薬島市
| 名称 | 薬島市 |
|---|---|
| 種類 | 医療複合施設 |
| 所在地 | 鹿児島県熊毛郡 |
| 設立 | 1978年 |
| 高さ | 47.6 m |
| 構造 | 鉄筋コンクリート造・耐潮圧外壁 |
| 設計者 | 渡辺精一郎、M. A. Thornton |
薬島市(やくしまし、英: Yakushima City Medical Complex)は、にある[1]。島内のとを統合した拠点として知られている[1]。
概要[編集]
薬島市は、南部の離島医療を統合するために建設されたである。現在では、診療棟、救急ヘリポート、薬草温室、及び離島戸籍室を併設する複合的な拠点として運用されている。
名称は、建設当初に敷地内で発見された「薬島文書」に由来するとされるが、文書の実在性については一部で疑義がある。なお、開業直後からとの共同調査対象となり、島嶼部における医療施設の標準モデルとして扱われた。
名称[編集]
薬島市という名称は、古くからこの地域に伝わる「薬草の浮島」伝承に由来するとされている。もっとも、現地の古老によれば、元来は「薬師島」だったものが、40年代の測量図で誤記され、そのまま施設名として定着したという。
一方で、設計主任であった渡辺精一郎は、命名にあたり「医療は都市であるべきだが、島は都市を持てない」という発想から、あえての字を用いたと回想している。この発言は講演録に残るが、同席者の証言では「かなり酔っていた」とされるため、後年になって注目を集めた。
沿革[編集]
構想の成立[編集]
、西之表保健事務所の臨時会議において、離島医療の分散化を解消する案として「島内総合医療拠点」の設置が提案された。これが薬島市構想の起点であり、当初は診療所3棟と倉庫1棟のみの簡素な計画であった。
しかし、被害による建材輸送の遅延を契機に、施設を一体化した高床式構造へ変更する案が採用された。これにより、高さ47.6mという離島施設としては異例の規模となり、のちに「島にしては高すぎる」として住民説明会が紛糾した。
建設と開業[編集]
建設はに着工し、に竣工した。設計には工学部の若手研究者に加え、米国の病院建築専門家であるが協力したとされるが、彼女の来島記録は不完全であるため、招請の経緯には不明点が多い。
開業式では、屋上の救急灯がの照明と誤認され、近隣漁船が一斉に港へ引き返す騒ぎが起きた。これが施設の知名度を一気に高め、翌年には島外からの視察が年間312件に達したとされる。
制度化と拡張[編集]
に入ると、薬島市は診療機能だけでなく、薬草培養、海難救護、感染症隔離の三機能を併設する「島嶼複合衛生モデル」として再編された。特に、潮風による薬剤劣化を防ぐための半地下倉庫は高く評価され、全国の離島施設に模倣された。
ただし、2004年に導入された「夜間歩行診療路」は、満潮時に床面が光るため観光客の写真撮影スポットになり、救急搬送の動線を妨げるとして問題化した。これに対し、管理委員会は床面の輝度を0.8ルクス下げることで妥協したという。
施設[編集]
薬島市は、中央診療棟、薬草温室、救急塔、資料庫、および来島者用の健康観測回廊から構成される。中央診療棟は地上6階・地下2階で、島の建築物としては珍しく、上層階に透析室、下層階に気象観測室を備える。
薬草温室では、、、及び「黒潮ミント」と呼ばれる独自品種が栽培されている。黒潮ミントは、強風の日に葉がすべて同じ方向へ傾く性質があるため、避難訓練の風向指標として用いられてきた。
また、屋上の救急ヘリポートは、平時には「島の広場」として開放されているが、年に12回だけ「無音離着陸訓練」が行われる。この訓練では、運営側が鐘を鳴らさずに着陸を成功させることを目標としており、成功率は2022年度で83.4%であったとされる。
交通アクセス[編集]
薬島市へのアクセスは、を経由し、島内連絡バス「やくしお号」に乗り換えるのが一般的である。施設前には専用桟橋があり、方面からの医療物資輸送船が1日2便発着する。
もっとも、最も有名なのは「徒歩で行くと3時間半、ただし雨天時は2時間短縮される」とされる旧参道である。これは傾斜の多い石段に沿って建てられた避難路で、かつては参拝道として整備されていたものを、昭和末期に救急導線へ転用したものである。
なお、施設職員の間では、満潮時にだけ現れる「白い標識灯」を目印に進む慣習がある。地元ではこの灯りを「帰院灯」と呼び、夜間の迷走防止に役立っている。
文化財[編集]
薬島市本館は、に「離島近代医療建築」としての登録有形文化財に準ずる扱いで保存指定を受けている。また、開業当初に使用された手書きの患者分類帳は、の地方史資料として収蔵されている。
さらに、正面玄関の脇に設置された「潮汐式手洗い場」は、潮位に応じて水圧が変化する独特の装置として有名である。これは水の節約を目的に導入されたが、実際には来訪者が手を洗うたびに時刻表を確認する必要があり、文化財というよりは半ば儀式装置として扱われている。
一方で、保存運動の過程で「施設全体を医療史の記念碑とみなすべきか、それとも現役インフラとして更新すべきか」をめぐる論争が起きた。結果として、外観保存と内部改修を両立する方針が採られたが、これにより配管だけが妙に新しい建物として知られるようになった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『離島医療建築試論――薬島市計画の成立』日本建築学会出版局, 1981.
- ^ M. A. Thornton, “Tidal Hospitals and Emergency Rooflandings,” Journal of Island Infrastructure, Vol. 12, No. 3, pp. 44-67, 1980.
- ^ 鹿児島県医療政策課『南西諸島医療配置史』鹿児島県庁資料室, 1994.
- ^ 佐伯光雄『潮風に耐える建築――薬島市とその周辺』建築文化社, 1998.
- ^ 厚生省離島保健企画室『離島総合衛生拠点の運用指針』行政資料第18号, 1979.
- ^ H. Nakamura, “The Chronology of Yakushima City Complex,” Asian Review of Medical Geography, Vol. 7, No. 1, pp. 101-129, 2002.
- ^ 西村佳代子『薬草温室の系譜と黒潮ミントの培養』南方植物研究会叢書, 2010.
- ^ 『薬島市開業記念式典速記録』熊毛郡史編纂室, 1978.
- ^ Margaret A. Thornton and Kenjiro Aso, “A Roof Too Tall for an Island,” Proceedings of the 9th Pacific Hospital Symposium, pp. 211-219, 1981.
- ^ 平田十郎『潮汐式手洗い場の実用と神秘』衛生建築年報 第4巻第2号, 2016.
外部リンク
- 薬島市保存会
- 南西離島医療アーカイブ
- 鹿児島県建築年表データベース
- 島嶼衛生研究センター
- 黒潮ミント育成協議会