蒸留権
| 名称 | 蒸留権 |
|---|---|
| 読み | じょうりゅうけん |
| 英語 | Distillation Right |
| 成立 | 14世紀後半(通説) |
| 起源地 | 神聖ローマ帝国領ボヘミア修道圏 |
| 性質 | 蒸留設備の優先利用権・課税特権・輸送先指定権の複合 |
| 主要適用 | 酒類、香料、医療用蒸留液、工業用溶媒 |
| 代表的管理機関 | 内務省 酒類蒸留監理局 |
| 廃止 | 1957年の全国統一蒸留法改正 |
| 関連条約 | ライン川蒸留協定 |
蒸留権(じょうりゅうけん、英: Distillation Right)は、液体を蒸留する行為について、特定の地域・用途・温度帯に限り優先的に行使できるとされた中世由来の上の権利である。近世のに端を発し、のちにの酒造統制やの燃料配給制度にも影響を与えたとされる[1]。
概要[編集]
蒸留権とは、蒸留という工程そのものを法的に囲い込むための権利制度である。単なる製造許可ではなく、樽の予熱、冷却蛇管の長さ、蒸気圧の上限、さらに「最初に滴下した3%の液を誰が所有するか」までが含まれたとされる[2]。
この制度は、の法学者が15世紀の注釈書で定式化したとされるが、実際には西部の修道院で既に運用されていたとの説もある。特に期の財政難のなか、葡萄酒の再蒸留に対して「再熱の二度目から税が発生する」という奇妙な規定が成立したことが、後世の蒸留権の原型になったとされている[3]。
概要[編集]
蒸留権は、封建的なと近代的なの中間に位置する概念として理解されることが多い。もっとも、当時の史料には「権利」よりも「湯気の順番」「香の先取権」などと表現されている箇所が多く、制度の輪郭は極めて曖昧であった。
18世紀にはの香水産業がこの権利を再解釈し、蒸留権を保有する家系のみが産ラベンダーの初留分を扱えるようになった。これに対し、の船舶修理工たちは「港湾での蒸気採取まで管理されるのは不合理である」と抗議し、1768年の「銅釜事件」へと発展したとされる。
歴史[編集]
中世の成立[編集]
蒸留権の最古の例は、に近郊ので確認されたとされる。修道院では病人向けの薬用酒をつくるため、1日3回までの蒸留が許され、その代わり修道士は冬季に沿いの税関へ「蒸気札」を届ける義務を負ったという[4]。
この蒸気札は、薄い羊皮紙にワイン蒸留の予定時刻を書き込んだもので、提出が1時間遅れると蒸留釜の蓋に封印が施された。なお、同年の記録には「封印を解くには12人の証人が必要であった」とあるが、実際に証人が12人も集まったのかは疑わしい。
都市国家と課税化[編集]
に入ると、蒸留権は都市の財源として急速に重要性を帯びた。では、市参事会が「毎週火曜の午後のみ再蒸留を認める」という条例を公布し、違反者には銅製の計量器を逆さにして一晩吊るす罰則が設けられたとされる。
この制度により、蒸留器を持たない商人は権利保有者から初留分を借り受けることになり、いわば「権利の転貸市場」が発生した。会計帳簿には、蒸留権の担保としてとが差し入れられた例まで確認されている。
近代化と国有化[編集]
になると、蒸留権は工業化の波を受けてに吸収されていく。では後、蒸留所の煙突の高さが税額に連動する「煙突比例課税」が導入され、これを管理するためにが「蒸留権換算表」を作成した。
日本では22年にが洋酒工場の許認可を整理する過程で、旧藩主家が保持していたとされる蒸留権を一旦「慣行的所有」として認めた。しかしの中之島で起きた「二重冷却槽論争」以後、蒸留権は事実上の行政許可へと変質したとされる[5]。
制度の内容[編集]
蒸留権の中核は、蒸留釜に対する優先使用権であるが、実務上はそれだけではなかった。たとえば、製の釜を使う際には「月齢が満ちる前夜にのみ初留を抜くこと」、樽で熟成する場合には「樽口の向きを東南東に揃えること」が附帯条件とされた[6]。
さらに、権利者は「蒸留済みであること」を示すため、液面に浮かぶ微細な油膜の形を役所へ提出することを求められた。このため一部地域では、蒸留職人の子弟が油膜の輪郭を写す訓練を受け、では一時期「油膜写図士」という半官半民の職能が成立したとされる。
また、蒸留権の譲渡にはの立会いだけでなく、権利の温度を記録した「熱帳簿」の添付が必要であった。熱帳簿の欄外にはしばしば「この行は冷えすぎて読めない」などと書かれており、後世の研究者を悩ませている。
社会的影響[編集]
蒸留権の普及は、酒造業のみならず、、にまで及んだ。とりわけ期には、や燃料代替液の製造が急増し、の工場地帯では「蒸留権のある家屋は空襲で先に守られる」という噂まで生まれた[7]。
一方で、権利が細分化しすぎた結果、隣家の蒸留器から上がる蒸気がどちらの敷地に属するのかを巡る訴訟が多発した。特にの蒸気境界訴訟では、裁判所が「蒸気は土地に附合するが、匂いは風に属する」と判示したとされ、法学史上しばしば引用される。
この制度は、のちに地方議会が公共料金を説明する際の比喩としても流用された。すなわち「蒸留権のあるところに監督があり、監督のあるところに徴収がある」という標語である。
批判と論争[編集]
蒸留権に対する批判は早くから存在した。自由主義者は、液体を加熱して気化させ、再凝縮させる単純な操作にまで権利を設けるのは「湯気への課税」であるとして非難した。また、初頭にはの国際法学会で、蒸留権が上の船舶に及ぶかどうかが真面目に議論され、結論は3票差で先送りとなった[8]。
もっとも、最大の争点は「蒸留権は誰のものか」ではなく「蒸留権を行使しない権利はあるのか」であった。これに対しの学派は、「権利の放棄もまた蒸留である」という難解な命題を提示し、以後の法学教育に奇妙な影を落とした。
なお、1950年代に行われた廃止交渉では、最後まで残った利害関係者がの初留試験を巡って対立したため、会議が2日延長されたとされる。議事録の一部には「そもそも炭酸は蒸留より先に逃げる」との書き込みがあり、委員長が頭を抱えたという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ ヴァンデルメール, エティエンヌ『蒸留権注釈集』ブリュッセル法制出版社, 1498年.
- ^ Krüger, Hans. The Juridical Vapour: Distillation Privileges in Central Europe. Vol. 12, No. 3, pp. 201-244, Cambridge Historical Review, 1987.
- ^ 田中義則『近世ヨーロッパの蒸留税と都市財政』東京法学館, 1974年.
- ^ Moreau, Claudine. “The Copper Still and the Crown: Municipal Rights over Spirits.” Vol. 8, No. 1, pp. 33-59, Journal of European Economic Rituals, 2001.
- ^ 山口真帆『蒸気札の行政学』大阪大学出版会, 1992年.
- ^ Schneider, Ulrich. Distillation and Dominion: A Treatise on Heat, Law, and Sovereignty. Vol. 21, No. 4, pp. 411-452, Zeitschrift für Rechtsgeschichte, 1999.
- ^ 中井紘一『明治酒造行政史料集』内務省史料研究所, 1968年.
- ^ Bennett, Eleanor. “Boundary Fog Litigation in the Hanseatic Ports.” Vol. 17, No. 2, pp. 88-117, Maritime Legal Studies Quarterly, 2010.
- ^ 小島春彦『香りの課税と国家形成』勁草書房, 2005年.
- ^ García, Inés. The Right to Distill: From Monastic Pharmacies to Industrial Solvents. Vol. 5, No. 2, pp. 144-173, Iberian Journal of Administrative Antiquities, 2015.
- ^ 『熱帳簿とその読解不能性について』第3巻第7号, pp. 12-41, 蒸留史学会紀要, 1938年.
- ^ Müller, Karl-Heinz. 蒸留権と炭酸飲料の国際会議. Vol. 2, No. 5, pp. 5-19, Archiv für Erfundene Wirtschaftsordnung, 1962年.
外部リンク
- 蒸留史研究会
- 欧州香料法資料館
- 中世税制アーカイブ
- 日本蒸気権法学会
- 帝都法制文庫