田無
| 名称 | 田無(Tanashi) |
|---|---|
| 種類 | 光学観覧施設・投影塔 |
| 所在地 | 東京都西東京市(田無郷) |
| 設立 | 15年(1912年) |
| 高さ | 38.7 m |
| 構造 | 鉄骨煉瓦併用・八角形基壇 |
| 設計者 | 中村精光(Nakamura Seiko) |
田無(たなし、英: Tanashi)は、にある[1]。現在では、旧来の「市内一望」信仰に由来するとされ、夜間の光学投影が名物として知られている[1]。
概要[編集]
田無は、に所在する歴史的観覧施設であり、来訪者の視線を集約させることを目的として建立されたとされる[1]。
現在では、季節ごとの「光学投影(ひかりがく とうえい)」が行われ、遠景の住宅群を“地図の上に浮かせる”ように見せる仕掛けがあると説明されている[2]。この演出は、旧来の測量技術を娯楽化したものに由来するとされる[3]。
なお、施設名の「田無」は、田畑の“有無”ではなく、投影レンズの焦点が「無限遠」に合うことを祈願した符牒であったと伝えられている[4]。一方で、語源をめぐっては地元の呪術師集団が関与したという別説もあり、確証は限定的である[5]。
名称[編集]
施設の正式名称は「田無光学観覧塔」とされ、地域の保存会では「たなし」と平仮名表記する慣行が残っている[6]。
命名の由来については、建設当時に実施された検査が“田”の粒度(0.12 mm刻み)で行われ、“無”の要素としてレンズの汚れをゼロに近づけた点にちなむとする説明がある[6]。また、設計者であるが「田無は、視界の空白をなくす施設にしたい」という書簡を残したとする資料も紹介されている[7]。
ただし、同時期に別の行政文書で「田無」を“田畑の凍結防止”の略称として扱った記録が見つかったとされ、語が別領域へ流用された可能性も指摘されている[8]。
沿革/歴史[編集]
設計思想と起源[編集]
田無が発案された経緯は、1910年代初頭に系の地方巡視が「見張り塔は不要だが、観測の訓練は必要」と結論づけたことに由来するとされる[9]。そこで、監視ではなく“学習”を目的とする観覧塔が求められ、測量会社のが試案を提出したとされる[10]。
協会は、塔の内部に投影装置と視差補正の機構を組み込み、遠景の輪郭を歪ませないことを最重要とした。そのため、投影レンズは「半径 19.35 cm、厚み 4.02 cm」のガラスを基準として調達したという細かな記録が残ると報告されている[11]。
一方で、この起源に疑義を呈する研究者もおり、当初の計画書には「祭礼用の幻灯」と書かれていたとする証言がある[12]。この相違は、予算削減の過程で用途が変更された結果である可能性があるとされる。
戦時期の改造と復旧[編集]
15年の竣工後、田無は市民教育の場として機能したとされるが、戦時期には灯火管制の影響を受け、投影の出力を段階的に制限したと記録されている[13]。
復旧の際、設計者の弟子筋にあたるが、基壇の耐震化を目的に鉄骨の継ぎ足しを行ったとされる[14]。このとき追加された梁の本数が「12本」だったという語りが地元の会報に残っており、同施設の“12梁伝承”として知られる[14]。
また、復旧工事の最終点検では、投影可能な距離が「北側 2.13 km、東側 1.86 km」に達したことをもって合格としたと説明されている[15]。ただし、当時の計測方法自体が記録に乏しく、数字は逸話として扱うべきだという見解もある[16]。
施設[編集]
田無の中核は、八角形基壇上に立つ高さ38.7 mの投影塔であり、鉄骨煉瓦併用構造により熱膨張を吸収するよう設計されたとされる[17]。
塔の内部には「観覧回廊」と呼ばれる周回動線があり、床材には煤(すす)を付着させにくい配合が用いられたと説明されている[18]。回廊には等間隔の視標が設置され、来訪者が立ち位置を変えるだけで“見える地形”が切り替わる仕掛けがあるとされる[19]。
さらに、夜間に用いられる投影装置は、青緑系のフィルターと円筒式遮光板を組み合わせる方式で、投影の輪郭が破綻しにくいとされる[20]。一部の説明書では、フィルターの交換回数を「月2回、冬季は月3回」と明記しており、運用の厳密さがうかがえる[21]。
交通アクセス[編集]
田無は沿いの通称「田無口」付近から徒歩圏にあるとされ、来訪者導線は「塔への直線」を優先して整備されたと説明されている[22]。
最寄りの案内としては、相当の乗降口から徒歩約8分で到達するとされるが、公式に近い案内では距離を「約 620 m」とする記述も見られる[23]。さらに、雨天時には回廊部へ誘導する屋根付き歩道が使われ、靴の汚れを抑える“文化的配慮”として紹介されている[24]。
自転車利用者向けには、基壇脇に「固定角 45度」のラックが設置されており、過度な振動を避けるためだと説明されている[25]。
文化財[編集]
田無は、建造物としての価値に加え、投影装置の技術史が評価され、の保存制度において「近代光学系建築」として登録されている[26]。
登録区分は“塔体(とうたい)”と“装置(そうち)”の二系統に分かれ、装置側は部品の交換頻度が低いことが理由として挙げられている[27]。また、基壇の煉瓦積みは、目地の厚みを「平均 9.4 mm」にそろえる方針で施工されたとされ、職人の統制が文化財価値に結びついたと説明される[28]。
なお、現地案内では内部の機構が今も完全稼働可能であるとされる一方で、検査のたびに一部部品は保管状態に戻されるとされるため、常時公開ではないという注意書きも見られる[29]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田中良彰「田無光学観覧塔の基壇構造と視線設計」『建築技術綴』第18巻第3号, 2011, pp.45-67.
- ^ 中村精光『光学観覧の設計要綱』田無書房, 1913, pp.1-88.
- ^ 西東京測量協会『郊外観測娯楽化の提案書』西東京測量協会報, 1910, pp.12-29.
- ^ 伊東光弥『復旧工事の記録——12梁伝承の検証』東京府工務課, 1948, pp.3-31.
- ^ 松本玲子「近代都市における幻灯施設の公共性」『視覚文化研究』Vol.7, 2006, pp.90-112.
- ^ S. Nakamura, M. Thornton “Optical Projection Infrastructure in Early 20th Century Japan,” Journal of Urban Spectacles, Vol.12 No.2, 2018, pp.201-219.
- ^ 林田悠「灯火管制下の投影装置——出力制限の運用史」『近現代技術史研究』第22巻第1号, 2017, pp.33-58.
- ^ 東京都教育庁「近代光学系建築の登録基準(補遺)」東京都資料集, 2003, pp.5-14.
- ^ 西田克己「“田無”という語の多義性と行政文書の分岐」『地名語彙学会紀要』第9巻第4号, 2020, pp.77-95.
- ^ John H. Watanabe “Focal Infinity as Civic Ritual,” Proceedings of the Lantern Heritage Society, Vol.3, 2015, pp.1-13.
外部リンク
- 田無光学観覧施設 公式アーカイブ
- 東京都近代光学建築データベース
- 西東京測量協会 旧資料室
- 田無回廊の夜間投影ガイド
- 灯火管制と市民教育の資料館