遊び人の男
| 名称 | 遊び人の男 |
|---|---|
| 別名 | 夜遊び紳士、社交遊技者 |
| 成立 | 1908年頃 |
| 提唱地 | 神奈川県横浜市 |
| 主な研究機関 | 神奈川商業学校社交文化研究会 |
| 対象 | 都市男性、興行関係者、飲食店経営層 |
| 分類 | 社会類型・風俗概念 |
| 影響 | 流行語、映画、夜間経済政策 |
| 代表的文献 | 『遊び人男爵論』 |
遊び人の男(あそびにんのおとこ、英: Playboy Man)は、近代日本において都市遊興と社交術の発達の中で成立したとされる男性類型である。もとは末期ので、港湾労働者の余暇文化を観察したの研究会から広まった概念とされる[1]。
概要[編集]
遊び人の男は、単に放埓な男性を指す語ではなく、夜の歓楽街、賭場、ダンスホール、寄席などを横断しながら、他者との距離感を巧みに調整する都市型の男性像をいうとされる。一般には軽薄、浮ついた態度、恋愛遍歴の多さなどと結び付けられるが、期の一部文献では、むしろ「場の空気を崩さない社交の達人」として肯定的に記述された[2]。
この概念が独立したのは、に周辺で配布された匿名冊子『夜間人格の分類』が契機とされる。冊子では、船員、興行師、料亭仲居、保険外交員らの観察をもとに、「昼の職能では捉えられない余暇時の人格」を類型化しており、その中で最も人気を集めたのが遊び人の男であったとされる[3]。
成立の背景[編集]
発祥にはの開港以来の雑多な社交空間が深く関わったとされる。とくに、、の三地区は、当時の研究者によって「夜間人格の三角地帯」と呼ばれ、酒場、洋食屋、活動写真館が密集していたため、遊び人の男の生態観察に最適であったという[要出典]。
また、出身の民俗学者・は、1912年に『都市遊興の男たち』で、遊び人の男を「金銭よりも口上を先に出す種族」と表現した。もっとも高瀬自身は厳密な調査を行っておらず、聞き取りの大半がの待合での雑談に基づくものであったと後年判明している。ただし、このいい加減さがかえって類型の普及を促したとする説もある。
類型[編集]
港湾型[編集]
港湾型はやを中心に語られた派生類型で、異国の船客に合わせて服装と会話を変える能力に長けるとされた。特に靴の手入れだけで一日を終える者も多く、靴先の反射で相手の機嫌を読むという独自の技法があるとされた。
映画館型[編集]
からにかけて増えた映画館型は、上映作品よりもロビーでの遭遇を重視する点に特徴がある。彼らは同じ作品を月に7回観ることがあり、理由を尋ねられると「二度目からが本編である」と答えると記録されている。
地方巡業型[編集]
地方巡業型は、興行師の手伝いとして、、を巡りながら、各地で「一時的に名士になる」ことを仕事にしたとされる。旅先で同一人物に三度会っても初対面を装う礼儀が特徴で、古い旅館帳にはこの種の人物への苦情が散見される。
社会的影響[編集]
遊び人の男は、初期の広告産業に予想外の影響を与えたとされる。化粧品会社は、1931年に「遊び人の男は香りを二度使う」という宣伝文句を採用し、売上を前年の1.8倍に伸ばしたという。もっともこの数字は同社の月報のみで確認されており、研究者の間では半ば伝説とみなされている。
一方で、警察や町内会からは、門限違反、深夜の菓子店集会、蓄音機の無断使用などを誘発する概念として警戒された。の1934年内報では、遊び人の男に関する相談件数が月平均48件と記されているが、内容の大半は「近所の青年が妙に格好をつける」といった抽象的苦情であった。
代表的人物[編集]
初期の代表例[編集]
初期の代表例としてしばしば挙げられるのが、日本橋の洋品商・である。井関は年に2度だけ髪型を変え、そのたびに常連客から相談が殺到したため、本人は商売よりも「髪型の更新」に時間を取られていたと伝えられる。
文化人タイプ[編集]
文化人タイプの象徴は、作詞家のである。三好は新作の歌詞を完成させる前に必ず3軒の喫茶店をはしごし、最終的に一番話しかけられなかった店で執筆する習慣があったという。本人の手帳には「恋は作業用BGM」との走り書きが残る。
逸脱型[編集]
逸脱型の極北として語られるのが、道頓堀の興行師・である。黒川は自らを遊び人の男の完成形と称し、1週間で6回も同じ帽子を貸し借りした結果、帽子の持ち主が誰かわからなくなったという逸話が残る。
批判と論争[編集]
遊び人の男をめぐっては、当初から「概念として便利すぎる」との批判があった。とりわけ10年代の道徳雑誌『健全生活』は、あらゆる夜遊びをこの一語に押し込めることは統計的に不誠実であると主張し、分類の粗さを問題視した。
また、の大会では、遊び人の男は実在の社会集団というより、都市不安を視覚化するために作られた「便利な鏡像」であるとの報告が出された。これに対し、旧横浜派の研究者は「鏡像であっても、帽子のかぶり方は実在する」と反論したが、この発言がもっとも有名になったため、かえって議論は混迷した。
後世への影響[編集]
戦後になると、遊び人の男は実体のある人物像というより、映画、流行歌、週刊誌の見出しに再利用される記号として定着した。1962年には系の企画会議で「主人公が遊び人の男に見えるかどうか」が3時間以上議論されたとされ、最終的にネクタイの結び目の大きさで判定する運用が採用された。
21世紀に入ると、SNS上での自己演出や夜職文化の再解釈により、遊び人の男は「古典的な軽薄さを装う高度な自己管理者」として再評価されている。もっとも一部の若年層は、この語を「友人グループ内で最も終電を逃しやすい人」を指す冗談として使っており、用法はすでに原義からかなり離れている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 高瀬周三『都市遊興の男たち』東京風俗研究社, 1912年.
- ^ 神奈川商業学校社交文化研究会『夜間人格の分類』横浜出版局, 1908年.
- ^ 井上和子「遊び人の男概念の成立」『風俗史研究』Vol. 14, No. 2, pp. 33-51, 1936.
- ^ Margaret L. Thornton, "The Yokohama Leisure Male", Journal of Urban Folklore, Vol. 8, No. 1, pp. 102-119, 1959.
- ^ 黒田信一『歓楽街と男性類型』新潮社, 1974年.
- ^ 三輪芳枝「社交と軽薄のあいだ」『日本都市文化論集』第3巻第4号, pp. 88-97, 1988年.
- ^ Harold W. Senn, "Playboys Without Play: A Study of Port Cities", Cambridge Social Press, 1991.
- ^ 『健全生活』編集部「夜遊び分類への疑義」『健全生活』第22巻第7号, pp. 4-9, 1937年.
- ^ 佐伯澄夫『遊び人男爵論』東洋風俗学院出版部, 1966年.
- ^ Aiko Yamane, "The Suit, the Hat, and the Crowd", Pacific Review of Leisure Studies, Vol. 19, No. 3, pp. 211-230, 2004.
外部リンク
- 横浜夜間文化アーカイブ
- 日本風俗学会資料室
- 港湾都市社交史センター
- 遊び人概念研究会
- 夜遊び類型デジタル辞典