脇田晴彦
| 氏名 | 脇田 晴彦 |
|---|---|
| ふりがな | わきた はるひこ |
| 生年月日 | 1908年4月17日 |
| 出生地 | 神奈川県横浜市本牧町 |
| 没年月日 | 1977年9月3日 |
| 国籍 | 日本 |
| 職業 | 民俗工学者、映像記録家、随筆家 |
| 活動期間 | 1931年 - 1976年 |
| 主な業績 | 潮目測定法の体系化、埋立地聞き取り調査、港町音響地図の作成 |
| 受賞歴 | 日本記録文化賞、横浜学術功労章 |
脇田 晴彦(わきた はるひこ、 - )は、の民俗工学者、記録映像制作者、ならびに景観保存運動の先駆者である。とりわけの提唱者として広く知られる[1]。
概要[編集]
脇田 晴彦は、期に活動したの民俗工学者である。港湾都市における労働慣行、波止場の音環境、埋立地の地名変遷を横断的に調査し、のちにと総称される独自の記録技法を確立したことで知られる。
彼の研究は、、、などの港湾部を中心に広がり、やの初期活動にも影響を与えたとされる。もっとも、本人は自らを学者と呼ばれることを好まず、「現場の湿り気を測る人間」と述べたと伝えられている[2]。
また、脇田はに発表した『波止場の午後』で、港における荷役音を楽譜ではなく気圧変化として記録する方式を提案した。この方式は一部の研究者から高く評価された一方で、実際には測定の再現性が低く、とされる逸話も多い。
生涯[編集]
生い立ち[編集]
脇田 晴彦は、のに生まれる。父の脇田義蔵は港湾の荷縄修繕を生業とし、母のとくは由来の民謡を好んだとされ、幼少期の晴彦は倉庫の隙間から聞こえる方言、汽笛、木箱の軋みを日課のように書き留めていた。
頃には、港に漂着した外国製の船舶日誌を拾い集め、独学で英文の記号体系を覚えたという。近隣では彼を「潮を読む子」と呼ぶ者もあったが、実際には干満よりも荷揚げの順序に強い関心を示していたとされる。
青年期[編集]
、に入学し、金属加工ではなく測量機器の改造に没頭した。とくにの講義で示された簡易測風儀に感化され、波止場用の「湿度の見える万歩計」を自作したことが転機となった。
にはの付属記録室で臨時嘱託を務め、搬入貨物の種類と桟橋の鳴り方の相関を調査した。このころ、後年の代表理論であるの原型が生まれたとされる。なお、本人は「潮は海にあるのではなく、人の待ち時間にある」と書き残したというが、原稿の所在は確認されていない。
活動期[編集]
、晴彦は準備会に参加し、港湾の効率化を論じる一方で、倉庫裏の立ち話や船員宿の壁紙の剥がれ方まで記録対象とした。これが同会内で物議を醸し、工学派からは「過剰に文学的である」と批判されたが、民俗学者の一部は「都市の温度差を読む試み」として評価した。
には、の周辺で行われた夜間調査において、空襲警報下の音響変化を克明に記録した。この調査報告『防空下の波止場』は、戦時資料としても利用されたが、なぜか第3章だけが船員の弁当箱の中身の分析に費やされている。これについて脇田は「腹の鳴る音も港の一部である」と説明したとされる。
戦後はにへ移り、の設立に関与した。ここで彼は、港湾再開発により消えた地名を地図上で復元する「逆地図」プロジェクトを開始し、にはの旧地名を収録した『埋立以前の呼び声』を刊行した。
晩年と死去[編集]
以降は健康を害し、調査の多くを若手研究者に委ねたが、晩年まで毎朝に港へ出向き、潮位ではなく「今日の作業音」を採録していたという。特にの冬には、の漁協倉庫で三日間にわたり、麻袋の擦過音だけを録音したテープが残されている。
9月3日、の病院で死去した。享年。死因は心不全とされるが、地元紙の一部は「最後まで港の風向きを気にしていた」と報じた。告別式では、参列者が焼香の代わりに小さな木片を順に並べるという、彼の調査方法にちなむ儀礼が行われたと伝えられている。
人物[編集]
脇田 晴彦は、温厚で寡黙な人物として知られる一方、調査対象の前では執拗なまでに細部へこだわる性格であった。宿帳の紙質、倉庫の錠前の錆、船員が吸う煙草の本数まで記録したため、調査補助者の離職率が高かったともいわれる。
逸話として有名なのは、ので行われた公開講演で、聴衆の咳払いを「都市の圧縮波」と呼び、講演の半分を会場換気の説明に費やした件である。また、彼は写真撮影を嫌い、レンズが人物の表情を単純化すると主張したが、自身の肖像だけは例外的にも撮影を許可したという。
食に関しては極端に質素で、昼食は干し芋、夜は湯豆腐が多かったとされる。しかしの調査旅行中、の屋台で「波止場定食」と称して煮込みうどんを5杯食べた記録があり、本人の手帳には「学術上の必要」とだけ記されている。
業績・作品[編集]
潮目測定法[編集]
脇田の代表的業績は、港湾空間における人流、音圧、会話の間合いを同時に記録するである。彼はに初めてこの用語を用い、からなる三層式の記録帳を考案した。
この方式では、荷役が最も集中する時刻を「満潮」、待機が長引く時刻を「干潮」と呼び分けたため、海洋学者からは誤解を招くとして批判された。一方で、労働史研究では港湾労働者の生活リズムを可視化した先駆的試みとして再評価されている。
主な著作[編集]
著書には『波止場の午後』、『埋立以前の呼び声』、『港の沈黙学』、『音の地籍調査』などがある。特に『港の沈黙学』はでページ数がからに増補され、うちが章題未定のまま刊行された。
また、映像作品『桟橋の一日』では、と手描き字幕を併用し、船名の消失過程を追跡した。この作品はにの推奨作品となったが、音声がほぼすべて波の雑音で占められているため、鑑賞には忍耐を要するとされた。
共同研究と制度化[編集]
代にはの一部研究者や関係者と交流し、港町の聞き取り調査の標準化を試みた。ここで作成された「脇田式口述票」は、聞き取り開始前に必ず3分間の沈黙を置くという独特の規則を持ち、現代のインタビュー研究にも影響を与えたとされる。
もっとも、制度化は進んだものの、調査票の欄外に「本日、風が西へ曲がる」といった私語的メモが多く残されたため、後年のアーカイブ整理担当者を悩ませた。これらのメモは一部で文学的価値を認められたが、実務上はほぼ解読不能であった。
後世の評価[編集]
脇田 晴彦の評価は、・・の間で分かれている。都市計画の立場からは非効率な観察者とみなされることもあるが、再開発で消えた港湾共同体の記憶を、記録映像と音響メモで残した点は高く評価されている。
にはで回顧展「脇田晴彦と港の時間」が開かれ、来場者数はに達した。展示の目玉は、彼が使用したとされる自作の録音箱であったが、実際にはほとんど雑音しか入っておらず、来館者からは「むしろ港の気配がする」と評されたという。
一方で、以降の研究では、彼の調査が対象を美化しすぎているとの批判もある。とくに、港湾労働の過酷さを「潮の詩情」と表現した箇所は、労働史の観点からは問題視された。ただし、こうした批判も含めて、脇田は期の都市表象を考えるうえで避けて通れない人物とされている。
系譜・家族[編集]
脇田家は、末期からの港湾周辺に暮らした家系である。父・脇田義蔵は荷縄修繕業、母・とくは裁縫と唄の名人で、家には常に麻袋と縫い針の匂いがあったという。
妻の脇田澄子はに結婚し、のちに調査記録の清書を一手に担った。二人の間には長男・脇田修一、長女・脇田美沙子が生まれ、修一はで倉庫管理に就き、美沙子はで図書館司書となった。孫の代になると家業との関係は薄れたが、家の書棚からは脇田式調査票が毎年のように発見されたという。
なお、親族の一部には彼の研究を「港の趣味に過ぎない」とみなす者もいたが、死後に残されたの記録箱を前にして、その見方は次第に改められたとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 脇田澄子『港の沈黙を綴る』青潮出版社, 1981年.
- ^ 佐伯隆一『昭和港湾記録論』日本記録文化会, 1974年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Harbors of Listening: Wakita and the Tidal Method", Journal of Urban Folklore, Vol. 12, No. 3, 1996, pp. 41-68.
- ^ 松浦健太『逆地図の思想と実践』港町書房, 1990年.
- ^ Harold B. Finch, "Acoustic Residue in Postwar Japanese Ports", Coastal Studies Quarterly, Vol. 7, No. 1, 1988, pp. 9-27.
- ^ 小森由紀子『脇田晴彦研究序説』みなと学術叢書, 2004年.
- ^ Jean-Pierre Delvaux, "Le port comme silence: une lecture de Wakita", Revue d'Anthropologie Maritime, Vol. 19, No. 2, 2001, pp. 115-139.
- ^ 高橋義明『港の時間、港の体温』海鳴社, 1969年.
- ^ 脇田晴彦『音の地籍調査』第3版, 港湾記録社, 1962年.
- ^ 岡本一郎『波止場の午後とその周辺』関東民俗研究所, 1978年.
- ^ 『防空下の波止場』日本記録映画協会資料集第4巻, 1951年.
- ^ Eleanor M. Price, "The Curious Case of the Silence Box", Proceedings of Maritime Ephemera, Vol. 3, No. 4, 1979, pp. 201-219.
外部リンク
- 日本港湾記録アーカイブ
- 横浜近代民俗資料室
- 脇田晴彦研究会
- 港町映像保存ネットワーク
- 潮目測定法デジタル館