荒廃
| 名称 | 荒廃 |
|---|---|
| 読み | こうはい |
| 英語 | Wastefield |
| 分類 | 景観概念・制度語彙 |
| 提唱時期 | 1929年頃 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎、Margaret A. Thorntonら |
| 発祥地 | 東京府麹町区、ロンドン郊外の視察会 |
| 主な対象 | 都市空間、廃屋、行政空白地 |
| 関連施策 | 空白地台帳、再配置勧告制度 |
| 備考 | 1937年に「荒廃指数」が一時的に公文書へ導入された |
荒廃(こうはい、英: Wastefield)は、人工物・制度・景観が長期にわたり摩耗し、秩序の再編に失敗した状態を指す概念である[1]。現在では都市計画、戦後復興論、災害文化論の周辺語として知られているが、その成立には末期の官庁改組と、内で行われた「空白地視察」が深く関わるとされる[2]。
概要[編集]
荒廃は、本来は単なる劣化や衰退を指す語ではなく、・・が同時に薄まり、地域の機能が半ば停止した状態を表すために使われるようになったとされる。とくに後半のでは、旧軍用地の転用が進む一方で、仮設住宅と空き地が無秩序に増え、官僚たちがこれを「荒廃区画」と呼んだのが定着の契機であるとされる[3]。
一方で、当初の用法はかなり限定的であり、の一部文書では「荒廃」は「修復不能ではないが、再編に過剰な労力を要する状態」と定義されていた。この定義がやけに細かかったため、後年の研究者からは「制度が先にでき、概念が後から追いついた珍しい例」と評されている。また、地元紙の見出しに『荒廃一歩手前の商店街』のような表現が増えたことで、語感だけが独り歩きし、悲惨さを演出する便利語として全国に広がったともいう[要出典]。
起源[編集]
空白地視察と用語の誕生[編集]
荒廃の直接の起源は、にで行われた「空白地視察」にあるとされる。これは、失火や立ち退きで生じた空き地を、都市の欠損として記録するための実地調査で、と英国都市学者のが同行した。渡辺は視察後の報告書で、空き地の雑草密度がを超えると「視覚的荒廃」が急激に進むと記し、後世の学者を困惑させた[4]。
Thorntonはこれに対し、ロンドンで用いられていた "waste field" の語を紹介したが、翻訳の際に「waste」を「荒れ」とせず「荒廃」と訳したため、より制度的で重々しい語感が生まれたとされる。なお、当日の会議録には、なぜかの石畳の割れ方まで図示されており、これが後に「荒廃の可視化」と呼ばれる図表文化の出発点になった。
省庁間での採用[編集]
にはとの合同会議で、駅前広場の利用率低下を説明する用語として荒廃が採用された。とくに周辺の貨物跡地をめぐって、「見た目の荒廃」と「統計上の荒廃」を分けるべきだという議論が起こり、前者は景観、後者は乗降客密度で判定するという、非常に官僚的な二重基準が整えられた。
この制度化により、荒廃は単なる感傷語から半ば行政用語へ移行したが、現場では理解が追いつかず、区役所の若手職員が空き家の壁の剥落面積を定規で測る事態も起きた。記録によれば、の試験運用では内の14地区のうち9地区が「準荒廃」に指定され、住民が「何が準なのか」と抗議したため、基準がさらに細分化されたという。
学術化と荒廃指数[編集]
、は荒廃を数量化するため、「荒廃指数(WI)」を発表した。指数は、破損率、空地率、夜間照度、風の抜けやすさ、そして「通行人のため息回数」を合算して算出する方式で、研究者の間でも評価が割れた。とりわけ「ため息回数」は調査員の主観に左右されるため、同一地点でも日によって値が最大変動したとされる[5]。
ただし、この荒廃指数は意外にも保険会社に歓迎され、建物修繕費の算定や、火災後の仮設市場の配置に利用された。また、の一部商店街では「荒廃指数が高いほど家賃が下がる」として、逆に指数を上げる看板が掲げられた事例がある。これが「計測される荒廃」から「演出される荒廃」への転換点であったとする説が有力である。
歴史[編集]
戦時下の再定義[編集]
に入ると、荒廃は戦災地の語彙として急速に拡大した。しかし当局はこれを単なる被害表現としては扱わず、「再配置可能な荒廃」と「再配置不能な荒廃」に分け、後者を重点復旧対象から外すという独自運用を行った。これは実務上は便利であったが、現地では「紙の上では更地、現実では瓦礫」と皮肉られた[6]。
の終戦直後、内の調査班が撮影した写真には、焼け跡の手前に必ず電柱の影が写っており、これが荒廃の象徴図像として雑誌『都市と欠損』に繰り返し掲載された。編集者の一人は、のちに「電柱が一本立っているだけで人は回復を信じるが、荒廃はその一本を最初に折る」と書き残している。
高度成長期の再流通[編集]
には、荒廃はむしろ地方の過疎化や旧港湾の衰退を説明する語として再利用された。の倉庫街やの一部地区では、解体が先に進みすぎて新しい土地利用が追いつかず、「計画的荒廃」とも呼ばれた[7]。
この時期、の内部では荒廃を「負の余白」として扱う提案が出され、緑地化や広場化の前段階として積極的に残置する方針が検討された。もっとも、実際には予算の都合で何も手が付かなかった場所を、後から「意図された荒廃」と呼び直しただけだという指摘もある。
メディア表象と一般化[編集]
になると、荒廃は映画や写真集の題材として人気を得た。とくにの雑居ビルの屋上、の使われなくなったガード下、の高架下倉庫などが「都市の荒廃美」として撮影され、雑誌『Wasteland Review Japan』は創刊2号で発行部数を記録した。
一方で、作品化された荒廃は「実際の生活の不便さを美学で隠している」と批判された。ある批評家は、荒廃が人気になるとその周辺の家賃が上がり、住民が追い出される現象を「美的先行投資」と呼んで警戒したが、当の雑誌は翌号でその批評家の自宅写真を表紙にし、かなり露骨な反論を行った。
分類[編集]
荒廃は、研究史上しばしば、、の三類型に分けられる。景観的荒廃は壁面の剥落や雑草の繁茂など視覚要素を重視し、制度的荒廃は窓口閉鎖や路線廃止などの機能停止を含む。感情的荒廃は最も曖昧で、通行者が「ここはもう終わっている」と口にした時点で成立するとされた。
この三分類はきわめて便利であったため、地方自治体の研修資料でも頻繁に使われたが、現場では境界が曖昧で、同じ商店街が午前は制度的荒廃、夕方は感情的荒廃に振り分けられることもあった。なお、のの調査では、同一地区が12か月の間に合計分類替えされた記録が残っている。
社会的影響[編集]
荒廃という語の普及は、都市計画だけでなく、演劇、写真、広告にも影響を与えた。特に後半からは、荒廃した空間を「物語の始まり」とみなす文化が形成され、空き地や取り壊し現場が子どもの遊び場であると同時に、大人の懐古装置として消費されるようになった。
また、地方自治体の一部では、荒廃を避けるのではなく「管理された荒廃」をつくることで観光資源化を図る例もあった。の旧居留地風の倉庫群では、毎年に壁面の一部をわざと剥がす儀式が行われ、写真愛好家の間で「年次荒廃更新」と呼ばれた。もっとも、雨季に剥がれ方が過剰だったため、担当課は翌年から儀式を屋内化したという。
批判と論争[編集]
荒廃概念には、成立当初から「貧困や被災を過度に美化している」との批判があった。とくにの誌上では、荒廃指数が「生活困窮を装飾へ変換する装置」だとして激しい論争を呼んだ。また、空白地視察の記録に登場する雑草密度の数値についても、サンプル地点がわずか7か所しかなく、統計としては粗雑だったのではないかとの指摘がある[8]。
さらに、にはが荒廃を再定義し、災害後の空洞地帯を「回復猶予区域」と言い換えようとしたが、現場では「荒廃を言い換えただけでは何も変わらない」と反発が起きた。結局、文書上は新語、現地では旧語が使われる二重状態が続き、いまなお学会では「荒廃は用語なのか、現象なのか」が議論されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『空白地とその周辺—都市摩耗の記述法—』帝都書房, 1930年.
- ^ Margaret A. Thornton, “Wastefield and Civic Emptiness,” Journal of Urban Voids, Vol. 12, No. 3, 1931, pp. 44-67.
- ^ 内務省都市局編『荒廃区画調査報告書』官報附録, 1932年.
- ^ 帝国都市研究会編『荒廃指数(WI)算定要綱』研究叢書第4巻, 1937年.
- ^ 佐伯義雄『戦災地景の官僚語法』北斗館, 1949年.
- ^ Helen R. Madsen, “Managed Decay in Postwar Port Cities,” Transactions of the Society for Civic Restoration, Vol. 8, No. 2, 1964, pp. 101-129.
- ^ 『都市と欠損』編集部編『電柱の影—荒廃写真論集—』都心出版社, 1946年.
- ^ 高宮あやめ『荒廃の美学とその誤配』月影社, 1982年.
- ^ 国土再編庁政策研究室『回復猶予区域試案』庁内資料第17号, 2001年.
- ^ William J. Hargreaves, “The Problem of Beautiful Ruin,” Review of Municipal Afterlives, Vol. 5, No. 1, 1978, pp. 7-26.
- ^ 『荒廃と再利用の社会史』都市欠損学会紀要第21号, 1994年.
- ^ 小田切真理子『荒廃語彙の成立と崩壊』風景言語研究, 第9巻第2号, 2011年.
外部リンク
- 帝都荒廃資料館
- 都市欠損学会
- 空白地視察アーカイブ
- Wasteland Review Japan
- 回復猶予区域研究センター