近衛文麿(お笑い芸人)
| 名前 | 近衛文麿 |
|---|---|
| 画像 | なし |
| キャプション | 寄席番組収録時の宣材写真とされる |
| 本名 | 近衛 文麿 |
| 生年月日 | 1959年4月17日 |
| 出身地 | 東京都千代田区麹町 |
| 血液型 | O型 |
| 身長 | 171 cm |
| 方言 | 東京弁 |
| 最終学歴 | 東都演芸学院 演芸構成科 |
| 師匠 | 三代目 速水柳橋 |
| 弟子 | 桂木ひかる、堀内ミント |
| 相方 | なし |
| 芸風 | 格調高い貴族漫談、宮中風コント |
| 事務所 | 雅楽亭プロダクション |
| 活動時期 | 1980年 - |
| 他の活動 | ラジオDJ、式典監修 |
| 配偶者 | あり |
| 親族 | 近衛家分家を自称 |
| 受賞歴 | 東京漫談新人賞、都民芸能功労章 |
| 公式サイト | 雅楽亭プロダクション公式プロフィール |
近衛文麿(このえ ふみまろ、〈34年〉 - )は、の、、。本名、近衛 文麿(このえ ふみまろ)。所属[1]。
略歴[編集]
近衛は、の旧華族街に生まれたとされるである。幼少期からとの両方に親しみ、式次第を笑いに転化する独自の手法を身につけたことで知られる[1]。
にへ入学し、在学中は「声に品がありすぎて逆に笑える」と評された。卒業後の、の小劇場で初舞台を踏み、としても活動を開始した[2]。
メンバー[編集]
単独芸人として活動しているが、初期資料では「内閣式ボケ係」「勅任ツッコミ係」の二役を自ら名乗っていたため、一部の研究者は擬似コンビとして扱うべきだと主張している[要出典]。
ツッコミは主に「形式の崩し」、ボケは「儀礼の過剰化」に置かれ、観客に本来の順序を忘れさせたうえで、最後に礼法だけを正しく締める構造が特徴である。本人はこれを「片輪の漫才ではなく、片輪の儀式」と呼んでいた[3]。
来歴[編集]
結成前夜[編集]
近衛は後半、の料亭で行われていた小規模な宴席余興に参加し、客が箸を置くタイミングを即興で読み上げる芸で注目を集めた。これが現在の「着席型漫談」の原型とされる[4]。
また、当時のの若手ディレクターだった斎藤一之介により、深夜実験番組『笑点外』へ抜擢されたことが転機となった。番組内で披露した「皇室のようでいて皇室ではない挨拶」が話題となった。
東京進出[編集]
に活動拠点をへ移した。以後は周辺の寄席、ホテルの式典、自治体の記念式典を中心に出演し、いわゆる「祝い事の合間に笑いを挟む芸人」として認知された[5]。
にはの年末特番『日本の礼』で司会を務め、視聴者から「笑っていいのか分からないのに、最後まで見てしまう」と評された。なお、この回の平均視聴率は14.2%で、同枠としては異例の数字であったとされる。
芸風[編集]
近衛の芸風は、を基盤に、、式辞の読み上げを混交させたものである。とくに、威厳のある口調のまま些細な失敗を重ねる「品位の累積崩壊」は代表的な手法で、の審査員経験者からも「笑いの前に空気が整う」と評された[6]。
ネタ作成は基本的に本人が担当したが、晩年の一部の式典ネタは、秘書役の作家・が儀礼部分を監修していたという。本人は「笑わせるのではない、座を品よく壊すのである」と述べたとされる。
出囃子は『変奏曲・三拍子版』である。客席が静まり返った瞬間に幕が上がるため、初見では開演なのか閉会なのか判別しづらいことが、逆に人気を博した。
エピソード[編集]
、外苑で行われた植樹祭の余興に出演した際、開口一番で「本日、わたくしは木を褒めに参りました」と述べ、式典関係者を困惑させた。しかしその後、植樹された記念樹の本数を即座に言い当て、会場を沸かせたという。
にはでの防災啓発イベントで、避難経路の説明をすべて五・七・五で行い、参加者から高評価を得た。なお、このときの台本は全24ページあったが、近衛本人が実際に読んだのは3ページ分のみで、残りは間を使って処理したとされる。
の単独公演『御前で笑え』では、客席に配られた菓子折りの包み紙にネタのオチが印刷されており、先に読んだ観客と読まなかった観客の間で笑いの発生順がずれる現象が報告された[要出典]。
受賞歴[編集]
に『東京漫談新人賞』を受賞し、授賞理由は「芸人でありながら、司会者が失敗したような安心感を作り出す点」であった。以後、の『都民芸能功労章』、の『日本式典文化振興賞』を受賞している[7]。
また、の前身とされる社内大会『R-0試演会』では、3年連続準優勝であった。本人は「優勝すると格が下がる型の芸である」と語ったが、記録上の正式発言かどうかは定かでない。
出演[編集]
テレビ番組[編集]
系『深夜の玉座』、系『笑礼講座』、総合『暮らしの式辞』などに出演した。とくに『笑礼講座』では、冠番組ではないにもかかわらず、実質的な冠番組のような扱いを受けた[8]。
現在はの『今夜は儀式で笑う』に不定期出演している。過去には系の年末特番で「司会者が進行を忘れた回」を一人で成立させたとされる。
ラジオ・配信[編集]
のラジオ番組『近衛文麿の静かな大騒ぎ』では、深夜2時台にもかかわらず葉書が年間約3万通届き、うち半数が式次第の添削依頼だったという[9]。近年はの小規模番組で、若手芸人に「礼法を守ってボケる」講義を行っている。
作品[編集]
単独DVD『近衛文麿の礼式漫才大全』は、販売初週で推定1,800枚を記録した。内容の大半が沈黙と会釈で構成されているにもかかわらず、劇場物販では完売日が出たとされる[10]。
また、書籍『笑いの中の格式』、『三拍子で読む日本式典史』などを刊行している。もっとも、後者は実際にはエッセイ集ではなく、式典の待ち時間に配られる手順書を再編集したものである。
関連人物[編集]
師匠は三代目で、近衛に「笑いは崩すのではなく、整えたうえで倒すのだ」と教えたとされる。同期には出身の宮沢サブロー、早川みね子がおり、いずれも礼装ネタの影響を受けたという[11]。
近年は弟子のが「式典の間を読む芸」を継承しつつある。また、では、構成作家・音響・所作指導を一括で抱える珍しい体制が敷かれていた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 大杉七朗『礼式と笑いの境界線』雅楽亭書房, 2009, pp. 41-63.
- ^ 斎藤一之介「深夜番組における格式笑いの成立」『放送文化研究』第12巻第3号, 1992, pp. 14-29.
- ^ 近衛文麿『笑いの中の格式』都心出版, 2005.
- ^ 宮沢サブロー「着席型漫談の台本構造」『演芸学報』Vol. 18, No. 2, 2011, pp. 88-104.
- ^ 田中和重『式典芸の歴史』北辰社, 1998, pp. 201-219.
- ^ 山本玲子「NHK深夜実験枠と観客反応」『メディア史年報』第7号, 1994, pp. 55-71.
- ^ 三代目速水柳橋『芸は会釈に始まり会釈に終わる』柳橋文庫, 1987.
- ^ 東京都芸能振興協会編『都民芸能功労章受章者名鑑』協会出版, 2009.
- ^ Harold P. Finch, "The Politics of Polite Laughter", Journal of Comparative Entertainment Studies, Vol. 9, No. 1, 2013, pp. 3-22.
- ^ 『近衛文麿の礼式漫才大全』付属解説冊子、雅楽亭プロダクション, 2004.
- ^ 黒田新太郎「包み紙オチ現象の観客心理」『舞台受容研究』第5巻第4号, 2006, pp. 121-138.
外部リンク
- 雅楽亭プロダクション公式プロフィール
- 日本式典芸研究会アーカイブ
- 近衛文麿資料室
- 深夜実験番組データベース
- 東都演芸学院同窓会