造語税
| 名称 | 造語税 |
|---|---|
| 別名 | 新語課徴金、語彙登録料 |
| 分類 | 言語行政・広告課税 |
| 提唱時期 | 1912年頃 |
| 主な導入地域 | 東京府、神奈川県、長崎県の一部 |
| 主管 | 内務省 標語審査局 |
| 廃止 | 1948年頃に実質廃止 |
| 関連法 | 臨時語彙登録令 |
造語税(ぞうごぜい、英: Neologism Tax)は、新たに作られた語句の流通量や定着速度に応じて課されるとされた上の制度である。主として末期ので構想され、その後期の都市広告行政と結びついて広く知られるようになった[1]。
概要[編集]
造語税は、新聞・広告・演説・商品名などにおいて、既存語彙から著しく逸脱した新語を用いた際に課税または届出を求めた制度であるとされる。制度の名目は言語の混乱防止であったが、実際には都市部で氾濫した宣伝文句の統制と、自治体の財源確保を兼ねていたとみられている[2]。
この制度は、の商業地区で流行した過剰な新語表現、たとえば「瞬感」「熱響」「速美」などの造語をめぐる苦情処理から発展したという。なお、当時の資料には「一日あたり平均37件の新語申請があった」とするものがあるが、記録簿の一部が失われており、数値の正確性には疑問もある[3]。
歴史[編集]
起源[編集]
造語税の起源は、にで行われた「標語過密取締り」に求められることが多い。これは百貨店の看板に似通った新語が溢れ、通行人が商品名の区別をつけられなくなったため、が臨時に語句の届出制を設けたのが始まりであるとされる。
中心人物は、内務官僚のと、言語学者のである。渡辺は「語は公共財である」と主張し、柴田はこれに対し「語の濫用は都市の騒音と同じである」と論じたと伝えられる。両者が構内の喫茶室で交わした議論が、後の制度案の原型になったという逸話が残る[4]。
制度化[編集]
、に設けられたが、造語を「一過性新語」「販促用新語」「恒久新語」の三類型に分け、課税率を変える方式を採用した。最も高率だったのは新聞の見出しに用いられる「恒久新語」で、1語につき年額2銭7厘が課されたとされる[5]。
この時期には、の輸出商組合が「英語由来に見えるが実際は日本語」の語を大量に申請したため、審査が追いつかず、審査官が辞書にない語を見抜くために駅売りの雑誌を参照していたという。中には、申請書に「語感が良いので」とだけ記された案件もあり、これが後に「情緒的造語」として別枠課税の対象になった。
普及と混乱[編集]
造語税は一部の自治体で予想外の成功を収め、では港湾広告の語彙が急激に整序された一方、では外来語と造語の区別がつきにくいとして抗議が相次いだ。とくに外国人居留地周辺では、看板に「税済」と朱書きされることが一種の品質保証とみなされ、かえって新語の信用が高まったという逆説が生じた。
また、9年には「語彙証紙」の偽造事件が発生し、の印刷所が夜間に二十二万枚の未納語彙札を刷っていたことが摘発された。裁判記録では、被告が「これは税逃れではなく、語の先物取引である」と主張したため、法廷が一時混乱したと記されている[6]。
制度の仕組み[編集]
造語税は、語の珍しさではなく「社会への滞留時間」で評価されたとされる。たとえば、新聞広告で3日以内に消える標語は軽課、3か月以上連続掲載されたものは重課という具合で、最終的にはが発行する「語彙登録票」によって管理された。
課税の実務では、語尾が「〜感」「〜力」「〜式」で終わる語が重点的に監視されたほか、二字熟語を無理に四字化した表現も対象になった。なお、審査官のあいだでは、語があまりに優秀であった場合に逆に減税される「名詞奨励措置」が存在したとする証言もあるが、これは要出典とされている。
一方で、作家や新聞記者はこの制度を逆手に取り、あえて課税済みの語を使うことで「公認の新しさ」を演出した。これにより、造語税は統制策であると同時に、都市の流行を可視化する指標としても機能したといわれる。
社会的影響[編集]
造語税の導入により、やでは言葉の流行サイクルが短縮し、看板の書き換え需要が急増した。これに伴い、書家、活字工、語彙調査員という新職種が生まれ、時点で東京市内だけで約1,180人が「語の事務」に従事していたとする統計が残る。
教育面では、学校で児童が勝手に作った語を提出すると、担任が「語彙更正票」を発行する慣習が広まり、作文指導が半ば税務教育化した。これが後の国語教育に影響したとする研究もあるが、実際には子どもたちが宿題を嫌がっただけではないかという反論もある[7]。
批判と論争[編集]
造語税に対しては、言論統制に当たるとしての前身団体や一部の新聞社が強く反発した。特に系の論説では、「語の創造に課税するのは、都市の想像力に札を貼るに等しい」と批判されたとされる。
ただし、財政当局は「税ではなく登録料である」と説明を繰り返し、制度の正当性を主張した。これに対し、の若手研究者が「登録料が一定額を超える時点でそれは税である」と反論したところ、翌月からその研究者の論文中の新語使用にまで注意が向けられたという。
廃止とその後[編集]
造語税は頃、下の言語行政整理の一環として実質的に廃止されたとされる。もっとも、地方紙の一部ではまで「語彙証紙」付きの広告が確認されており、完全な終息には至らなかった可能性がある。
その後、この制度は学術的には都市俗語研究の先駆けとして評価され、民間では「造語を課税対象にすると文化が痩せるか、むしろ肥えるか」をめぐる比喩として引用され続けた。現在でも、広告業界では極端に作為的な新語を「造語税案件」と呼ぶことがある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『臨時語彙登録令の研究』帝都法政出版, 1915.
- ^ 柴田久一「都市新語と課税実務」『言語行政評論』Vol. 3, No. 2, pp. 41-68, 1914.
- ^ 山本和枝『広告語と税制の交差点』東洋書房, 1922.
- ^ Margaret A. Thornton, “Taxing the Uncommon Word,” Journal of Urban Linguistics, Vol. 8, No. 1, pp. 12-39, 1931.
- ^ 佐伯一郎「東京市における標語過密の実態」『社会語彙学報』第12巻第4号, pp. 201-233, 1920.
- ^ H. C. Bell, “A Minor Duty on Major Words,” Proceedings of the Institute for Civic Semantics, Vol. 5, pp. 77-95, 1934.
- ^ 田村みち子『語彙証紙と近代都市』青雲社, 1949.
- ^ 小林拓也「造語税廃止後の看板文化」『戦後言語政策研究』第2巻第1号, pp. 3-28, 1951.
- ^ Charles W. Emory, “The Economics of Coined Terms,” Review of Administrative Philology, Vol. 11, No. 3, pp. 145-170, 1938.
- ^ 中村春彦「『語の先物取引』裁判記録再読」『法とことば』第7巻第2号, pp. 88-109, 1962.
外部リンク
- 帝都語彙資料館
- 標語審査局アーカイブ
- 近代広告税制研究会
- 東京言語行政デジタル年表
- 語彙証紙コレクション