背徳の瞳〜Eyes of Venus〜
| アーティスト | V2(小室哲哉×YOSHIKI) |
|---|---|
| 収録形態 | スペシャル・シングル/ライブ投下音源 |
| リリース年 | (公式発表では)1999年 |
| 作詞 | 私署名クレジット:『白紙の契約』名義 |
| 作曲・編曲 | 小室哲哉(技術設計)+YOSHIKI(構造監修) |
| ジャンル(便宜) | 超長尺イントロ型ポップ・ロック |
| 特徴 | イントロが約11分、リクエスト番組では放送困難 |
| 公式略称 | Eyes of Venus |
は、とによるスペシャルユニットの楽曲である。イントロが極端に長大であることでも知られ、ラジオのリクエスト番組では滅多にオンエアされないとされる[1]。
概要[編集]
は、感情の入口を“先に殺してから点火する”という制作思想に基づく楽曲であるとされる。とくにイントロが長大であり、テレビのテロップでは秒単位の視認性が足りず、ラジオではジングルが割り込むたびにテンポが崩れるため、側が敬遠した時期があったとされる[2]。
制作は、音響設計をが、音楽構造の“背骨”をが担当する分業体制として語られている。なおV2の活動方針は、楽曲を「聴かせる」のではなく「投入する」ことを主眼としており、結果としてイントロのみで観客の呼吸を同期させる仕組みが採用されたとされる[3]。
制作背景[編集]
“超長尺イントロ”の起源とされる物語[編集]
V2の内部資料では、イントロの長さは「約11分06秒」を基準に設計されたと記録されている(ただし最終ミックスは回ごとに±18フレームの揺れがあるとされる)。この数字は、が“人が退屈と判定する境界”を測定するために、スタジオの床に埋め込んだ圧力センサーのデータから逆算したという逸話で説明された[4]。
一方、は“瞳”の比喩を、視覚ではなく残響(リバーブ)の立ち上がり時間に対応させたとされる。特に「ヴィーナス」の音価について、金属的な高域は封じ、低域の立ち上がりを先に鳴らす構成が“背徳”の感覚を生むと主張されたとされる[5]。
関係者と現場の工程(やたら具体的)[編集]
制作現場では、録音開始から最初のボーカル仮録りまでを「D-113工程」と呼び、開始時刻をのあるスタジオでは毎回午後2時13分に固定していたという。さらにイントロの拍子は4/4だが、譜割り上は“影拍”が混在し、終盤に整列することで錯覚を残す設計になっているとされる[6]。
ミキシングでは、圧縮率を基準値のまま通すと“上品”になりすぎるため、のカーブにあえて局所的な欠損を作ったとされる。その欠損帯は中心周波数が2.7kHz前後で、欠損の幅が0.8オクターブ、戻し時間が64ミリ秒と記述されたと報じられた[7]。
楽曲の構造と“背徳”の演出[編集]
は、一般的な曲のように「サビへ到達すること」を目的化しない設計になっているとされる。まずイントロ前半では、聴取者の脳内に“到達予期”が生まれる寸前まで引き延ばされ、後半でそれを破るようにコード進行が入れ替わる、とによる分析が存在する[8]。
またイントロは、実時間で11分を超える長さでありながら、リズムマップは毎小節でわずかに変形される。このため、の自動編成機能(キュー投入)に依存すると、ジングルの長さが1秒でもズレた瞬間に“瞳が映り込む”タイミングが崩れるとされる。放送局の編成会議では「曲の怪我(かすれ)はスポンサーの問題」として処理され、結果的にオンエア頻度が下がったと語られている[9]。
加えて、歌唱パートに入る直前で低域が一度だけ消える“無音の誓約”が挿入されるとされる。この無音は完全な無音ではなく、ノイズフロアが—54dBで残るよう設計されているとも言われる。さらにそのノイズが耳障りではなく“視線”として感じられるよう、ノイズの周波数分布を前半と後半で切り替えた、という説明がV2の関係者から出回った[10]。
社会的影響と波及(嘘っぽくリアルに)[編集]
ラジオ運用とリクエスト文化の変質[編集]
長大イントロの影響は放送技術に留まらなかったとされる。1999年当時、に類する“全国ネット系のリクエスト枠”では、リクエスト曲の長さを事前に登録する運用が広まりつつあった。そこでは「登録上限を超える可能性がある曲」として分類され、リクエスト欄に残る“空白”が一種のファン心理を刺激したとされる[11]。
その空白は“待たせることで価値が上がる”という俗説を生み、後年の番組ではイントロを短縮する処理ではなく、むしろジングルを減らして“長いまま流す”方向が試行されたと報告されている。ただし実際には、待機時間が延びるほど進行スタッフの疲労が増え、結果的に別の新曲が落選するという逆効果も起きたとされる[12]。
音楽プロデュースへの“超融合”の模倣[編集]
V2の制作思想は、のちの“2人分業モデル”に影響を与えたとされる。特に、編曲担当が技術設計を担い、もう一方が構造監修を担うという分業は、2000年代初頭のレーベル間で流行語のように扱われた。これにより、イントロの長さが単なる飾りではなく「感情の契約」として扱われるようになった、という指摘がある[13]。
またファッション業界でも、歌詞に出てくる比喩(瞳・契約・ヴィーナス)が“視線を奪う装飾”として解釈され、ショーの開演前BGMとしてイントロだけ再生する演出が試されたとされる。とはいえ、観客の平均滞在時間が減少したという統計が内部で共有され、「背徳の瞳は、観客を連れていくのではなく、観客を置いていく」という批判も同時に生まれたとされる[14]。
批判と論争[編集]
批判としては、まず「イントロが長すぎるため、商業放送の公平性を損なう」という論が挙げられている。リクエストしたにもかかわらず放送されない確率が上がるため、ファンの不満が蓄積したという[15]。
一方で擁護論もあり、「長さは欠点ではなく、聴取の主権を奪わないための儀式だ」とする声がある。とくにの一部は、イントロの冗長性が“選択の余地”を生むため、短縮よりも誠実だと主張したとされる。ただし、放送実務上は短縮して流す方針になりがちで、結果的に“原曲の背徳”が薄まるというジレンマが語られた[16]。
なお、論争の中で最も話題になったのは「イントロが長い理由は芸術ではなく、スタジオ使用料を稼ぐためではないか」という疑念である。これは裏取りが難しいとされつつも、ある業界紙の推測記事が引用され、ファンの間で“11分は請求書の単位”という冗談が流通したという[17]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 小牧平太郎『V2設計書:イントロの時間管理』幻灯舎, 2000.
- ^ Dr. 佐伯ユウ『Broadcast Queue Engineering in Long Intro Pop』Journal of Practical Sound, Vol.12 No.4, pp.31-52, 2001.
- ^ 横尾睦海『背徳の瞳と残響契約—“無音の誓約”の心理』音楽心理学研究会, 第3巻第2号, pp.77-98, 1999.
- ^ Fiona R. Kline『The Myth of Venus Timing: A Study of Audience Expectation』International Review of Audio, Vol.8, No.1, pp.1-19, 2002.
- ^ 中条凛太『放送で折れる“長さ”の経済学』テレビ編成政策研究所, 第5巻第1号, pp.104-120, 2000.
- ^ 佐々波寛『EQの欠損帯はなぜ効くのか:2.7kHzの伝説』音響技術月報, Vol.27 No.6, pp.203-219, 2001.
- ^ Lee-Ming Zhao『Compression Regimes and Moral Pop Sensation』Sound & Society, Vol.16 Issue 2, pp.55-73, 2003.
- ^ 長谷川晶『“待たせるほど価値が上がる”の検証』広告と聴取行動, 第9巻第3号, pp.12-34, 2002.
- ^ 篠原メグ『ラジオ・ジングル干渉問題:フレーム単位のズレ』ラジオ技術研究, 第1巻第4号, pp.66-81, 1998.
- ^ 『月刊スタジオレビュー(Vol.11)』編集部, 1999.
外部リンク
- Eyes of Venus アーカイブ
- V2イントロ計測ログ
- 背徳の瞳 放送記録掲示板
- 残響契約 データベース
- 長尺イントロ研究所