肩が赤い
| 名称 | 肩が赤い |
|---|---|
| 別名 | 赤肩現象、ショルダー・ルージュ |
| 初出 | 1918年頃(諸説あり) |
| 発祥地 | 東京市神田区周辺 |
| 分類 | 視覚的誤認、民俗的身体記号 |
| 提唱者 | 長谷川志乃、アルフレッド・M・ケイン |
| 主な研究機関 | 帝都色彩研究所 |
| 関連行政 | 内務省衛生局 旧色斑調査班 |
| 影響 | 流行病報道、舞台衣装、労働安全標識 |
| 備考 | 寒冷時に再現性が高いと報告された |
肩が赤い(かたがあかい、英: Red Shoulder)は、主にや、あるいはの表面に赤色の偏在が生じる現象を指す語である。20世紀前半ので、肩部の染料退色と政治的な識別記号が偶然に結びついたことを契機に広まったとされる[1]。
概要[編集]
肩が赤いとは、肩部のみが不自然に赤みを帯びて見える、あるいは実際に赤く変色する状態を指す俗称である。一般には衣服の摩擦、日焼け、染料移染などと説明されるが、の都市民俗では、これを「肩にだけ社会的な事情が沈殿した状態」と解釈する流儀があった。
この語が百科事典的に定着したのは、が発行した小冊子『肩部色調異常報告書』が広く流通したためとされる[2]。同書では、肩の赤みを単なる皮膚現象ではなく、が交差する都市現象として扱っており、後年の研究者は「日本で最も真面目に書かれた不真面目な症例集」であったと評している。
歴史[編集]
神田の裁縫学校と最初の記録[編集]
最初期の記録は、の裁縫学校に通っていた長谷川志乃の手記に見られる。彼女は、冬季の通学中に「肩だけが赤く、他は白い」同級生が増えたことを不審に思い、教室内で赤肩比率を数え上げたという。記録上は37人中11人が該当し、うち9人が同じ路線の市電を利用していたとされる[要出典]。
この現象は当初、石炭ストーブの輻射熱によるものと考えられたが、志乃は「背中ではなく肩に現れる点」が決定的に異なると主張した。彼女の仮説は、背負い紐と襟元の摩擦が血流を刺激するという半ば正しい説明と、肩に「責任が集まると赤くなる」という半ば寓話的な説明が混在したものであった。
帝都色彩研究所の介入[編集]
の関東大震災後、復興局の一角に設けられたは、焼け残った染料問屋街の調査中に「肩が赤い」被験者の異常な多さを報告した。研究所主任のアルフレッド・M・ケインは、英国式の色彩分類法を持ち込み、赤肩を「第4類・局所熱感性偏色」として整理した[3]。
ケインは特に、周辺で発生した「乗車後25分以内に肩部が紅潮する事例」に注目した。彼によれば、これは満員車内での押圧と、戦後の制服着用率上昇が重なった結果であり、最悪の場合は「肩章だけが先に市民化する」と記している。なお、この一節は後に学生新聞で繰り返し引用され、かなり誤った文脈で流布した。
標識としての定着[編集]
初期には、肩の赤みが単なる体質ではなく、ある種の所属表示として解釈される事例が増えた。とくにの倉庫労働者組合では、夏場の荷揚げ作業に従事した者が肩だけ日焼けして赤くなることから、親方筋がそれを「勤続三年未満の証」として半ば冗談で扱ったという。
この慣習はやがて、労働災害防止の講習会で実務化され、赤肩は「過積載の警告」と並ぶ視覚的注意喚起に転用された。だが、配布された説明図の肩部が妙に美化されていたため、若い労働者の間ではむしろ「赤肩は名誉である」という逆説的な解釈が広まった。
分類[編集]
肩が赤い現象は、後年の民間分類では大きく3種に分けられる。第一に、物理的要因による「接触型赤肩」である。これは衣服の肩線、鞄の紐、肩掛け式の工具によって生じるもので、もっとも再現性が高い。
第二に、心理的緊張に伴う「会議型赤肩」である。これはの調査票にのみ登場する概念で、重要会議の前後に肩の上部だけが赤らむ現象をいう。第三に、演出目的で意図的に赤くする「舞台型赤肩」であり、の小劇場や戦前のレビューで頻繁に用いられた。
なお、に発表された『赤肩色差規格J-12』では、赤みの強さを0.3ルージュ単位で測定するとされたが、測定器がほぼ手作業の木箱であったため、実用面では「経験のある係員の機嫌」に左右されることが多かった。
社会的影響[編集]
肩が赤いという表現は、身体の状態を示す言葉としてだけでなく、都市生活の比喩としても定着した。新聞では「赤肩のサラリーマン」という見出しが見られ、これは満員電車と書類仕事により、肩だけが社会に先に消耗している人物像を指した。
また、には、婦人雑誌が「赤肩を防ぐための肩当て」を特集し、売れ残りの毛糸を再利用した肩パッドが全国的に流行した。ところが、肩を守るはずの肩当てが逆に肩を赤く見せるデザインであったため、「防護と装飾の境界が曖昧になる」との批判が寄せられた。
さらに、系の保健教育では、子どもがランドセルを片側で持つ癖を矯正する教材として採用されたが、実際には「赤肩になったら学業が順調」という迷信が生まれ、児童の間でわざと赤肩を作る競争が起きた。これを受けて、一部の学校では肩の赤さではなく左右均衡を評価する「白肩週間」が導入されたという。
批判と論争[編集]
肩が赤い現象をめぐっては、医学的説明を重視する立場と、民俗学的・象徴論的説明を重視する立場が長く対立した。前者は単なる皮膚刺激であると主張し、後者は「肩は役割を担う部位であり、赤みは負担の可視化である」と反論した。
とりわけ論争となったのは、にで行われた公開討論会「肩はなぜ赤くなるのか」である。ここでは皮膚科医の小川隆一が「肩部の血流増加は一般的な現象」と述べたのに対し、民俗研究者の村瀬琴江は「ではなぜ左肩ばかり赤い家系があるのか」と応酬し、会場が一時騒然となった。後にこの家系論は統計的裏付けに乏しいとして退けられたが、地方紙では半世紀にわたり引用され続けた。
一方で、とされたのが、の大阪府立健康館で実施された「赤肩率と昇進速度の相関調査」である。報告書では強い相関が示唆されたが、対象が全員同じ制服業務に従事していたため、現在では参考値とみなされている。
研究[編集]
色彩計測と肩章文化[編集]
戦後の研究では、肩が赤い現象は色彩科学と軍装史の交点として扱われた。の工学部附属研究班は、肩章の赤色が持つ視認性と心理的圧迫感の双方を測定し、赤肩が「他者に見られている」という感覚を強めると報告した[4]。
この報告の図版には、肩だけを赤く染めた模型が17体並んでいたが、うち3体はなぜか右膝も赤かったため、後に講義資料としては使われなくなった。
海外比較研究[編集]
には、、の路面電車利用者を対象に、肩部の赤みを比較する国際調査が行われた。結果として、湿度の高い都市ほど赤肩申告率が高いことが示されたが、調査員が全員同じトレンチコートを着ていたため、測定値に偏りがあると後に指摘された。
なお、ケインの著作を英訳した『The Sociology of the Red Shoulder』はの書誌に載ったものの、実物は図書館の目録カードでしか確認されておらず、幻の書物として扱われることもある。
大衆文化[編集]
後半からにかけて、肩が赤いは舞台用語として再解釈され、歌謡ショーやテレビドラマで頻出した。特に『赤肩の男』と題する深夜ドラマでは、主人公の肩だけが毎回赤くなることで翌週の展開が予告されるという、極めて実験的な演出が採用された。
また、の喫茶店では「赤肩ブレンド」という飲料名が流行したが、これはコーヒーの上にシナモンをかけただけであり、客の肩が赤くなるわけではなかった。それでも常連客は、カウンター席で肩を並べる行為そのものを「赤肩を共有する」と呼んだという。
現代では、SNS上で肩に赤い跡がついた写真を投稿する文化があり、これを「肩赤り」と呼ぶ派生語も存在する。ただし、若年層の用法は本来の民俗的背景から離れており、研究者の間では「意味の軽量化」が進んだ事例として観察されている。
脚注[編集]
[1] 長谷川志乃『肩部色調の社会史』神田文化社、1931年、pp. 14-29。 [2] 帝都色彩研究所 編『肩部色調異常報告書』復興局印刷課、1924年、pp. 3-11。 [3] Alfred M. Kane, “Notes on Localized Shoulder Rubescence,” Journal of Teito Chromatics, Vol. 2, No. 1, 1925, pp. 41-58. [4] 東京大学工学部附属色彩工学研究班『肩章と視認性に関する実験ノート』東京大学出版会、1958年、pp. 66-79. [5] 村瀬琴江『肩の左右差と家系伝承』京都民俗叢書、1962年、pp. 102-108. [6] Robert H. Ellis, “The Red Shoulder as Urban Fatigue Marker,” Transactions of the British Society of Applied Folklore, Vol. 11, No. 3, 1971, pp. 201-219. [7] 小川隆一『皮膚反応の都市化』南山堂、1979年、pp. 88-95. [8] “Proceedings of the First International Shoulder Rouge Symposium,” Royal Institute of Civic Color Studies, 1978, pp. 1-34. [9] 長谷川志乃・編集部『赤肩用語集』帝都色彩研究所、1932年、pp. 5-8. [10] Margaret L. Fenwick, “Shoulder Tone and Social Ascent,” Cambridge Urban Review, Vol. 9, No. 2, 1984, pp. 77-90.
関連項目[編集]
脚注
- ^ 長谷川志乃『肩部色調の社会史』神田文化社, 1931.
- ^ 帝都色彩研究所 編『肩部色調異常報告書』復興局印刷課, 1924.
- ^ Alfred M. Kane, "Notes on Localized Shoulder Rubescence," Journal of Teito Chromatics, Vol. 2, No. 1, 1925, pp. 41-58.
- ^ 東京大学工学部附属色彩工学研究班『肩章と視認性に関する実験ノート』東京大学出版会, 1958.
- ^ 村瀬琴江『肩の左右差と家系伝承』京都民俗叢書, 1962.
- ^ Robert H. Ellis, "The Red Shoulder as Urban Fatigue Marker," Transactions of the British Society of Applied Folklore, Vol. 11, No. 3, 1971, pp. 201-219.
- ^ 小川隆一『皮膚反応の都市化』南山堂, 1979.
- ^ Margaret L. Fenwick, "Shoulder Tone and Social Ascent," Cambridge Urban Review, Vol. 9, No. 2, 1984, pp. 77-90.
- ^ "Proceedings of the First International Shoulder Rouge Symposium," Royal Institute of Civic Color Studies, 1978.
- ^ 長谷川志乃・編集部『赤肩用語集』帝都色彩研究所, 1932.
外部リンク
- 帝都色彩研究所アーカイブ
- 肩部色調史データベース
- 日本赤肩学会紀要
- 都市民俗カラーラボ
- 肩章文化資料館