裏マルスで
| 名称 | 裏マルスで |
|---|---|
| 読み | うらまるすで |
| 英名 | Ura Marsude |
| 初出 | 1897年ごろ |
| 提唱者 | 渡辺精一郎(諸説あり) |
| 主な用途 | 帳票補強、暗号化、回覧文の改竄防止 |
| 中心地域 | 東京、横浜、神戸 |
| 関連機関 | 内務省文書改行整理係、帝国印刷技術研究会 |
裏マルスで(うらまるすで)は、後期にの印刷工房で発生したとされる、文末に見えない補助層を付与する特殊な記述法である。一般にはの一種として知られている[1]。
概要[編集]
裏マルスでとは、文の末尾に明示されない補助説明を重ね、読み手だけに別の意味を残すための記述慣行である。表面上は通常の文であるが、実際には行間の操作を前提とする点で、のちのやの注記体系に近いとされる。
この手法は、の港湾帳簿において、紙幅を節約しながら搬入先ごとの事情を保持する必要から生まれたとする説が有力である。ただし、初期の実態はかなり曖昧で、単なる書き癖だったものが周辺の研究者によって理論化されたとの指摘もある[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
1890年代末、日本橋の印刷工房「三栄組」では、配達先ごとに異なる注意書きを一枚の紙に収めるため、本文の末尾にだけ点と空白を重ねる工夫が行われていたという。これが裏マルスでの原型であり、工房主の渡辺精一郎が「マルス式裏層」と呼んだ記録がの断片資料に残るとされる。
一方で、同時期のの輸入帳では、英字の横に小さな朱線を引く類似の方法が確認されており、複数地域で独立に発生した可能性がある。なお、1901年の『行間補正試験報告』には、裏マルスで使用時の紙損率が通常帳簿の1.8倍に達したと記されているが、当該数値の算定方法は不明である[3]。
普及[編集]
期に入ると、裏マルスではの旅客照会票で半ば標準化され、各駅の事務室で独自の流儀が生まれた。とくにとでは、同じ文面でも裏層の厚みが異なり、駅務員の間で「新橋は薄い、上野は重い」と評されたという。
1927年にはが「裏マルスでに関する暫定推奨案」を公表し、文末の余白を0.7ミリ以内に抑えること、補助情報は句点の手前に暗示させることなどを定めた。しかし、同案は現場でほとんど守られず、むしろ“守られなさ”が裏マルスでの独自性として再評価されたとされる。
衰退と再評価[編集]
30年代以降、タイプライターと複写機の普及により、裏マルスでは事務実務から急速に姿を消した。だが、の資料整理班が古い帳票群から裏層の痕跡を検出し、これを「文書の沈黙部分」として再定義したことで、研究対象として復活した。
1994年にはの学生らが、裏マルスでを応用したインスタレーション《読めない納品書》を発表し、観客の3割が展示品を本物の会計資料と誤認したと報告されている。展示後、会場の役所から照会が入ったという逸話が残るが、真偽は確認されていない[4]。
技法[編集]
裏マルスでの基本は、文末に直接書かれない情報を、紙面の配置、改行位置、句読点の圧、さらにはインクの濃淡で伝える点にある。熟練者は1枚の帳面に対し最大6層の意味を重ねたとされ、上層は通常の意味、中層は担当者向け注意、下層は印刷所の都合を示すという三重構造が一般的であった。
とくに有名なのは「裏返し二重付け」と呼ばれる手法で、本文の最後をわずかに左に寄せることで、の順序を暗示するものである。これを読める職員は全体の17%程度に過ぎなかったと『東京文書符号年報』は述べるが、同書の調査対象がわずか23名であったため、統計としてはやや心許ない。
また、裏マルスでは句点の直後に空白を置かず、あえて行頭に2文字分の“ためらい”を残す慣行があった。このため、当時の校正者は「文章が終わっていないのに終わった気配がある」と苦情を述べた一方、の一部ではこの曖昧さが高く評価された。
社会的影響[編集]
裏マルスでは、単なる記法にとどまらず、文化そのものに影響を与えたとされる。たとえば、同一の通知文が部署ごとに異なる解釈を許容することで、書面上の責任所在をぼかしつつ、現場運用の柔軟性を確保できたという。
この性質は、戦時下の物資配給票や戦後の自治体回覧文にまで波及し、内のある区では、裏マルスでによる「読まれないけれど破棄もしづらい文書」が月平均412通も発生したとされる。これに対し、住民からは「内容が丁寧だが、要点が一向に見えない」との苦情が寄せられた。
一方で、文学者のは、裏マルスでを「日本語の沈黙を制度化した最初期の技術」と評した。彼女の論文は後年の研究に影響を与えたとされるが、引用のされ方が妙に都合よく、学界では半ば伝説として扱われている[5]。
批判と論争[編集]
裏マルスでには、初期から批判も多かった。最大の論点は、裏層の解釈が担当者ごとに異なり、同じ文書でも意味が反転しうる点である。1933年の地方税務局では、裏マルスでの読解ミスにより納付期限が3日延びたとされ、以後、庁内での使用が原則禁止となった。
また、戦後の研究者の間では、「裏マルスで」は実在の慣行ではなく、後世の編集者が複数の職場メモを接ぎ木して作った概念ではないかという見方も強い。これに対して支持派は、の倉庫から発見された“裏層付き納品伝票”を根拠に挙げるが、その伝票には日付の横にどう見ても鉛筆で「練習」と書かれている。
それでもなお、裏マルスでが魅力的であるのは、説明しきれない余白を「制度」として保存しようとした点にある。情報の確実性よりも、運用の実感を優先したこの姿勢は、今日のデジタル文書管理に対する逆説的な先駆とみなされることもある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『裏層文書の実務と変奏』帝国印刷協会, 1908年.
- ^ 安藤静子『沈黙する帳票――裏マルスで研究序説』東京書房, 1956年.
- ^ 佐伯一馬『行間補正試験報告書』内務省文書局, 1901年.
- ^ M. Thornton, The Hidden Margin in Japanese Clerical Writing, Journal of Comparative Paleography, Vol. 12, No. 3, 1974, pp. 44-71.
- ^ 中村喜代『裏書き文体史論』日本記号学会, 第8巻第2号, 1982年, pp. 113-129.
- ^ R. H. Weller, Notes on Ura-Marsude and Office Silence, Asian Documentary Studies, Vol. 5, No. 1, 1991, pp. 9-26.
- ^ 高橋鈴代『改行の政治学』みすず印刷, 2003年.
- ^ 藤井光太郎『裏マルスで再考』国立国会図書館調査資料, 2011年.
- ^ Eleanor P. Grant, Margin Cultures of East Asia, Cambridge Office Press, Vol. 2, No. 4, 2018, pp. 201-233.
- ^ 山口澄人『文末のない文末』河内出版, 2020年.
- ^ 小泉真理子『裏マルスでと紙の呼吸』日本紙業評論, 第19巻第7号, 2022年, pp. 5-18.
外部リンク
- 帝国印刷技術研究会アーカイブ
- 国立会議文書余白研究センター
- 裏層文体データベース
- 東京記号史資料館
- 行間行政フォーラム