豆粒山枝豆寺
| 名称 | 豆粒山枝豆寺 |
|---|---|
| 種類 | 寺院(枝豆供養・香りの儀式施設) |
| 所在地 | 神奈川・足柄郡山北町(架空の山腹地区:枝豆平) |
| 設立 | 3年(1594年)に創建とされる |
| 高さ | 本堂棟 16.8メートル(風向計付き) |
| 構造 | 木造寄棟・銅板瓦風仕上げ(通称:豆銅葺き) |
| 設計者 | 渡辺精一郎(町普請の匠として記録) |
豆粒山枝豆寺(まめつぶさん えだまめじ、英: Mametsubu-yama Edamame Temple)は、にある豆粒山の枝豆を祀る寺院施設[1]。現在では、境内で行われる「豆粒吟醸(まめつぶぎんじょう)」と呼ばれる香りの儀式が名物とされている[1]。
概要[編集]
豆粒山枝豆寺は、に所在する、豆粒山(まめつぶさん)の枝豆を「穀霊」として祀る寺院施設である[2]。
現在では、寺の中心行事である香りの儀式「豆粒吟醸」が、夏の観光と信仰の両面において地域の回遊導線を形成しているとして知られている[2]。
一方で、豆粒山という山号が実在の地形と完全に一致しないという指摘もあり、境内案内図にのみ「豆粒峯(とうりゅうほう)」が描かれる点が、古参の参拝者の間では軽い話題として残っている[3]。
名称[編集]
豆粒山枝豆寺の名称は、山号「豆粒山」と、主供物である枝豆に由来するとされる[4]。
寺の掲示では「豆粒山は一粒一笑の粒度をもって、枝豆寺は青葉の香りを持って人を和ませる」という趣旨が説明されている[4]。
なお、創建伝承では、初代住職が「粒が揃うと願いも揃う」として、堂の柱の刻みを豆粒の直径(約6.2ミリメートル)に合わせたと語られているが、実測値は別記帳では約6.9ミリメートルとなっており、数字の揺れが資料批判の対象とされている[5]。
沿革/歴史[編集]
前史:豆粒山の勧進と「粒揃え」制度[編集]
豆粒山枝豆寺の成立は、期の山間部における勧進制度の再編に結び付けて語られることが多い[6]。
伝承によれば、当時の代官所が「収穫の良否を村ごとに数える」方式を導入し、穀物の粒度を統一指標にしたため、粒の揃った枝豆が“救済の証”として注目されたとされる[6]。
その結果、穀霊供養を行う場として寺が求められ、豆粒山枝豆寺の創建に繋がったという説明が、寺蔵の勧進帳に記されている[7]。
創建:文禄3年と本堂棟の逆算[編集]
豆粒山枝豆寺は3年(1594年)に建立されたとされる[8]。
寺では、建立の年を「本堂の棟木を架す日が旧暦六月二十五日で、当時の記録簿に月齢が15とある」ことから逆算した、と説明されている[8]。
また、本堂棟の高さ16.8メートルは、刻みの継手計算と通風の実験値を合わせた結果とされるが、同じ寺の別写しでは16.6メートルとされており、編集段階での“丸め”が疑われるとされる[9]。この揺れが、かえって史料の生々しさを生むとも指摘されている[9]。
近世以後:豆粒吟醸と観光化[編集]
近世には、枝豆の発酵香を模した香料(通称:豆粒香)が講じられ、これを舌ではなく鼻で味わう儀式として「豆粒吟醸」が発達したとされる[10]。
現在では、この儀式が観光客向けの体験メニュー化され、年間来訪者数は約9万8200人(2019年時点)と寺の案内板に掲げられている[11]。
ただし、観光協会側の集計では同年の数値が9万5400人となっており、数え方(予約制体験と自由参拝の扱い)が異なる可能性が指摘されている[11]。
施設[編集]
豆粒山枝豆寺には、本堂棟、香りの回廊、豆銅葺きの鐘楼(しゅろう)、そして「粒相(つぶあい)井戸」と呼ばれる地下水施設がある[12]。
本堂棟は木造寄棟であり、豆銅葺きと呼ばれる銅板風の仕上げが雨音を柔らかくするとの説明がされている[12]。
香りの回廊は全長37.5メートルで、回廊の柱間が「枝豆の鞘がはじける速度」を模した間隔(33センチメートルと22センチメートルの混合)で作られているとされる[13]。なお、柱の間隔は現地測定の報告書では一定せず、改修の影響が疑われている[13]。
豆粒吟醸のための調香室は、外気を遮るために壁厚が18センチメートルとされ、火災対策として天井裏に竹炭の換気槽が設けられていると記録されている[14]。
交通アクセス[編集]
豆粒山枝豆寺は、方面から自動車でアクセスする場合、「松田(架空駅)」から枝豆平行きの臨時バスに乗り換える案内がされている[15]。
公共交通では、山北町内の周遊路線として「枝豆循環」(季節運行)が組まれているとされ、寺の最寄り停留所は「豆粒山入口」である[15]。
寺の公式案内では徒歩所要が「約19分(急勾配回避で21分)」とされるが、現地案内板には「約17分」とも併記されており、雨天時の所要を短く見せる意図があったのではないかという冗談が、地元の記念撮影スポットの一部になっている[16]。
文化財[編集]
豆粒山枝豆寺では、建造物としての指定に加え、儀式そのものが文化資源として扱われている[17]。
本堂棟の梁(はり)は「粒相梁(つぶあいばり)」と呼ばれ、柱材の年輪の数を“豆の収穫周期に合わせる”という独自の解釈で紹介されている[17]。
また、寺の「豆粒吟醸」の作法は、町の教育委員会が主催する実演会で継承され、香りの手順書(紙幅5.3メートル相当の帯状巻物)が保存されているとしている[18]。
ただし、手順書の原本は公開されず、閲覧用の複製は2系統(現行版と旧版)に分かれるとされ、内容の差異が“吟醸の味”の違いとして語られることがある[18]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『豆銅葺きの改修記』枝豆平書房, 1642年.
- ^ 高橋涼一『穀霊供養と粒揃え制度』関東史料研究会, 2014年.
- ^ 山北町教育委員会『香りの儀礼—豆粒吟醸の継承—』山北町出版部, 2020年.
- ^ Mametsubu S. Kurogane, "Aromatic Fermentation Rituals in Mountain Temples", Journal of Kabuki-Adjacent Folklore, Vol. 12, No. 2, pp. 41-58.
- ^ 佐藤千秋『豆粒山の地図が語るもの』山間文化学叢書, 第3巻第1号, pp. 77-96, 1989年.
- ^ The Edamame Pilgrimage Society, "Temples of the Bean Grain: Counting Practices and Relief Measures", Vol. 5, pp. 101-130.
- ^ 寺蔵史料調査班『勧進帳(控え)翻刻集』豆粒山枝豆寺管理所, 1978年.
- ^ 小島清隆『香料行政と寺院の関係』日本香気史学会『香史研究』, 第18巻第4号, pp. 210-233, 2006年.
- ^ 中村直樹『旧暦月齢による建立逆算の実務』天文暦算研究所, pp. 1-19, 1931年.
- ^ 架空文献『豆粒山峯の復元測量』神奈川測量協会, 2011年(書名の表記揺れがある).
外部リンク
- 豆粒山枝豆寺 公式案内(伝承アーカイブ)
- 足柄郡山北町 観光回遊マップ
- 豆粒吟醸 実演会 申込ページ(季節版)
- 粒相梁 保存会(測定ノート公開)
- 枝豆循環 運行情報(臨時)