自由に囚われた人のようななにか
| 分類 | 心理社会概念、都市批評用語 |
|---|---|
| 提唱者 | 加賀見 恒一郎 |
| 成立 | 1978年ごろ |
| 主な舞台 | 東京都、横浜市、千葉ニュータウン |
| 関連分野 | 臨床心理学、広告史、労働社会学 |
| 標語 | 選べる者ほど、選べない |
| 学術的評価 | 概ね周縁的だが一部で引用される |
| 通称 | 自由囚憑(じゆうしゅうひょう) |
自由に囚われた人のようななにか(じゆうにとらわれたひとのようななにか)は、後半ので成立した、自己決定と選択肢過多の精神状態を指すとされる概念である。主に、、およびの境界領域で用いられている[1]。
概要[編集]
自由に囚われた人のようななにかは、を獲得した結果として、かえって行動の決定権を外部化してしまう状態を表す言葉である。典型例としては、進路、恋愛、居住地、服装、職業のすべてを「自分で決めてよい」とされた者が、最終的に何も選べなくなる事態が挙げられる[2]。
この概念は、末のにおいて、住宅広告とカウンセリングの現場が接続したことで急速に広まったとされる。当初は新聞広告の投書欄で使われたにすぎなかったが、のちにの報告書に採録され、半ば学術語、半ば流行語として定着した[3]。
成立史[編集]
加賀見恒一郎の「選択疲労」仮説[編集]
提唱者とされるは、で労働者の転職相談を担当していた臨床心理士である。彼は、平均面接時間が17分から42分へ伸びたことに注目し、相談者の多くが苦痛の原因を「不自由」ではなく「選べることの多さ」に求めていると報告した[4]。
加賀見はこの状態を一時、「過剰自由拘束」と呼んだが、研究会で「語感が硬すぎる」と退けられ、後に雑誌『都市と自己』の特集記事で「自由に囚われた人のようななにか」という、やや回りくどい表現に落ち着いた。この迂遠な命名が逆に市民権を得たとされる。
横浜港湾地区での初期調査[編集]
の港湾再開発地区では、から2年間、分譲マンション購入者326世帯を対象に追跡調査が行われた。調査票には「自由欄」が7つ設けられていたが、回答者の約41%がその自由欄を空白のまま返送し、これが象徴的事例として引用されるようになった[5]。
とりわけ注目されたのは、購入時に「南向き・駅徒歩7分以内・自主管理・ペット可」の四条件を自ら設定した世帯ほど、入居後3か月で管理組合への出席率が著しく低下した点である。研究チームは、選択の自由が多いほど責任感ではなく回避行動を誘発しうると結論づけた。
広告業界への流入[編集]
中頃になると、系の若手コピーライターがこの概念を広告文に転用しはじめた。ある清涼飲料水のキャンペーンでは、「飲みたいものを自分で選べる時代。だからこそ、何を飲むかは誰かに決めてほしい」と書かれ、社内審査で一度は却下されたが、地方紙の折り込み広告で使用されて意外な反響を呼んだ[6]。
この時期には、「自由に囚われた人のようななにか」を訴える文脈で、の大型書店に“決めないための本”売場が新設されたという逸話もある。もっとも、当時の棚卸記録にはその名称が見当たらず、実在性はなお議論がある。
理論的展開[編集]
心理学的解釈[編集]
臨床心理学の側では、この概念は「自由の喪失」ではなく「自由の過密」によって生じる慢性的な自己監視として理解された。の内部報告では、患者が「選ばなかった選択肢の亡霊」を気にしはじめるまでの平均潜伏期間が11日とされ、特に月曜午前に症状が強い傾向があるとされた[7]。
また、一部の研究者は、これをの乗換導線における歩行者の立ち止まり行動と関連づけた。乗り換え案内が多すぎる環境では、利用者が「どちらでもない」方向へ移動しやすくなるというもので、当時の論文には、改札前で3分以上停止した者の18%がそのまま地上出口に戻ったという珍妙な記述がある。
都市論と住宅政策[編集]
の『都市と自己』別冊は、この状態を郊外住宅の設計思想と結びつけた。とくにでは、道路幅員、植栽率、集会所の位置まで自由に設計できることが「住民の満足度を高める」とされた一方、住民が完成後に「自由すぎて帰宅経路が毎日変わる」と訴えたことが記録されている[8]。
これを受けて一部の自治体は、案内板の数を意図的に減らし、最小限の誘導だけを残す「消極的自由設計」を試みた。しかし、案内板を減らしすぎた結果、郵便配達員が同一街区で平均2.3倍迷うようになり、翌年度には見直しが行われた。
東アジア圏への波及[編集]
に入ると、この言葉はやの都市文化雑誌にも翻訳紹介された。とりわけ韓国では「自由に見えて、実は選択の外圧が強い都市生活」を説明する語として受容され、地下鉄広告のアンケート欄で「自分で決めたいが、決めたくない」と答える人が増えたと報じられた[9]。
ただし、翻訳の際に「なにか」の部分が概念名として強調されすぎ、関連講演会では聴衆が全員で“なにか”の代替語を提案するという、学会らしからぬ討論が続いたという。
社会的影響[編集]
この概念の最も大きな影響は、自己責任論への静かな抵抗として機能した点にある。すなわち、進学、結婚、転職、購買の失敗がすべて個人の判断不足に回収される風潮に対し、「選べること自体が負担である」と説明する言葉を提供したのである[10]。
また、にはの生活番組で取り上げられ、視聴者から1万4,208通の葉書が届いた。うち3割は「自分もその状態である」とする自己申告であったが、残りの多くは「番組を見て何を選べばよいかわからなくなった」と書かれており、現象の再帰性が話題となった。
批判と論争[編集]
批判の多くは、この概念が便利すぎることに向けられた。社会学者のは、「何も決められない人に、さらに長い名前を与えているだけではないか」と述べ、用語自体が新たな負荷を生むと指摘した[11]。
一方で擁護派は、「長い名前でしか表現できない煩雑さがある」と反論したが、この主張はしばしば編集会議で採用されず、最終的に『辞書に載せるには長すぎるが、現実には短すぎる』という中間表現に落ち着いた。なお、のシンポジウムでは、発表者全員が開始5分で「自由」と「選択」を言い換えられなくなり、休憩が30分延長されたという記録がある。
派生概念[編集]
この語からは、いくつかの派生表現が生まれた。は選択肢の多さによる消耗を指し、は意思決定の先送りを正当化するための比喩として用いられた。はペットショップ業界で一時的に流行した表現で、リードの長さが長すぎて散歩の方向を失う犬を指すとされた[12]。
また、の予備校では、進路指導室の壁に「自由に囚われた人のようななにかにならないために」と掲げられたが、翌週には受験生から「それが一番こわい」と苦情が寄せられ、文言が削除された。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 加賀見 恒一郎『選択の密度と沈黙の増加』日本都市心理学会誌 第12巻第3号, 1979, pp. 44-61.
- ^ 田嶋 玲子『分譲住宅における自由欄の空白率』都市居住研究 第8巻第2号, 1982, pp. 19-33.
- ^ M. R. Thornton, “Freedom as Administrative Burden in Late Urban Japan,” Journal of Comparative Psychosociology, Vol. 17, No. 4, 1986, pp. 201-229.
- ^ 早川 文雄『選択肢が多すぎるときの沈黙』社会批評社, 1987.
- ^ 三浦 恒一『広告文における自発性の演出』電通出版部, 1988.
- ^ 金井 みどり『自由に囚われた人のようななにか—都市生活の副作用—』生活文化評論 第5巻第1号, 1991, pp. 5-27.
- ^ S. Watanabe, “The Shelf of Unmade Decisions,” East Asian Urban Studies Review, Vol. 9, No. 1, 1993, pp. 88-104.
- ^ 東京都立精神衛生センター編『月曜午前の自己監視に関する内部報告』資料番号MS-41, 1994.
- ^ 朴 恵淑『自由に見えて自由でないことの翻訳学』ソウル都市文化研究 第14巻第2号, 1996, pp. 73-90.
- ^ 『辞書に載せるには長すぎるが、現実には短すぎる』自由概念シンポジウム記録集, 1998.
外部リンク
- 日本都市心理研究会アーカイブ
- 都市と自己データベース
- 選択疲労資料館
- 港湾地区生活史センター
- 自由概念年表研究室