肉竹
| 名称 | 肉竹 |
|---|---|
| 読み | にくたけ |
| 別名 | 竹肉法、肉筒、樽外し |
| 分野 | 食文化、保存食、民俗工学 |
| 起源 | 大正末期の京都府 |
| 主材料 | 竹、豚肉、鴨肉、塩、米糠 |
| 普及期 | 昭和10年代から昭和40年代 |
| 代表的産地 | 京都、奈良、秋田、鹿児島 |
| 保全団体 | 日本肉竹協会 |
肉竹(にくたけ、英: Nikutake)は、で発達したとされる、竹材と畜肉加工の工程を組み合わせた保存食・調理法の総称である。末期にの料理研究家たちが、竹の繊維質が肉の旨味を吸い上げる現象に着目して体系化したとされている[1]。
概要[編集]
肉竹は、竹の節間に肉を詰め、焙焼・熟成・燻煙のいずれか、またはそれらを併用して風味を安定させる技法群を指す名称である。料理としては一見素朴であるが、実際には、、の三要素が絡み合う複合的な文化である。
一般には「竹筒料理の一種」と誤解されがちであるが、肉竹の核心は筒にすることではなく、竹皮の油分と節の気密性を利用して肉の内部温度を緩やかに均一化する点にあるとされる。なお、初期の研究報告では肉ではなくの内臓を用いた例が多く、後年になってとが標準化した[2]。
歴史[編集]
起源と命名[編集]
通説では、にの料理改良団体「東山食養会」に所属していたが、冬季の保存食として竹筒に塩漬け肉を入れたところ、偶然に竹の香気が肉の脂を穏やかに分解したことから着想を得たとされる。命名は「肉を竹に入れる」ではなく「竹が肉を育てる」に由来するという、やや詩的な説明が昭和初期の会報に見えるが、同時期の別資料では単に会長が短く書きたかっただけとも記されている[3]。
この分野の発展には、の寺院林で竹を管理していた林務技師の役割が大きかった。松浦は節間の太さと肉の重量の相関を七年間にわたり記録し、平均節間が14.6センチ未満の竹では「肉の落ち着き」が不十分になると報告したが、どのように測定したかは記録が曖昧である。
昭和期の普及[編集]
10年代に入ると、肉竹は軍需転用可能な保存食として注目され、の外郭団体が簡易規格の策定を進めた。特にの「竹筒畜肉標準試験」では、直径9.8センチ前後の孟宗竹が最も歩留まりが高いとされ、試験ロット312本のうち271本が「可」、19本が「再燻」、22本が「要乾燥」と判定されたという。
一方で、都市部では料亭向けの高級品として再解釈され、の周辺では「肉竹一口膳」が流行した。これは竹を輪切りにして肉を詰めた後、客の前で封を割る演出が売りであり、当時の食通雑誌は「開封時に最初に立つ香りで店の格が分かる」と書き立てた。
戦後の再編[編集]
後、肉竹は一時「古臭い地方食」と見なされて衰退したが、のを契機に外国人観光客向けの実演料理として再浮上した。特にの旅館街では、英語表記を誤って「Meat Bamboo」とした看板が逆に話題となり、これを機に海外では竹を器とする料理文化の総称として認知されたとされる。
ただし、この国際化の過程で、肉竹の定義は大きく揺れた。ある研究者は「竹の香りが移った肉料理」であればよいとし、別の研究者は「竹材に包まれていなければならない」と主張したため、はに妥協案として「少なくとも一回、肉が竹に尊敬される工程を経ること」という独自基準を採択した。
製法[編集]
標準的な肉竹は、まず若竹の節を一つだけ残して内腔を整え、塩、酒、白味噌、粗挽き胡椒で下味をつけた肉を詰める工程から始まる。次に竹口を米糠と昆布で封じ、低温で6〜8時間蒸し上げ、最後に表面だけを強火で炙るのが基本形とされる。
もっとも、地域によって差異は大きく、では寒締めのを用いて雪室で21日間熟成させる方式があり、では黒竹を用いて甘辛い味噌だれと合わせる方式が有名である。いずれも「竹の節で味を止める」という発想が共通しており、料理人の間では「肉の最後の逃げ道を塞ぐ」と表現されることがある[4]。
社会的影響[編集]
肉竹は一部地域で林業政策にも影響を及ぼした。昭和30年代には、食用需要の増加により、建材向けのと食材向けの「調理真竹」を区別する自治体条例が検討され、竹林組合の会合では毎年の伐採本数が12%増えるたびに必ず「香り税」導入の是非が議論されたとされる。
また、学校教育にも入り込み、の補助教材として「肉竹模型」が配布された時期がある。模型は木製であったが、子どもが封を開ける動作を学べるとして好評だったという。なお、文部省の調査では、肉竹を扱った授業を受けた中学生は受けていない生徒に比べ、竹細工への関心が18.4%高かったと報告されているが、調査方法にはやや不明瞭な点がある[5]。
批判と論争[編集]
肉竹に対する批判として最も有名なのは、「竹の香りを肉の個性と誤認している」とするの主張である。特に、の料理研究会で行われた公開討論では、肉竹擁護派のと反対派のが、竹の節の形状が旨味に与える影響を巡って47分にわたり応酬し、会場の温湿度が上がったため途中で窓が開けられたという。
また、近年では竹材の衛生管理をめぐる指摘が増え、の一部では「食品としての竹と装飾用の竹を分けて表示すべき」とする指導例が出た。これに対し肉竹側は、竹は料理人にとって「容器ではなく共同調理者」であると反論し、むしろ文化的価値を高めていると主張している。
主要な流派[編集]
京都流[編集]
最古参の流派であり、薄味と香りの抜けを重視する。竹の若さを尊ぶあまり、開封前に一昼夜かけて祈念する店もあるとされ、観光客向けの演出として定着した。
東北流[編集]
寒冷地の保存技術を背景に発達した流派で、味噌と燻煙を強く効かせる。雪室を活用するため、出来上がりに最長で33日を要することがあり、待ち時間そのものが料理の一部と見なされる。
南九州流[編集]
黒竹と甘口醤油を基調とし、肉の脂を重く受け止める仕立てである。地元では祝い事の定番とされ、竹が割れる音で年長者の機嫌が分かるという俗信も残る。
現代の展開[編集]
以降、肉竹は一時的に郷土料理ブームの文脈で再評価されたが、同時に「写真映えするのに食べると地味」という理由で若年層からは敬遠される場面もあった。これを受けて、にはの創作和食店が、竹を透明樹脂でコーティングした「新肉竹」を発売し、伝統保護と衛生表示の両立を図った。
近年ではが「年一回の竹見回り」を推奨し、全国で推定1,240人の愛好家が登録されている。協会誌『肉竹通信』によれば、会員の約3割は実際に肉竹を調理せず、竹の状態を見ることだけを楽しんでいるというが、これはむしろ文化の成熟を示すものと解釈されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『竹材と畜肉の相互浸透に関する試論』東山食養会会報 第12巻第4号, 1931, pp. 14-29.
- ^ 松浦義一『節間寸法と肉味保持の統計的研究』奈良林務研究紀要 Vol. 7, 1934, pp. 101-118.
- ^ 小野寺香苗『肉竹文化の成立と観光化』京都食文化大学出版会, 1968.
- ^ 平岡寛『竹は肉を語るか』大阪民俗工学叢書, 1982, pp. 55-73.
- ^ Margaret A. Thornton, Meat and Bamboo: Culinary Sealing Practices in East Asia, Journal of Applied Ethnogastronomy Vol. 19, No. 2, 1976, pp. 201-224.
- ^ S. Kobayashi and A. Hoshina, 'The Thermal Stability of Nikutake Enclosures', Proceedings of the Kyoto Food Engineering Society Vol. 3, 1958, pp. 9-41.
- ^ 中村良平『竹と肉のあいだ』日本食文化研究所, 1999, pp. 88-96.
- ^ 河合みどり『肉竹模型の教育効果』文部教育資料集 第41号, 1970, pp. 3-17.
- ^ Yoshio Matsuda, 'A Note on the 14.6 cm Rule', Bulletin of the Bamboo Meat Association Vol. 1, 1973, pp. 1-6.
- ^ 日本肉竹協会編『肉竹年鑑 2022』日本肉竹協会出版局, 2022.
外部リンク
- 日本肉竹協会
- 京都食文化資料館
- 竹林保存研究センター
- 肉竹通信デジタルアーカイブ
- 東山食養会史料室