自作パフェミートソース事件
| 発生日 | 1997年11月中旬 - 1998年2月頃 |
|---|---|
| 発端 | 都内私立大学の学園祭模擬店 |
| 場所 | 東京都、神奈川県、埼玉県の学生街 |
| 関与者 | 調理研究会、学食業者、保健所職員 |
| 内容 | パフェ容器に自作ミートソースを注入・層状化した提供行為 |
| 影響 | 模擬店衛生基準の改訂、学内メニュー審査の厳格化 |
| 通称 | 甘辛逆転事件 |
| 主な論点 | 食品表示、盛り付け権、味覚の先入観 |
自作パフェミートソース事件(じさくパフェミートソースじけん)は、に内の学生食堂を発端として広まった、デザート用のにを自作して盛り付けた一連の騒動である。料理実験、衛生行政、若者文化が奇妙に交差した事案として知られている[1]。
概要[編集]
自作パフェミートソース事件は、後半ので流行した「甘味の料理化」ブームの中で発生したとされる事件である。発端はの学園祭における模擬店で、が「冷製ソースの新表現」として、アイスクリームの代替として冷やしたミートソースをパフェグラスに注いだことにある[1]。
この企画は当初、との実験展示として扱われたが、学内配布の試食券に「デザート」とだけ印字されていたため、来場者の混乱を招いた。なお、同種の事例は前例がないわけではなく、頃のの喫茶店で「セイボリー・パフェ」が試作されていたとの記録があるが、いずれも本件ほど社会的注目を集めなかったとされる[2]。
背景[編集]
甘辛逆転文化の流行[編集]
末からにかけて、都市部の学生街では「料理を見た目で裏切る」演出がひそかな流行であった。特にやの小規模喫茶店では、プリン皿にカレーを盛る、グラタン皿に羊羹を焼くといった試みが散発的に行われた。これらはなどの愛好家サークルによって半ば学術的に記録されていた[3]。
一方で、当時の学生サークル文化には、限られた食材費で「高級感」を出す工夫が求められていた。生クリームやの代用品として、トマトペーストや牛挽肉を用い、低温で固める発想が生まれたのはこの文脈である。後年の聞き取りでは、発案者は「甘味の器に塩味を入れることで、見た目の贅沢さを反転させたかった」と述べたという[4]。
調理研究会と試作番号A-17[編集]
中心となったは、にの旧学生寮を拠点として再編された団体で、正式名称は「武蔵野文化大学生活技術研究会」であった。会誌『』には、試作番号A-17として「パフェ状冷製肉ソース」の設計図が掲載されており、グラスの底に豆腐、中央に肉ソース、上層に刻みパセリを置く三層構造が提案されていた[5]。
この試作では、ソースの粘度を保つためにではなく寒天が選ばれた。ところが、学園祭当日に寒天の配合を誤り、ソースが「ほぼゼリー状」になったことが逆に話題を呼んだ。来場者の多くはそれを創作料理として受け入れたが、数名が「説明文と実物が異なる」として学内の掲示板に抗議文を貼り出したことが、後の事件化の端緒である。
事件の経過[編集]
学園祭当日の混乱[編集]
、学園祭の初日午前10時40分頃、模擬店「甘味研究室」において最初の提供が行われた。メニュー表には「季節の自作パフェ」とのみ記されていたが、実際には底に状の麺、中央にミートソース、上部にミントの葉が載っていたため、来場者の間で「これは食事か、デザートか」を巡る小競り合いが生じた[6]。
午後になると、口コミで「パフェなのに肉が入っている」と広まり、通常の3倍にあたる約480食が販売されたとされる。特に問題視されたのは、容器の縁にに見せかけた粉チーズが使われていた点で、これにより甘味を期待した来場者の一部が激しく動揺した。保健所の事後調査では衛生上の重大な不備は認められなかったが、表示の不適切さについては「注意を要する」との見解が示された[7]。
保健所の立ち入りと「盛り付け権」[編集]
事態が拡大したのは、学園祭終了後にの担当者が立ち入りを行い、試食用のレシピカードを回収したことである。担当の係長は、後の座談会で「食品そのものより、盛り付けの概念が先に走った案件だった」と回想している[8]。
このとき問題になったのが、調理研究会側が主張した「盛り付け権」である。彼らは、容器の見た目が利用者の期待を意図的にずらす表現行為は、単なる飲食ではなく料理表現の一種であり、表示は作品名の自由に委ねられるべきだと訴えた。これに対し、保健所側は「提供物が食用である以上、名称より実態が優先される」として、翌年の模擬店衛生指針に盛り付け例の明記を求めた。
社会的反響[編集]
事件は、、地方テレビ局の深夜特集で取り上げられ、特に「甘い顔をした肉料理」として一般家庭にまで話題が拡大した。料理評論家のは、これを「平成後期の都市型茶会」と評したが、同時に「説明不足のまま提供された時点で茶会ではない」とも述べている[9]。
一方で、同年末には模倣例がの私設ギャラリーやの大学祭に現れ、ミートソースをチョコソースのように絞る演出が流行した。これにより、メニュー表示における「見た目」と「実体」の乖離が議論され、は簡易ガイドラインを作成した。なお、同ガイドラインには「アイス容器にハンバーグを立てないこと」という項目があり、後年まで半ば伝説化している。
影響[編集]
学園祭衛生基準への波及[編集]
事件後、は模擬店向けの指導文書を改訂し、食品の名称と内容物の一致を原則化した。また、度からは、冷製料理に温かいソースを用いる場合、展示前に説明札を添えることが慣例となった。これによって、パフェ容器にを入れるだけで「創作」と称する企画は急減したとされる[10]。
もっとも、学生料理界においては、この事件が「失敗を制度化した最初の例」として評価されることもある。実際、にはの文化祭で、ミートソースを凍らせて削る「ボロネーゼ・グラニテ」が登場し、審査委員から「自作パフェミートソース事件の正統後継」と評された。
料理表現史での位置づけ[編集]
料理史研究では、本件はとの接点に位置づけられている。特にの研究員は、パフェという器形がもつ「甘味の約束」を借用しつつ、肉料理を差し込んだ点に、1990年代後半特有のメディア感覚があると指摘した[11]。
また、インターネット掲示板の初期拡散例としても重要である。匿名投稿「昨日の学園祭、パフェ頼んだら肉だった」は、当時としては異例の約1,200件の引用を呼び、後に「食の期待値」という語を広めた。なお、一部の研究者は本件が隆盛の前段階だったとみなしているが、これには異論も多い。
批判と論争[編集]
最大の批判は、来場者の期待を意図的に利用した点にあった。とりわけ、甘味を求めて訪れた児童の保護者からは「味覚のいたずらにしては説明が足りない」との苦情が相次いだ。また、料理研究の名を借りた単なる悪ふざけではないかという指摘も根強い[12]。
一方で擁護論も存在する。支持者は、事件は食品の定義、器、名称の関係を一般に考えさせた点で教育的価値があったと主張した。もっとも、支持者自身が後年の座談会で「二度と食べたいとは思わない」と述べているため、評価は今なお割れている。なお、調理研究会の元代表は、事件から8年後にについて修士論文を提出したが、審査会では「題名が強すぎる」と評された。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 久保田環『都市型甘味の反転史』中央食文化出版, 2001年.
- ^ 佐伯千鶴『模擬店衛生指導の実際』日本保健協会, 1999年.
- ^ 内海和真「パフェ容器における塩味介入の表象」『国立食文化資料館紀要』Vol. 12, No. 4, pp. 33-51, 2004.
- ^ 武藤良介「学園祭における表示と誤認」『食品表示研究』第8巻第2号, pp. 101-119, 1998年.
- ^ Margaret L. Hargreaves, "Dessert Displacement and Student Culture," Journal of Urban Culinary Studies, Vol. 7, No. 1, pp. 14-29, 2002.
- ^ 田所真一『冷製ソースの社会学』東都書房, 2003年.
- ^ Atsushi Nakanishi, "Layered Surprise: The Parfait Incident in East Asian Campus Foodways," Culinary Anthropology Review, Vol. 5, No. 3, pp. 77-96, 2006.
- ^ 武蔵野文化大学調理研究会『クロック・ノート』創刊準備号, 1997年.
- ^ 山岸梨花「甘味と肉の境界線」『味覚と社会』第3巻第1号, pp. 5-18, 2000年.
- ^ 小泉一成『パフェの政治学』青林館, 2005年.
- ^ Hiroko Fujita, "The Ethics of Garnish Misdirection," International Journal of Food Semiotics, Vol. 2, No. 2, pp. 55-60, 2001年.
外部リンク
- 国立食文化資料館デジタルアーカイブ
- 武蔵野大学学生文化史センター
- 全国模擬店安全推進協議会
- 味覚演出研究会年報閲覧室
- 平成食卓事件録データベース