野獣の日
| 行事名 | 野獣の日 |
|---|---|
| 開催地 | 東京都世田谷区下北沢・北沢熊野神社 |
| 開催時期 | 毎年8月10日 |
| 種類 | 奇祭・火祓い・供養行事 |
| 由来 | 獣害鎮静の祈祷と、失われた鈴の返還儀礼に由来する |
| 参加者 | 氏子、獣除け講、青少年護符保存会 |
野獣の日(やじゅうのひ)は、のの祭礼[1]。初期より続く下北沢の夏の風物詩である。
概要[編集]
は、周辺で毎年8月10日に行われる奇祭として親しまれている。祭礼の中心は、獣害に見立てた“影の行列”を町の路地へ招き、最後に火祓いの灯を神前へ返す形式である。
由来は、江戸期末に起きたとされる「鈴の取り違え」に由来するという伝承が広く語られている。もっとも、史料の整合性は揺れており、社務所では口承記録を中心に説明しているだけである[1]。
なお、当日は通りに面した店先へ「獣の足跡」型の護符が配布される。護符には個体差のある穴の数が刻まれているとされ、穴の総数が“災いの数”に対応するという説明も聞かれる。
名称[編集]
「野獣の日」という呼称は、明治末に始まった夜間巡回が“獣の気配”を鎮める目的で整備されたことに由来するとされる。神社の案内文書では、当初は「山の獣礼」と呼ばれていたが、通称が次第に短縮されていったと説明されることが多い[2]。
名称に含まれる「野獣」は特定の動物を指すのではなく、“人の恐れが具象化したもの”として理解されてきた。実際、祭礼では熊や狼などの動物像が混じって表現され、統一性よりも「恐れの形を可視化する」ことが重視されているようである。
また、下北沢側の商店会では、当日を「野獣の休日」と呼ぶ地域もある。外来の来訪者が多い年には、この柔らかい呼び方が案内板に採用される場合もある。
由来/歴史[編集]
鈴の取り違え伝承[編集]
由来として最も広く語られているのは、に伝わる「消えた鈴」譚である。昭和より前の古記録(とされる巻物)では、神主が獣除け用の鈴を祭用の鈴と取り違え、夜半に“鳴らない祈り”が町を回ってしまったとされる[3]。
このとき、町の辻で音が途切れるのを聞いたとする証言が複数残っている。証言者の一人は「足音だけが先に来た」と述べ、別の証言者は「鈴の代わりに、夏の空気が震えた」と記したという。この二点は、同じ出来事を別の感覚で表現したものとして整理されている。
その後、鈴は“影の行列”が返したとされ、返還の折に「8月10日に限り、獣の影を人の側へ寄せる」旨が神慮として伝えられた、という筋書きである。もっとも、史料の筆者名が一致しないため、学術的には口承史として扱われている[4]。
昭和の再編と下北沢の巻き込み[編集]
祭りが現在の形へ再編されたのは期とされる。具体的には、交通整理の人員不足を補うため、町内を“影の円”として区画し、祈祷の隊列が迷わないようにしたのが転機だったと説明される[5]。
当時、区画は「半径17.3メートル」の円を基準に設定され、円の外周には小札札(こふだ)を17枚ずつ吊るした。社務所の説明では、吊るす札の“17”は夏の夜に飛び回る昆虫の羽ばたき回数を目安にしたものだというが、根拠となる観測記録は見つかっていない[6]。
それでも、再編後は商店主や若者の参加が増え、下北沢の夏祭りの文脈に組み込まれた。結果として、祭礼は奇祭でありながら地域の行事として固定化されていったのである。
日程[編集]
の当日は、夕刻から段階的に進行する形式が定着している。最初に神前へ供え物を運ぶ「前灯(まえあかり)」が行われ、次いで影の行列を町へ導く「路地招き」が始まるとされる。
進行は概ね19時から始まり、21時に最初の火祓いが実施される。火祓いの時間は「火の高さが、竹筒の目印でおよそ7.2尺まで届く」までと説明され、目測を重視する運用が残っている[7]。
深夜には、獣の影を神へ戻す儀礼「返鈴(へんれい)」が行われる。返鈴の際、鈴が見えないこともあるが、その場合は代わりに“人の息で鈴の形をなぞる”作法が伝えられているという。この作法は、指導員の家系により微妙に異なるとされる。
各種行事[編集]
行事は大きく分けて、祈祷・巡行・火祓い・供養の要素から構成される。特に「影の行列」は、参加者が獣の仮面ではなく“布の湿り気”を目印に歩くことで、視覚以外の感覚にも働きかける演出とされている。
その後、路地招きの終点で「足跡焼き」が行われる。地面に薄く引いた灰へ、護符の型を押しつけて足跡を作り、その足跡を焼いた香りが神前へ届くように配置するという[8]。灰の量は「一握りの三分の二」と説明されることが多く、目に見える計量ができないため、参加者の勘が試されるといわれる。
最後に「迷い獣供養」が実施される。ここでは、獣害で命を落とした動物を供養するという建前が示されるが、実際には“迷いの感情”を鎮めることが主旨とされる。供養の終わりに、神社の階段へ“左右9回ずつ”の拍手が入るのが特徴である。拍手の回数は、社務所の古い帳簿(とされる)に「合計18」とだけ記載されていたことに由来するとされる[9]。
地域別[編集]
下北沢周辺では、を中心に「路地招き」の範囲が広く取られる。特に南口側の坂道では、影の行列が一度だけ足を止め、そこから円弧に沿って進む作法があるとされる。住民はこの区切りを「喉元の曲がり」と呼び、目印の看板が毎年ほぼ同じ場所に立つことを誇りにしている。
一方で、同じ区内の別町会では、火祓いを“低い炎で長く”行う傾向があるという指摘がある。理由は、通りが狭く避難導線が確保しにくいためであると説明されるが、社内では「炎は獣の背丈を表す」という独自の解釈も残っている。
さらに遠方から来訪する者のために、商店街では「帰り道の護符」を配布している。護符の裏面には「帰路の角、3つを超えるな」という文言が印刷されているとされる。これは迷いを増やす行動を避ける注意であると同時に、結果的に人の流れを分散させる効果があるため、行政側の注意喚起とも噛み合ったのだろうと推定されている[10]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 下北沢民俗研究会『路地招きの記述史(増補版)』世田谷文化出版, 2012.
- ^ 井深稜太『「野獣」の語義変遷と地域呼称』『民俗季語学会誌』第41巻第2号, pp. 55-73, 2016.
- ^ 北沢熊野神社社務所『消えた鈴の巻物:口承記録集(抄)』北沢熊野神社, 1953.
- ^ S. K. Haversham『Rites of Fear and Urban Alleyways』Journal of Comparative Festival Studies, Vol. 18 No. 4, pp. 201-219, 2009.
- ^ 内海柊一『奇祭の時間設計:火祓いの計測慣行』『日本儀礼学年報』第27巻第1号, pp. 1-24, 2018.
- ^ 市野川眞澄『護符の穴数と心理的整合性』『宗教心理研究』第12巻第3号, pp. 88-106, 2020.
- ^ H. O’Malley『The Night-Queue Model in Folk Ceremonies』Folklore Dynamics, Vol. 33 Issue 1, pp. 77-94, 2011.
- ^ 北条千鶴『下北沢夏の“影”と商店街運用』『都市民俗論叢』第9巻第2号, pp. 140-165, 2014.
- ^ 高梨咲耶『拍手回数の由来推定:帳簿断片からの復元』『儀礼記録学』第6巻第4号, pp. 33-52, 2017.
- ^ 磯崎玲奈『炎の背丈:低炎長時間の地域差』『火祓い研究会報』第3巻第1号, pp. 12-29, 2006.
外部リンク
- 北沢熊野神社 公式行事案内
- 世田谷・奇祭ナビゲーション
- 下北沢商店街 護符配布アーカイブ
- 都市民俗データベース(非公式)
- 火祓い観測メモ同好会