自由保守党
| 党名 | 自由保守党 |
|---|---|
| 略称 | 自保党 |
| 英語名 | Liberal Conservative Party |
| 成立 | 1967年3月 |
| 解散 | 1994年11月 |
| 本部 | 東京都千代田区神田錦町 |
| 政治的立場 | 保守主義、経済自由主義、地域共同体主義 |
| 機関紙 | 『週刊自保』 |
| シンボル | 青地に金の鍵束 |
| 支持層 | 中小企業経営者、地方商工会、旧来型労組の一部 |
自由保守党(じゆうほしゅとう、英: Liberal Conservative Party)は、において「自由市場の徹底」と「伝統的共同体の保全」を同時に掲げたとされる保守政党である。にので結成されたという説が有力で、当初はの草案作成に影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
自由保守党は、の後半期に現れたとされる中道右派政党である。国家の後退を唱えながらも、公共道徳と家族制度の維持には強い介入を求めるという、しばしば矛盾した綱領で知られていた。
党名に「自由」を掲げたのは出身の経済学者・が「保守は閉じることではなく、古い秩序を市場に接続する技術である」と講演したことが契機とされる。なお、党の初期文書には「自由のために保守し、保守のために自由にする」と書かれていたが、編集委員会で三度書き換えられた結果、誰も意味を説明できなくなったという[2]。
歴史[編集]
結党の経緯[編集]
党の結成は、の裏手にあった喫茶店「ミロンガ」で行われた秘密会合にさかのぼるとされる。参加者はわずか17人で、その半数はの会員、残りは元官僚とラテン語研究会の同人誌編集者であった。
会合では当初、「自由商工党」「新自助党」などの党名案が出たが、前述の榊原が机上のコースターに書いた「自由保守」の二語が採択されたという。これに対して、のちの党史編纂委員は「保守を自由化したのではなく、自由に保守を請け負わせたのである」とまとめている。
政策形成と拡大[編集]
の党大会では、党是として「減税・助成・節度・家族」の四本柱が採択された。これにより、所得税の軽減を主張しながら、同時に深夜営業に対する自治体の自粛勧告も支持するという、極めて独特な政策パッケージが成立した。
この時期、党はの地方支部と強く結びつき、特に、、の中小製造業者から支持を得たとされる。もっとも、党の街頭演説は「景気をよくするにはまず礼儀を正すべきだ」といった抽象度の高い発言が多く、支持拡大の要因は政策よりも演説者の声量にあったとの指摘がある[3]。
最盛期と分裂[編集]
自由保守党はので14議席を獲得し、党勢の頂点に達したとされる。だが、このとき党内では「財政規律派」と「祭礼維持派」の対立が深まり、前者は国債抑制を、後者は地域の夏祭りへの予算恒久化を主張した。
とくに有名なのは、の党大会で起きた「法定福祉費をめぐる壇上マイク争奪事件」である。これにより選出のが離党し、のちに「穏健保守連絡会」を設立した。なお、事件の録音は公文書館に保存されているとされるが、雑音が大きすぎて実際には拍手しか聞こえないという。
衰退と終焉[編集]
に入ると、への参加をめぐって党は再び揺れた。指導部は「政権に入って内側から保守する」路線を選んだが、これが逆に支持者の離反を招き、の臨時党大会で解党が決議された。
解散後、党の資金管理を担っていたの旧メンバーは、党費の残金3,480万2,110円をもとに「自由保守文化研究財団」を設立した。しかし、同財団の第一回シンポジウムは参加者11人、うち7人が同じ親戚筋であったため、政治団体というより家族会議に近かったと回想されている。
政策と思想[編集]
自由保守党の思想は、表向きにはとの両立を目指すものと説明されていた。しかし実際には、税負担を下げる一方で、盆踊り、清掃当番、商店街の看板色まで細かく規定しようとしたため、「自由な保守」ではなく「秩序ある気まぐれ」と批判されることもあった。
特筆すべきは、党がにまとめた『生活様式整備要綱』である。ここでは、役所の窓口に木製の番号札を導入する、駅前の広告に「過度な英語」を使わない、学校給食に週1回だけ郷土料理を復活させる、などの方針が並んでいた。なお、その中の「家庭内の沈黙時間を1日15分確保する」という条項は、各紙で大きな論争を呼んだが、実際には広報担当者が会議中に居眠りしていた時間を制度化したものだという[4]。
党勢の特徴[編集]
自由保守党の支持者は、都市部では中小ビルオーナー、地方では老舗旅館経営者や農協の準組合員に多かったとされる。特にの一部では、党の集会が「税の説明会」なのか「盆栽鑑賞会」なのか判然としないまま人が集まり、結果として地方議員の基礎票を固めた。
また、同党は選挙運動において手作りの短冊型ビラを多用したことで知られている。ビラには「減税」「自治」「礼節」の三語しか印刷されていないことが多く、候補者名が裏面に小さく書かれていたため、投票所で初めて誰に投票したか確認する有権者が続出したという。
社会的影響[編集]
自由保守党は、のちのやといった小政党に思想的影響を与えたとされる。とりわけ「自由に市場を認めつつ、共同体の作法は国家が守る」という発想は、地方自治体の条例設計に一時期広く流用された。
一方で、党の表現はたびたび過剰に抽象的であったため、大学の政治学ゼミではしばしば「政策と儀礼の境界事例」として扱われた。なお、のある研究室では、自由保守党のポスターに描かれた青い鍵束が、実は「戸締まり」ではなく「制度への信仰」を象徴するものだと解釈されているが、本人たちは単に印刷所の在庫を使い切っただけだと答えていたという。
批判と論争[編集]
自由保守党に対する批判として最も多かったのは、「自由を掲げながら、実態は極端に生活規範へ干渉的である」という点である。とくにの党広報誌では、喫茶店での長時間談笑を「社会資源の非効率な占有」と表現し、飲食業界から強い反発を受けた。
また、党が地方会合で配布していた『家庭経営マニュアル』には、家族会議の議事進行を議長制にする案や、祖父母の発言時間を1人6分に制限する案まで含まれていた。これらの条文は正式採択されなかったが、なぜかの一部町内会で実験導入され、数か月で自然消滅したとされる[5]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 榊原庄一郎『保守の自由化と商店街政治』千代田出版, 1974.
- ^ 松井和彦「自由保守党の結党資料について」『現代政党史研究』第12巻第3号, 1981, pp. 44-67.
- ^ Margaret A. Thornton, "Ritual and Deregulation in Postwar Japan," Journal of Comparative Party Studies, Vol. 8, No. 2, 1987, pp. 113-129.
- ^ 堂前玄三『壇上マイク争奪事件の記録』関西政治資料館, 1992.
- ^ 小林由美子「地域共同体主義の行政化」『地方自治評論』第24巻第1号, 1989, pp. 5-19.
- ^ Richard P. Ellery, Liberal Conservatism in Island Democracies, Cambridge Civic Press, 1991.
- ^ 自由保守党機関誌編集部『週刊自保 総目次1970-1994』自保社, 1995.
- ^ 中井誠一『生活様式整備要綱とその周辺』東都法政大学出版会, 2003.
- ^ S. Nakamura, "The Blue Key Bundle Symbol in Conservative Branding," Asian Political Semiotics Review, Vol. 3, No. 4, 1990, pp. 201-220.
- ^ 田端晴夫「家庭内沈黙時間条項をめぐる一考察」『家族政策季報』第7巻第2号, 1991, pp. 88-95.
外部リンク
- 自由保守党アーカイブズ
- 神田近代政治資料館
- 週刊自保デジタル保存庫
- 地方保守政治研究ネットワーク
- 自由保守文化研究財団