街路樹のパラドックス
| 分野 | 都市計画、景観設計、道路行政 |
|---|---|
| 提唱者 | 黒川 恒一郎、E. M. Hastings ほか |
| 提唱年 | 1964年 |
| 初出 | 東京都道路緑化試験報告 第12号 |
| 主な対象 | 街路樹、歩道、商店街、幹線道路 |
| 関連機関 | 建設省道路局、国際都市樹木協会 |
| 影響 | 緑化政策、交通設計、不動産広告 |
| 通説 | 便利さを増すほど不便さも増す |
| 異説 | 樹冠の影が意思決定を遅らせる |
街路樹のパラドックス(がいろじゅのパラドックス、英: Street Tree Paradox)は、においての快適性を高めるために植えられたが、結果として通行量・視認性・不動産価値のいずれをも不安定化させるとされる仮説的現象である[1]。のとの比較研究を起点に広まったとされるが、その成立にはよりもの都合が深く関わっていたとする説が有力である[2]。
概要[編集]
街路樹のパラドックスとは、街路樹を増やすことで都市環境は一見よくなるものの、実際にはの見えにくさ、の増加、落葉処理費の肥大化などが連鎖し、政策目的が部分的に相殺される現象を指すとされる。一般には「木を植えるほど道路が穏やかになるが、行政文書は荒れる」とも言い換えられる。
この概念は、単なる景観論ではなく、後期の都市拡張期におけるの自己矛盾を可視化したものとして扱われた。なお、初期の研究者たちは本来これを「緑陰による歩行速度の低下」と呼んでいたが、の広報担当が「パラドックス」という語を好んで採用したため、学術用語として定着したとされる[3]。
成立の経緯[編集]
起源は、が周辺で実施した試験植栽にさかのぼるとされる。担当技師のは、幅員8.4メートルの道路にを等間隔で植えることで夏季の歩行快適度が17.2%上昇すると報告したが、同時に交差点付近での右折事故が月平均1.3件増えたことを見落としていたという。
一方、同時期にので調査を行っていたは、樹木の根が排水管に与える影響を詳細に記録し、舗装の再工事費が「植栽費の3.8倍に達しうる」とする算式を提示した。両者の研究は本来独立であったが、ので偶然同じ壇上に立ったことから、相補的な現象として束ねられたとされる[4]。
理論[編集]
快適性増幅説[編集]
快適性増幅説は、街路樹が生み出す木陰と心理的安心感が歩行者を増やし、その増加自体が騒音・混雑・滞留を招くとする見解である。のは、樹冠率が15%を超えると商店前の平均滞留時間が1.9倍になる一方、回遊率は0.74倍に低下するとした。ただしこの数値は、の日に測定された27区画のみを使ったもので、現在では「やや熱心すぎる集計」と評されている。
視認阻害説[編集]
視認阻害説では、枝葉が、看板、監視カメラの視界をわずかに奪うことが、行政判断の遅延を生むとされる。の内部資料によれば、樹木の剪定時期が1週間ずれるごとに、交差点改良会議の開催件数が0.6回増加したという。もっとも、同資料の末尾には「会議数増加と樹木密度の因果は未確認」と小さく書かれており、後年の研究者を苦笑させた。
地価反転説[編集]
地価反転説は、街路樹があることで一時的に地価が上昇するが、落葉清掃や根上がり補修の費用が可視化されると、実需層が敬遠し、半年から3年の遅れをもって下落に転じるという説である。の1978年調査では、並木道の店舗賃料は平均で9.8%上振れしたが、更新契約率は逆に11.4%低下した。なお、同調査の調査票には「木の影がロマンチックすぎる」という自由記述欄があり、当時の編集委員会で議論になった。
歴史[編集]
には、の終盤に生じた「植えるべきか、切るべきか」の行政対立を象徴する語として各地ので流通した。特にでは、幅員12メートル未満の道路における新規植栽を巡り、緑化課と道路課が3年にわたり文書で応酬した記録が残る。
、がまとめた『都市街路緑化と住民満足度に関する覚書』では、街路樹のパラドックスが「緑化政策の成功が、その成功を維持するための費用を急増させる状態」と定義された。この定義は非常に便利であったため、のちにやの答弁にまで流用されたとされる[5]。
に入ると、の民間研究会「アーバン・トゥリー・ラボ」が、樹木の種類によってパラドックスの強度が異なると主張し、型、型、型の3分類を提示した。これにより、街路樹の議論は行政コストの話から半ば風水に近い領域へと拡張された。
社会的影響[編集]
この概念は、の自治体における緑化政策に独特の慎重さをもたらした。たとえばでは、1991年から1997年までの6年間、駅前の新規植樹が「景観向上の可能性があるが、維持管理の予算を見積もると会計課が沈黙する」という理由で保留されたという。
また、やの間では、街路樹のパラドックスを逆手に取った「木陰を売る広告」が流行した。これは、樹木の有無を実際よりも大げさに比較する手法で、ある分譲地では「お隣は葉が多いので、夏は会話が短くなる」といった奇妙なコピーが採用された。なお、この広告が売上に寄与したかは不明であるが、問い合わせ件数は2週間で43件から91件に跳ね上がったとされる[6]。
一方で、の一部はこの概念を、伐採の口実として利用されることを警戒した。とりわけの「並木を守る会」は、街路樹のパラドックスが「木を切るための学問的な顔」を持つと批判し、剪定会議の公開を求める署名を1,284筆集めた。
批判と論争[編集]
批判の第一は、街路樹のパラドックスがしばしば「何でも木のせい」にしてしまう点である。実際には、渋滞も苦情も予算不足も、単に道路設計が不十分なだけである可能性が高いとのは指摘している。
第二の批判は、統計の扱いが恣意的であることである。初期研究の多くは、だけ、あるいはの翌日だけを対象にしており、これをもって年間傾向と見なすのは無理がある。ただし、反論側もまた「街路樹の影に入ると人は寛容になるため、厳密な測定はできない」と主張しており、議論は平行線をたどっている。
さらに、のでは、「パラドックス」という名称自体が過剰にドラマチックであるとして、の研究者が「これは単なる管理費の問題ではないか」と発言した。しかし、この発言は通訳により「管理費こそが都市の哲学である」と訳され、会場が一時ざわついたという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒川 恒一郎『東京都道路緑化試験報告 第12号』東京都建設局出版課, 1965年, pp. 14-39.
- ^ E. M. Hastings, “Urban Canopy and the Administrative Delay,” Journal of Civic Arboriculture, Vol. 8, No. 2, 1968, pp. 101-128.
- ^ 三輪田 進『樹冠率と歩行者滞留の相関』京都府立大学都市環境研究紀要 第4巻第1号, 1972年, pp. 55-73.
- ^ 国土庁都市計画局『都市街路緑化と住民満足度に関する覚書』政策資料集 第7輯, 1982年, pp. 3-18.
- ^ Urban Tree Council, Proceedings of the International Urban Tree Conference 1967, London: Civic Press, 1968, pp. 211-244.
- ^ 佐伯 真理『街路樹と渋滞の誤差項』交通計画レビュー 第19巻第3号, 1991年, pp. 77-96.
- ^ Claire Dubois, “The Philosophy of Maintenance Fees,” Revue Européenne d’Urbanisme, Vol. 12, No. 4, 1999, pp. 44-51.
- ^ 大阪府アーバン・トゥリー・ラボ『街路樹の型分類と都市感情への影響』研究報告書, 1994年, pp. 6-29.
- ^ 横浜市景観局『駅前街路樹再編計画の経過』内部記録集, 1998年, pp. 1-22.
- ^ Margaret H. Lennox, “When Shade Becomes Policy,” The Municipal Botanist, Vol. 5, No. 1, 1979, pp. 9-33.
外部リンク
- 都市緑化史料館デジタルアーカイブ
- 国際街路樹協会
- 道路景観政策研究所
- 並木と行政の会
- アーバン・キャノピー便覧