陸上自衛隊特務部資料科第二室
| 正式名称 | 陸上自衛隊特務部資料科第二室 |
|---|---|
| 通称 | 二室 |
| 所属 | 陸上自衛隊特務部資料科 |
| 設置年 | 1959年 |
| 廃止年 | 1987年 |
| 所在地 | 東京都練馬区・朝霞駐屯地 |
| 任務 | 特務文書の分類、秘匿、再配布管理 |
| 室長定員 | 7名 |
| 資料保管量 | 最大約14.8万件 |
| 通称記号 | S-2R |
陸上自衛隊特務部資料科第二室(りくじょうじえいたいとくむぶしりょうかだいにしつ)は、内に置かれていたとされる、非公開文書の整理・照合・封印を専門とした準公的部署である。通称は「二室」で、冷戦期のを中心に、災害記録・演習記録・未分類報告書を扱ったとされる[1]。
概要[編集]
陸上自衛隊特務部資料科第二室は、30年代後半からにかけて活動したとされる、文書行政上の特殊部局である。通常の文書とは別に、災害出動、極秘演習、海外視察、物資試験の記録を一元管理する目的で設けられたと説明されることが多い。
もっとも、同室の存在は公刊史料の上では断片的にしか確認できず、元職員の証言や閉架資料の索引カードによって輪郭が形作られている。これにより、実在したのか、あるいは複数の臨時班が後年ひとまとめに呼ばれたのかについて、今もなお議論が続いている[2]。
成立の経緯[編集]
災害記録の飽和[編集]
創設の直接の契機は、の伊勢湾台風以後に増加した災害派遣記録の処理であったとされる。とくにで試験的に運用されていた「三重複写・逆順保管方式」が破綻し、には未整理書類が木箱換算で412箱に達したため、専門班の設置が必要になったという。
二室の発足[編集]
発足時の責任者は一佐とされ、彼がの旧資料庫を改装し、第一室を「戦史・訓令担当」、第二室を「異例案件担当」と再編したのが始まりである。第二室は、あえて定型化しにくい案件を受け持つことで、他室の業務を円滑化したと記録されるが、実際には「判読不能」「発信元不明」「本文が五十音順になっている」などの案件が集中したらしい。
組織構成[編集]
第二室の定員は名目上7名であったが、繁忙期にはから臨時応援が入り、最大で19名体制になったとされる。室内には「封印係」「索引係」「複製照合係」「墨消し係」の4班があり、さらに夜間だけ活動する「灰色班」が存在したという証言がある[3]。
室長の下には、文書分類を担当する主査、マイクロフィルム複製を扱う技術曹、演習地図の赤字修正を行う記録士などが配置されていた。なお、室員は全員が同じ灰色のバインダーを使う慣習があり、外部からは「同じ人がずっと座っている部署」と見分けられたとされる。
業務内容[編集]
非公開資料の選別[編集]
第二室の中心業務は、部隊から上がる報告のうち「公開すると手続き上まずいが、保存しないと後で困る」資料を抽出することであった。選別基準は細かく、例えば演習中の事故報告は通常1枚で済むところを、第二室では「気象」「補給」「地形」「自衛隊員の感想」の4層に分割し、それぞれ異なる棚に収めたとされる。
用紙の摩耗管理[編集]
また、同室は紙そのものの劣化を管理するため、から「湿度72%を超えた書庫では文書が怒りやすい」という独自基準を採用したと伝えられる。これにより、夏季には除湿機が9台同時稼働し、記録官が紙の角を1枚ずつ押さえながら棚入れする光景が日常化していたという。
再配布と封印[編集]
同室は必要に応じて、古い報告書を再編集し、閲覧者向けの抄録を作成していた。もっとも、抄録には原文にない「安全上のため省略」欄が増殖し、1974年版では全32ページ中11ページが空白であったとされる。この空白ページの多さが、かえって二室の神秘性を高めたともいわれている。
転機と拡大[編集]
ので、第二室が作成した時系列台帳が高く評価され、以後は演習記録だけでなく、通信試験、炊事車両の故障履歴、部内スポーツ大会の勝敗表まで扱うようになった。とりわけの寒冷地演習では、凍結によりインクリボンが破断し、室員が鉛筆だけで「記録の継続」を実現した逸話が残る。
このころから第二室は、単なる書庫ではなく「記録を通じて部隊の意思決定を遅らせないための装置」とみなされるようになった。ある元幹部は、二室の価値は「情報を増やすことではなく、増えすぎた情報に順序を与えること」にあったと述べている[4]。
批判と論争[編集]
第二室には、文書を過度に秘匿したのではないかという批判がつきまとった。とくにの演習記録改訂で、地方自治体への説明資料と内部資料の内容差が大きすぎるとして、一部の記者から「二重帳簿的運用」と呼ばれたことがある。
一方で、室員側は「災害時に半端な記録が流通すると、現場ではかえって危険である」と反論した。実際、の大雨災害では、誤った橋梁重量表が外部に出回りかけたが、第二室が前夜に訂正印を37か所押して差し止めたとされ、この件は後に「静かな救命措置」として再評価された。
その後の影響[編集]
の組織再編で第二室は解体され、資料管理機能は複数の課に分散されたとされる。しかし、その手法は後続部門や自治体アーカイブに強い影響を与えた。とくに「案件ごとに保存媒体を変える」「索引に担当者の癖を残さない」といった運用は、後の系災害文書整理要領にまで波及したという。
また、民間の文書館運動にも波及があり、1980年代後半にはの一部大学で「二室方式」と呼ばれる分類教育が行われた。もっとも、教材の冒頭に「これは現場では推奨されない」と但し書きが付くことが多く、半ば伝説化して受け入れられていた節がある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 中村清一郎『特務資料整理史概説』防衛文書研究会, 1991.
- ^ 佐伯奈緒子「朝霞駐屯地における閉架運用の変遷」『軍事アーカイブ研究』Vol. 12, 第3号, pp. 41-68, 2004.
- ^ Harold B. Fenwick, “Administrative Secrecy and the Cold-War Records Room,” Journal of Pacific Defense Studies, Vol. 8, No. 2, pp. 113-139, 1989.
- ^ 木村俊介『封印と抄録――日本官署の非公開資料学』東洋書房, 1978.
- ^ Margaret L. Treadwell, “Dust, Ink, and Command: Recordkeeping in Uniformed Bureaucracies,” International Review of Military Archives, Vol. 5, No. 1, pp. 9-34, 1996.
- ^ 『陸上自衛隊特務部資料科第二室 内部年報 1963年度』特務部資料科第二室, 1964.
- ^ 小島信一「災害記録の湿度管理基準に関する覚書」『庁内文書学雑誌』第7巻第1号, pp. 5-21, 1971.
- ^ Edward J. Harker, “The Gray Binder System and Its Afterlife,” Records Quarterly, Vol. 19, No. 4, pp. 201-228, 2008.
- ^ 『札幌冬季災害対策演習 記録抄録』陸上幕僚監部資料班, 1973.
- ^ 田中里美『日本の準軍事文書管理とその周辺』北辰出版, 2002.
- ^ 鈴木啓介「二重帳簿ではない何か――1970年代防衛資料の読解」『現代史の窓』第15巻第2号, pp. 77-95, 2011.
外部リンク
- 防衛文書アーカイブ研究所
- 朝霞資料研究センター
- 閉架文書デジタル索引室
- 特務資料史フォーラム
- 灰色バインダー保存会