草間俊太とロカビリー・スピリチュアル・チャンス
| 分野 | 音楽パフォーマンス(ロカビリー)と民間霊性(即興式) |
|---|---|
| 成立と時期 | 1968年頃に歌舞伎町周辺で「儀礼的リバーブ」として広まったとされる |
| 拠点 | (歌舞伎町の裏手路地)を中心に活動したとされる |
| 中心人物 | (ギター兼「宣言役」) |
| 特徴 | コード進行に“祈願の拍数”を割り当てる作法があるとされる |
| 代表的イベント | 「第三土曜の白い紙切り」などの小規模集会 |
| 関連用語 | ロカビリー・スピリチュアル・チャンス/SPC(略称) |
は、1960年代末から日本の小規模音楽サークルで口伝されたとされる、ロカビリーと霊性を接続する即興パフォーマンスの呼称である[1]。当時の関係者は、この体系が「祈りのコード進行」として実用化されたと語ったとされる[2]。ただし、その正確な成立過程は複数の証言に分岐しており、学術的な合意は得られていない。
概要[編集]
は、ロカビリーのリズムと、口伝される霊的“幸運”の手順を同期させることを目的としたパフォーマンス系列であるとされる[1]。
一般に、参加者は演奏開始前に「願いの文字数」を数え、その数に応じてギターのピッキング強度を調整する、と説明されることが多い[3]。もっとも、この“文字数”が話題化した経緯については、「集計係が実在した」「実在したふりをした」などの証言があり、細部は定まっていない。
この名称は、草間の知人が読書会で言い放った「ロカビリーにはチャンスが宿る」という比喩が誇張され、いつのまにか儀礼の総称として固定されたものだとする説がある[4]。一方で、最初から「ロカビリー・スピリチュアル・チャンス(SPC)」という略称が回覧された、とする資料も存在するとされるが、出所の説明は曖昧である[5]。
起源と成り立ち[編集]
歌舞伎町路地説(成立譚の中心)[編集]
最も広く流通した成立譚では、がの歌舞伎町裏手にあった小さな音響室で、テープの頭出しができないトラブルに遭ったことが起点とされる[2]。
草間は、テープが戻るまでの待ち時間を「祈りの空白」と見なし、リバーブの立ち上がりが安定するまでに“願いを唱える秒数”を合わせたという[6]。この“秒数”は参加者の間で、16秒・24秒・40秒の3種類に整理され、のちに「幸運の回転周期」として語られたとされる[7]。
さらに、この路地説では、最初の儀礼が「第三土曜の午前0時07分」に始まったともされる。もっとも、当時の時計が誰の手元にあったかについて証言が割れており、「隣の定食屋の壁時計だった」などの筋書きも併存する[8]。
天文学者コラボ説(やや変わった系統)[編集]
別系統の成立譚として、草間が録音機材を調達する際に、大学天文関係者から譲られた測定装置を“霊的タイミング”の決定に転用したとする説がある[9]。
この説では、装置は「星の瞬き補正」を目的としていたが、草間は補正係数を“祈願の強さ”に置き換えた、と説明されることが多い[10]。ただし、係数の具体値として「0.13」「0.27」「0.41」などの数字が挙がるのに対し、どの回でどの値が使われたかは不明である[11]。
一方で、天文学者の名が「小金井周平」などの著名寄りの名前で語られることがあるが、その人物の所在確認はできないとされる[12]。この食い違いが、後年になってSPCが“資料より口伝が強い”形で残った原因になったのではないか、と推定されている。
社会における位置づけと影響[編集]
は、単なる音楽遊戯というより、都市の若年層に「失敗してもやり直せる手順」を与えたものとして評価された、とする指摘がある[13]。
特に、参加者がステージ上で“宣言”を行う場面は、当時の流行語であった「運を回す」という感覚と接続され、路地の小規模ライブが一時的に増加したとされる[14]。ある回では、チケットが「予約10枚+当日7枚」で販売され、合計17枚が“幸運の基準”として扱われたという数字の記録が残るとされる[15]。ただし、この数字は回覧資料の写しであり、原本の所在が確認できないとされる。
また、この系列は、宗教機関や行政の監督から距離を取りつつ、なおかつ“儀礼っぽさ”を保持していた点で、当時の社会的ニーズに合致していたと解釈されることがある[16]。一方で、霊性を音楽技法として扱うことへの抵抗から、いくつかのコミュニティで敬遠された時期もあったとされる[17]。
近年の語り直しでは、SPCが「誰かの言葉を信じる力」ではなく「自分の言葉を整える力」を重視した、と再評価されている[18]。ただし、その再評価が成立する過程で、証言の圧縮(良い話だけが残る現象)が起きた可能性も指摘されている[19]。
作法と技法(SPCの“手順”)[編集]
SPCの手順は、少なくとも3段階で語られることが多い。第一に、演奏前の「願いの文字数」を参加者が宣言する、とされる[3]。第二に、その数に対応して、ギターのピッキング角度が“目盛り付き”で調整されるとされる[20]。最後に、演奏後に“余韻の残響”を計測し、一定値を超えた場合は「成功」と扱う、と説明される[21]。
この“残響”の計測には、当時の簡易マイクとメトロノームが用いられたとされるが、なぜか計測結果の単位が「涙(るい)」と呼ばれたという逸話がある[22]。涙が何を意味するかは曖昧であり、物理量としての整合性は薄いとされる一方、当事者は「体感の整合性が取れた」と述べたとされる[23]。
さらに、SPCではコード進行に“祈願の拍数”を割り当てるとされる。例えば、I-V-vi-IVの“vi”を担当するパートでは、参加者が8回深呼吸する、とする流派があったとされる[24]。もっとも、この深呼吸の回数は地域ごとに異なり、「7回」「9回」が併存したとされる[25]。その差異こそが、SPCが固定の楽譜ではなく“場の合意”として機能していたことを示す材料になっている、との見方もある[26]。
批判と論争[編集]
一方で、SPCは“音楽を宗教的に誤用している”として批判されたことがあるとされる[27]。批判の中心は、霊性を技法に落とし込むことで、参加者の心理的依存を促すのではないか、という懸念であったと説明される[28]。
反対に、支持側は「儀礼は自己調整のための枠組みであり、教義を強制するものではない」と主張したとされる[29]。しかし、支持側の証言でも、ある夜に参加者が「深夜礼拝の替わりにSPCを受けた」と語っていたことがあり、線引きが曖昧になった可能性があるとする指摘がある[30]。
また、論点の一つとして、本人の活動範囲が過大に語られているのではないか、という疑念も挙がる。具体的には、草間が「北海道の釧路でSPCを定着させた」と書かれた冊子がある一方で、釧路での目撃談は少なく、当該冊子がで配布された“二次創作同人の体裁”を帯びていたのではないか、とする見解もある[31]。
このように、SPCの歴史は、出来事そのものよりも“語りの加工”によって輪郭が整えられてきた可能性があるとされる[32]。もっとも、加工が行われたとしても、結果として路地の文化が記憶に残ったことは事実だ、とする編集者の指摘がある[33]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山田礼司『ロカビリー都市儀礼の変奏—SPC現象の一次資料』青蛙書房, 2009.
- ^ Margaret A. Thornton『Ritual Timing in Popular Improvisation』Springfield Academic Press, 2012.
- ^ 伊藤節『即興と祈りの拍—深呼吸カウントの比較調査』第12巻第2号, 音楽社会研究会誌, 2014, pp. 41-66.
- ^ 北条みなと『新宿路地の残響単位“涙”について』音響史研究, Vol. 8, 2016, pp. 103-129.
- ^ 草間俊太『私は宣言するだけである:ギターと余韻の記録』東京小夜啼社, 1973.
- ^ Elliot P. Crane『Chance and Chord Progressions』Journal of Informal Sacred Music, Vol. 5, No. 1, 2018, pp. 1-19.
- ^ 佐伯理沙『第三土曜午前0時07分の証言構造』『都市伝承の編纂』第3巻第1号, 銀星社, 2021, pp. 77-98.
- ^ 岡本隆志『“ロカビリー・スピリチュアル・チャンス”の略称運用』音楽用語学研究, 第19巻第4号, 2020, pp. 210-235.
- ^ Lee, Han-Soo『Sonic Luck: A Field Report from Kabukichō』Seoul Institute of Folklore Studies, 2015.
- ^ 藤原あきら『幽霊譜面と現代口伝』未知鳥書店, 1982.
外部リンク
- SPC回覧アーカイブ
- 草間俊太・音響メモ集
- 涙単位対照表(非公式)
- 新宿路地ライブ年表
- コード祈願換算機(復元案)