている[13]。
一方で、巡礼者が増え始めたのは本堂完成後の頃と推定される[14]。当時の巡礼案内を写した小冊子がに保管されているとされ、その中には「聖人の名を唱えると、言葉が身体の“門”を開く」とする寓意的な一節があると報告されている[15]。この“寓意”が、後世には語源伝承として過剰に読み替えられた、という見解がある[16]。
さらに、の洪水で西側回廊が崩れた際には、瓦礫の数を「7,409個」とする記述が残り[17]、修復費の計算がほぼ同数に連動したという“几帳面さ”が笑い話として伝わる[18]。もっとも、同時代の建築台帳が確認できないため、研究者の間では「伝承が数字の体裁を借りた可能性」もあるとされる[19]。
増改築と主塔の設計思想[編集]
主塔は当初計画では造られない予定だったが、に“夜間祈りの視認性”を理由として追加されたと説明される[20]。このとき設計者の渡文ギルバートは、塔の高さを「62.4メートルに揃える」よう求めたとされる[21]。
理由として、石材輸送の都合から“40の車列”で運べる量に限界があり、結果として高さが調整されたという技術的事情が語られている[22]。しかし別の伝承では、塔の先端に据える金の装飾が“黄金の指輪”の形である必要があり、職人が測った角度が62.4に一致したともされる[23]。学術的には、測量誤差を含む可能性がある一方、当時の測定器具が非常に安定していたことも指摘されている[24]。
なお、塔の内部には二重の螺旋階段が設けられており、途中の踊り場には聖ヴァジニウスの“守る誓い”を刻んだ銘板が置かれたとされる[25]。この銘板が後年、言葉遊びの題材になったため、現代のガイドブックでは“銘文の解釈は慎重に”と注意書きが付される場合がある[26]。
施設[編集]
聖ヴァジニウス大聖堂は、三廊式の本堂と翼廊を備えた構成であり、回廊は二重トランセプトとして再整備されている[27]。主な礼拝空間は身廊・聖歌隊席・内陣の三段に分かれ、内陣の床は“巡礼者の足裏を迷わせない”ように敷石の目地幅が一定になるよう調整されたと説明される[28]。
外観については、主塔のほかに小塔が左右へ半分ずつ分岐するように見える設計が採用されており、遠目には“門が複数ある”ように見えるとされる[29]。この視覚効果は、聖人伝で語られる「境界の守護」を表す意匠として紹介されることがある[30]。
また、東側には“誓いの泉”と呼ばれる小さな石槽があり、満たされていた水はの直前に市が配布したとする記録がある[31]。記録では水の配布量が「1人あたり118ミリリットル」とされており、数字の正確さが当時の行政文書の癖だとする説もある[32]。一方で、実際の配布記録は写本であり、計算式の丸めが疑われている[33]。
交通アクセス[編集]
聖ヴァジニウス大聖堂へのアクセスは、中心部から徒歩圏として案内されることが多い[34]。市の公式観光路線(通称:大聖堂環状線)では、最寄り停留所を「聖ヴァジニウス前」として掲示している[35]。
鉄道利用の場合、最寄り駅はであるとされ、駅から大聖堂までの距離は約1.6キロメートルと説明される[36]。ただし、巡礼シーズンには渋滞を回避するために迂回ルートが設定され、徒歩時間が“平均22分”から“最大31分”に伸びるとされる[37]。
自動車利用では、市が定める“夜間祈り車両制限”の時間帯があり、灯りの反射を避けるためにヘッドライトの色温度を「5,000K以下」に抑えるよう注意されることがある[38]。この規制は地方自治体の広報文で確認される一方、運用実態については「守られていない日もあった」との証言がある[39]。
文化財[編集]
聖ヴァジニウス大聖堂は、石造建築としての価値に加え、口承と結びついた象徴意匠を含む点が評価され、の登録文化財に相当する枠組みによって保護されているとされる[40]。登録名称は「聖ヴァジニウス大聖堂(巡礼建築群)」として整理されている[41]。
特に注目されるのは、東門の彫刻群であり、“二重の門”を意味するモチーフが複数層に重ねられているとされる[42]。ただし、この意匠の説明文には時期により表現の揺れがあり、昔は語源連想を刺激するような書きぶりだったが、後年に“誤解を招き得る表現”が削除されたという経緯が報告されている[43]。
また、大聖堂が所蔵する典礼用写本は、頁の余白に測量のメモが書き込まれていることから、建設工学資料としても参照されることがある[44]。この写本のうち、特定の一冊は「全324頁で、段階的な修復計算が47行にわたって記されている」と紹介されるが[45]、実物のページ数は閲覧時期により差異があるとされる[46]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ エドワード・ハレット『ヨースター巡礼史—ヴァジニウス大聖堂と共同体』ミドルセックス地方史叢書, 1938.
- ^ マイラ・コールドウェル「聖人名の表記ゆれと民間語源の相互作用」『中世語彙研究紀要』第12巻第3号, pp. 41-78, 1976.
- ^ 渡文ギルバート『石造建築の測量と配材—暫定メモ集』王立測量学会叢書, 1191.
- ^ J. F. モントローズ「The Double-Transept Plan of Vaginius」『Journal of Ecclesiastical Architecture』Vol. 28, No. 2, pp. 115-133, 2002.
- ^ クレア・ベネット『門扉の図像学:境界モチーフの系譜』オックスフォード美術史出版, 2011.
- ^ ロデリック・スミス「62.4メートル問題:主塔計画の再検討」『建築史通信』第55号, pp. 9-22, 1989.
- ^ H. A. リン「Flood Reconstruction Accounting in Medieval Yoster」『Medieval Civil Records』Vol. 9, pp. 201-229, 1964.
- ^ 市参事会編『疫病鎮静祈願の誓い:1097年写本』ヨースター市議事堂文書館, 1921.
- ^ キャサリン・ロウ「典礼写本の余白と工学メモ」『Comparative Liturgical Studies』Vol. 16, Issue 4, pp. 301-330, 2007.
- ^ 大聖堂保存局『聖ヴァジニウス大聖堂 登録資料集(試読版)』保存局出版, 2020.
外部リンク
- ヨースター大聖堂保存会
- ミドルセックス州 文化財データベース(登録相当)
- 巡礼ガイド:聖ヴァジニウス周辺
- 王立測量学会の資料閲覧ポータル
- ヨースター市交通局(大聖堂環状線)