雪姫
| 名称 | 雪姫 |
|---|---|
| 読み | ゆきひめ |
| 英語表記 | Princess Yuki |
| 成立時期 | 15世紀末頃 |
| 中心地域 | アルプス北麓、ボヘミア、アナトリア西岸、黒海沿岸 |
| 性格 | 冬季儀礼・王統継承称号 |
| 主な記録 | 宮廷年代記、修道院写本、交易商の日誌 |
| 消滅時期 | 18世紀後半 |
| 後世への影響 | 祝祭史、服飾史、比較王権論 |
雪姫(ゆきひめ、英: Princess Yuki)は、北麓から沿岸にかけて語り継がれた、冬季儀礼と王統継承を結びつける伝承的な女性称号である[1]。とくに末からにかけて、複数の宮廷記録と修道院年代記に断片的に現れ、後世のでは半ば実在、半ば制度として扱われている[1]。
概要[編集]
雪姫は、寒冷地の諸宮廷で冬至のあいだのみ公的に現れる女性称号であり、凍結した水路の安全祈願と、断絶しかけた王統の再接続を象徴したとされる。名目上は「姫」であるが、実際には出身者、交易商人の娘、あるいは戦死した公の未亡人が選ばれることもあり、出自は一定していない。
この制度は、の「白い印章令」によって初めて文書化されたとする説が有力であるが、同時代の記録では「雪姫」という呼称は宮廷ごとに意味が異なっていた。ある都市では冬の税免除を取り仕切る官職であり、別の都市では宮中舞踏会の主賓であったため、後世の研究者はしばしば解釈に苦しんだ[2]。
起源[編集]
氷上継承儀礼[編集]
起源はの山岳共同体にあった氷上継承儀礼に求められることが多い。冬季にのみ凍結する湖上で、次代の支配者が白布と塩、銀の鍵を受け取る儀式が行われ、その際に案内役を務めた少女を「雪姫」と呼んだとされる。これがの辺境行政に取り込まれ、やがて王権の象徴へ転化したという。
ただし、の写本学者ハンス・ケルナーは、当該儀礼の記述に現れる「雪」が実際には融雪期の泥を指す方言であった可能性を指摘している。つまり、雪姫とは本来「雪のように白い姫」ではなく、「雪解けに現れる姫」を意味したというのであるが、この説は記録の少なさから広くは採用されていない[3]。
白い印章令[編集]
末、の行政書記団が作成したとされる白い印章令は、雪姫を「冬季における橋梁・倉庫・王家衣装の管理責任者」と定義した。印章の蝋に牛脂ではなく氷片を混ぜることで封緘の持続時間を競ったという記述があり、これが後の儀礼化の出発点になったとみられる。
この法令が実在したかどうかは議論があるが、にの法学者ミハウ・ズブシェクが引用しているため、少なくとも何らかの原型文書はあったと考えられている。なお、同文書には「雪姫は三度くしゃみをしてから任務に就くべし」という条文があり、後世の写本ではしばしば冗談として削除された[4]。
発展[編集]
宮廷祝祭への移行[編集]
に入ると、雪姫は実務官職から祝祭的な役割へと移行した。とくに宮廷では、冬至前夜に選ばれた雪姫が銀箔を貼った鹿車で市街を巡り、貧民に熱ワインの配給券を配る行事が恒例化した。これにより、雪姫は「冷気の象徴」であると同時に「救済の入口」として理解されるようになった。
また、商人の記録には、雪姫の衣装が北方毛織物の取引価格を左右したとの記述がある。実際には衣装一式が都市ごとに異なり、式は三層、式は五層、式は羽毛を多用したという。衣装の重さが最大で14.7キログラムに達した例もあり、これが儀礼参加者の修行性を高めたとされる[5]。
教会との折衝[編集]
雪姫の人気が高まると、教会当局はこれを異教的慣習と見なして幾度か制限を試みた。しかし、修道院が運営する施療院では雪姫の名義で寄付が集まりやすかったため、完全な禁止は困難であった。結果として、雪姫は「聖女に準じるが聖人にはならない」という曖昧な地位を与えられた。
の教会会議では、雪姫に関する説教集が審査対象となり、うち7編が「民間信仰との混淆が過ぎる」として却下された。他方で、同年の別記録には、司教自身が雪姫の行列に出席し、白胡椒入りのパンを献上したとある。学界ではこの矛盾がしばしば引用される[6]。
全盛期[編集]
雪姫の全盛期は中葉から前半とされる。この時期、から西部にかけて、少なくとも23の都市で冬至の雪姫選出式が行われたという。都市ごとに規則は異なったが、共通していたのは、候補者が「氷の上を二十歩、沈まずに進めること」「家系を三代まで暗唱できること」「羊皮紙を一枚も湿らせずに受け取ること」の三条件であった。
とりわけ流域の港市では、雪姫が交易税の一部を再配分する権限を持ったため、現実の財政にまで影響した。1649年のの記録では、雪姫の裁可によって木材税が2.5%軽減され、その見返りとして市民が雪姫像の前で青豆のスープを献納したとされる。もっとも、この「2.5%」という数字は後世の会計官が整えた可能性もあり、要出典であるとの指摘がある[7]。
衰退と終焉[編集]
啓蒙主義的批判[編集]
後半になると、啓蒙主義の行政改革により、雪姫制度は非効率な冬季儀礼として批判された。とくにの改革派官僚フェレンツ・バールは、雪姫の行列が道路清掃を妨げるとして廃止を提案し、代わりに「積雪等級表」による定量管理を導入した。
これに対し、地方共同体は雪姫を単なる迷信ではなく、凍結期の社会的調停装置として擁護した。最終的にはの「氷冠勅令」により公的称号としての雪姫は廃止されたが、民間の婚礼儀礼や年末市場では19世紀初頭まで名残が残った。
忘却と再発見[編集]
雪姫が近代史学に再発見されたのは末、国立図書館の整理中に「S・Hime」なる略記の束が見つかったことによる。これを日本語表記の「姫」に結びつけたのは、在欧史家の渡辺精一郎であったとされるが、彼のノートには「SはSnowかSaintか不明」とだけ記されている。
その後、にで開催された比較王権学会で、雪姫は「寒冷地における女性統治の周辺化された形式」として紹介された。以後、服飾史、儀礼論、ジェンダー史の交点に位置する事例として引用されるようになった。
遺産と影響[編集]
雪姫の名残は、現在も東部の一部村落で行われる冬の少女行列、ならびにの古都で売られる白胡椒菓子に見いだせるとされる。また、に入ってからは観光行政がこれを再活用し、雪姫の称号を冠した氷上マラソンや地方博物館の企画展が開催されている。
一方で、現代の研究では、雪姫が実在の一人の女性を指すのか、それとも複数の制度的役割の総称であるのかはなお決着していない。ある研究者は「雪姫は人物ではなく、冬季に現れる行政の顔である」と述べているが、別の研究者は「顔がある以上、少なくとも半分は人物である」と反論している。この論争は今も続いており、雪姫研究の妙味の一つとされている。
脚注[編集]
[1] アンドレイ・コルヴィン『北方宮廷の季節称号』第2巻第4号、リグニッツ大学出版会、1998年、pp. 41-68。 [2] Helena M. Voss, "Winter Titles and Civic Rituals", Journal of Borderland History, Vol. 17, No. 2, 2004, pp. 113-139. [3] Hans Kellner『氷解方言学序説』ミュンヘン写本叢書、1979年、pp. 201-205。 [4] ミハウ・ズブシェク『クラクフ法令注解集』ヤギェウォ文庫、1583年復刻版、pp. 77-81。 [5] Élodie Martens, "The Weight of Ceremony in Early Modern Danubian Cities", Annals of Ceremonial Studies, Vol. 8, 2011, pp. 9-32。 [6] フランツ・レーマー『ザルツブルク会議録抄』南ドイツ教会史研究所、1704年、pp. 55-59。 [7] Petro Ilin, "Tax Reliefs Under Winter Queens", Black Sea Economic Review, Vol. 3, No. 1, 1962, pp. 1-14。 [8] 渡辺精一郎『雪姫文書の断片とその周辺』東欧史研究会、1912年、pp. 3-27。 [9] Laura Bianchi『比較王権論における白の象徴』ローマ社会史叢書、2001年、pp. 144-171。 [10] S. A. Morozova, "A Note on the So-Called Snow Princess", Proceedings of the Institute for Ritual History, Vol. 29, No. 4, 2018, pp. 201-219.
関連項目[編集]
脚注
- ^ アンドレイ・コルヴィン『北方宮廷の季節称号』第2巻第4号、リグニッツ大学出版会、1998年、pp. 41-68.
- ^ Helena M. Voss, "Winter Titles and Civic Rituals", Journal of Borderland History, Vol. 17, No. 2, 2004, pp. 113-139.
- ^ Hans Kellner『氷解方言学序説』ミュンヘン写本叢書、1979年、pp. 201-205.
- ^ ミハウ・ズブシェク『クラクフ法令注解集』ヤギェウォ文庫、1583年復刻版、pp. 77-81.
- ^ Élodie Martens, "The Weight of Ceremony in Early Modern Danubian Cities", Annals of Ceremonial Studies, Vol. 8, 2011, pp. 9-32.
- ^ フランツ・レーマー『ザルツブルク会議録抄』南ドイツ教会史研究所、1704年、pp. 55-59.
- ^ Petro Ilin, "Tax Reliefs Under Winter Queens", Black Sea Economic Review, Vol. 3, No. 1, 1962, pp. 1-14.
- ^ 渡辺精一郎『雪姫文書の断片とその周辺』東欧史研究会、1912年、pp. 3-27.
- ^ Laura Bianchi『比較王権論における白の象徴』ローマ社会史叢書、2001年、pp. 144-171.
- ^ S. A. Morozova, "A Note on the So-Called Snow Princess", Proceedings of the Institute for Ritual History, Vol. 29, No. 4, 2018, pp. 201-219.
外部リンク
- 東欧儀礼史アーカイブ
- 雪姫文書データベース
- 比較王権研究ネット
- 北方宮廷文化協会
- 冬季称号年表館