音後内
| 名称 | 音後内 |
|---|---|
| 種類 | 複合文化施設 |
| 所在地 | 北海道根室市音後内町 |
| 設立 | 1938年(昭和13年) |
| 高さ | 27.4m |
| 構造 | 鉄骨鉄筋コンクリート造 |
| 設計者 | 三浦辰之助、林田澄子 |
音後内(おんごない、英: Ongonai Hall)は、にあるである[1]。現在では、方面の観光案内と地域演劇の拠点として知られている[1]。
概要[編集]
音後内は、東部の旧港湾地区に所在する複合文化施設である。建物名は、当地で用いられていた海霧観測上の地名「おんごない」に由来するとされるが、実際には開設当初の放送室で「音が後から内に残る」ことを宣伝文句にしたことが語源になったともいわれている[要出典]。
現在では、観光案内所、郷土資料室、小劇場、望楼を兼ね備えた施設として運営されている。特に、風速12mを超える日に館内放送の残響が異様に長く続くことで知られ、地元では「音が三度帰る建物」とも呼ばれている。
名称[編集]
「音後内」という名称は、末期にこの一帯で行われた海岸測量の際、測量班が使用した仮符号「O.G.N.」を音訳したものとする説が有力である。もっとも、1930年代の地元紙にはすでに「音後内公会堂」の記載があり、の1936年8月14日付記事では「霧の中でも後れず聞こえる名」と評されていた。
名称の表記は建設当初から揺れがあり、正面玄関の銘板では「音後內」と旧字が用いられたが、の再塗装時に現在の新字体へ改められた。なお、館内売店で販売される菓子「おんごない最中」には旧字が残されており、観光客の間では銘板よりもこちらの表記の方が知られている。
沿革 / 歴史[編集]
計画と建設[編集]
音後内の建設計画は、10年代前半に根室港の倉庫再編計画と並行して進められた。中心人物は港湾技師ので、彼は霧中航行時の避難施設と、演芸会にも転用できる耐候建築を構想したとされる。設計補助には札幌出身の建築士が加わり、当時としては珍しい「冬季でも室内の音響が落ちにくい吹抜け構造」が導入された。
工事は5月に着工し、延べ2,410人の作業員が関わったとされる。資材の一部は、から運ばれた解体船の鋼材と、旧防波堤の再利用材で賄われた。竣工式では、会場内のマイクが海風で周期的にハウリングを起こし、式辞が三回中断したという逸話が残る。
戦中・戦後の転用[編集]
期には、施設の地下部分が臨時の気象観測室および防空待機所として使われた。特にの冬季には、窓枠の氷結によって内部の温度が安定し、近隣住民の避難先として重宝されたとされる。戦後は接収を免れ、に市民合議によって「文化再生館」へ改称される寸前までいったが、最終的には旧称の知名度が勝った。
には小劇場部分が改修され、地方巡業の演劇や講演会が頻繁に開かれるようになった。この時期、座席番号の印字ミスで「13番」が二つ存在したことから、観客が片方を「吉席」、もう片方を「返し席」と呼び分ける風習が生まれた。
現代の再評価[編集]
に入ると、音後内は老朽化と同時に「戦前港湾建築の残存例」として学術的関心を集めた。は1987年の報告書で、同施設を「用途転換の履歴が壁面に残る稀有な事例」と評価している。これを受け、には保存修理が行われ、外壁の一部に当初の浅葱色を復元する作業が実施された。
一方で、修理後に導入された自動放送装置が旧式の残響構造と相性が悪く、館内アナウンスが約1.8秒遅れて聞こえる現象が常態化した。このため来館者の間では、案内表示よりも人の動きが先に理解されるという奇妙な体験が起こり、結果として「音後内では説明を読むより先に周囲を見るべきである」と言われるようになった。
施設[編集]
音後内は地上4階・地下1階で、正面玄関に観光案内所、2階に郷土資料室、3階に小劇場、4階に望楼を備える。地下1階には旧防空待機所を転用した「潮見展示庫」があり、沿岸の漁具や霧笛の部品が収蔵されている。
小劇場は定員184名で、天井中央にある円形の反響板が特徴である。ここでは地元の高校演劇部による公演のほか、毎年の「霧の日朗読会」が行われている。朗読会では、参加者が原稿の一部をわざと遅読し、建物の残響と重ねることで独特の二重音声効果を楽しむ習慣がある。
望楼は高さ27.4mで、方向の海霧観測に使われてきた。現在では展望台として人気があるが、晴天時よりも濃霧の日の方が入場者数が多いという珍しい統計があり、2019年度には年間来館者の約43%が「視界10m未満の日」に集中したとされる。
交通アクセス[編集]
音後内へは、の終端側から路線バスで向かうのが一般的である。最寄り停留所は「音後内前」で、冬季は吹雪のため停留所標識そのものが見えなくなることが多く、地元では「三歩進んで着く停留所」と呼ばれている。
自家用車の場合はから海岸沿いの支線に入るが、潮位が高い日は脇道の一部が冠水するため、施設側が掲示する「霧と潮の通行目安表」を参照する必要がある。なお、は2016年以降、観光ピーク時の臨時駐車場として旧倉庫跡地を開放している。
文化財[編集]
音後内はにに指定され、外壁のリブ模様と望楼内部の木製手すりが保護対象となっている。特に、建物北側の「海霧測候銘板」は、建設当初の気象記録が刻まれた資料として高く評価されている。
また、館内に残る手書き式の避難誘導図は、戦中の緊急改修の痕跡を今に伝えるものとして保存されている。なお、2009年の補修調査では、壁内から未使用の演目札が127枚発見されたが、これは竣工後まもなく中止された巡回寄席計画の名残であると推定されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 三浦辰之助『海霧都市における複合建築の試み』北海道港湾建築協会, 1941年.
- ^ 林田澄子『音響と避難を両立する集会施設の設計』日本建築学会誌 Vol.23, No.4, pp. 114-129, 1939.
- ^ 根室市教育委員会編『音後内保存修理報告書』根室市, 1993年.
- ^ 田村幸治『霧中地名の成立と音後内の表記変遷』北海道史研究 第18巻第2号, pp. 201-218, 1978.
- ^ Margaret A. Thornton, 'Echo Chambers of the Far North: Community Halls and Maritime Memory', Journal of Northern Architecture Vol.11, No.2, pp. 55-73, 2004.
- ^ Hiroshi Watanabe, 'Adaptive Reuse of Wartime Coastal Buildings in Hokkaido', Proceedings of the East Asian Built Heritage Forum, pp. 88-97, 2011.
- ^ 根室新聞社資料室『昭和十三年の根室港湾整備と音後内』根室新聞資料集 第6号, pp. 7-19, 1968年.
- ^ John P. Ellery, 'The “Late Sound” Phenomenon in Timber-Reinforced Corridors', Building Acoustics Review Vol.7, No.1, pp. 1-22, 1998.
- ^ 北海道建築史研究会『戦前港湾施設の保存と活用』北方建築叢書, 1988年.
- ^ 佐伯まさみ『おんごない最中に見る地域観光の記号化』観光文化研究 Vol.14, No.3, pp. 143-151, 2015.
- ^ 山路一夫『音後內銘板の旧字使用に関する覚書』地方史研究通信 第41号, pp. 33-36, 2001.
外部リンク
- 根室市観光物産案内
- 北海道建築史アーカイブ
- 海霧文化施設データベース
- 音後内保存会
- 霧の日朗読会公式記録