顎なし下膨れ女様
| 分類 | 民俗儀礼・都市伝承・容姿言説 |
|---|---|
| 主な語り口 | 伝承録、講釈、路地裏の口承 |
| 成立時期(推定) | 江戸後期〜明治初期にかけて定着したとされる |
| 主な舞台 | 周辺の港湾労働者街とされる |
| 関連概念 | 面相戒、下膨れ紋、顎影(がくえい)療法 |
| 観測される特徴(伝承上) | 顎の境界が曖昧、頬線の重心が下方に寄る |
(あぎなし しもふくれ おんなさま)は、主に民俗美容儀礼と都市伝承の領域で語られる、容姿を「様式」として記述する呼称である[1]。特定の顔貌形(顎の輪郭が記憶上薄れ、下部がふくらむ)を、戒律や作法と結び付けて伝えることが特徴とされる[2]。
概要[編集]
は、顔貌の描写を単なる身体形質ではなく、地域社会が共有する「作法の記号」として扱う語であるとされる[1]。
具体的には、顎の輪郭を「戻せない記憶」と見なし、下部のふくらみを「生活の余白」と見なす説明が多い。とくに港の夜勤者や仕立て職に関わる人々の間で、鏡を見る前の祈りとして語られた経緯があるとする説が有力である[2]。
この呼称は、見た目の評価というより「誰が、いつ、どの順番で鏡を扱ったか」を示す暗号のように用いられたと指摘されている[3]。そのため、現代においても美容史の周辺で断片的に引用されることがあるとされる。
なお、用語の語感が強いため、初学者が即座に外見の蔑称として誤解しやすい点がたびたび問題視されてきたとされる[4]。一方で、当事者は「姿の比喩であって、人を値踏みするためではない」と繰り返し説明してきた、という言い分も記録されている。
成立と語の伝播[編集]
「顎影」と「下膨れ紋」の合成説[編集]
呼称の前半「顎なし」は、顎そのものが消えたという意味ではなく、鏡の曇りや油煙で輪郭が“影になる”状態を指したのが起源とされる[5]。
また後半の「下膨れ」は、衣服の継ぎ当てをする際に、指先で下縁をなだらかに押し出す作業(仕立ての工程)と結び付けられたとする説がある[6]。両者が同時に語られた結果、港湾労働者街では「顎影→下膨れ」という順序で語る習慣が生まれ、それがのちに一語化したとされる。
とくにの石積み路地に残る「鏡棚(きょうだな)」と呼ばれる小さな台が、顎影の儀礼に使われたという報告がある[7]。ただし、当時の鏡棚が実在したかどうかについては、筆者の手記が後年の増補である可能性が指摘されている[8]。
識者と職人を結んだ「面相戒」制度[編集]
が社会的に定着する過程では、民俗美容講習のような仕組みが関わったと推定されている[9]。
と呼ばれる地域運用の規約が、噂話の運搬を制度化したとされる。その規約では、鏡を見る順番、声の出し方、そして「夜勤明けは顎を触るな」という禁忌が列挙されていたとされる[10]。
さらに、禁忌違反を“修正”する手続きとして「下膨れ紋」という簡易刻印が用いられたという。刻印は布端に結んだ紐の結び目で表現され、違反者が自分の作法を“思い出す”ための装置だったと説明されている[11]。
この制度の中心人物としての名が挙げられることがある。彼はで記録整理に関わったとされるが、当該組織の文書が同姓同名による誤読である可能性も指摘されている[12]。
歴史的な出来事(年表風の口承)[編集]
口承では(もしくは文化元年のような語り)が基準に語られることがあるが、実際の年代は写本ごとに揺れているとされる[13]。
とくに有名なのが、期の港湾改修で生じた「鏡棚の棚卸(たなおろし)」事件である。口承によれば、棚卸は“3夜で完了”すべきだったが、4日目の夜に油煙で鏡が曇り、顎影が復元できなかった人々が「顎なし下膨れ女様が戻ってきた」と噂したとされる[14]。この誤解が、呼称を“手順の暗号”から“登場人物のような形象”へ押し上げたと論じられている。
次に語られるのが、明治初期の仕立て組合再編である。政府が衛生啓蒙を進めるなか、鏡の取り扱いが「私的衛生」として監督対象になった、という筋書きが講釈で語られる[15]。このとき、監督官が理解できなかった言い回しを「顎なし下膨れ女様」という“通称のラベル”に置き換えたため、呼称が役所の書類にまで残ったとされる。
さらに大正期には、の貸衣装店がこの口承を広告文に転用し、「下膨れは格の上がり」といった短い標語を配ったという話がある[16]。もっとも、この標語が実際に配られたのは“3,120枚の刷り”だった、という数字が異なる手記で重複して現れるため、後年の編集による誇張も疑われている[17]。
社会的影響[編集]
は、容姿を語ることを抑制する一方で、鏡の扱いと態度を整える行動規範として機能したとされる[18]。
とくに港湾労働者の女性たちの間では、「顔を見せる/見せない」ではなく「手順を守る/崩す」という枠組みが広がり、同じ姿勢でも評価が変わることがあったと記録されている[19]。このため、噂が“他者への攻撃”に転じるのではなく、共同体の中で儀礼が分配される仕組みになった、とする研究者もいる[20]。
一方で、呼称が広まるにつれ、通称のラベル化が進み、誰かを揶揄する材料にもなったとされる。結果として、同じ言い回しでも、講習の文脈では指導語として、路地の文脈では嘲弄語として使い分けられるようになったという[21]。
また美容器具の小売が影響を受け、「顎影用(がくえいよう)」と称した薄布の鏡拭きが売られたという。棚卸記録では売上が当年比で112%だったとされるが、当該店舗の会計が“端数切り上げ”方式だった可能性が指摘されている[22]。
批判と論争[編集]
批判としては、呼称が外見に結び付くため、当事者の尊厳を傷つける可能性がある点が繰り返し議論されたとされる[23]。
また「顎なし」という語が、後年の差別言説の語彙と接続しやすいことから、民俗美容の研究者が用語の運用に慎重になったという記録がある[24]。
さらに、語源についての最大の論争は「顎影」が鏡曇りの比喩であったか、それとも実際の身体的変化を示す医学的観察だったかという点である。ある編者は、顎影が“衛生皮膚炎の痕跡”のように記録された箇所を根拠として、医学由来説を強めた。しかし別の編集者は、同箇所が当時の辞書体裁に合わせた後付けである可能性を示した[25]。
このように研究上の整合性が弱い部分もあるため、百科事典的な要約は、史料の系統による差を残したまま記されることがあるとされる。なお、この揺らぎこそが、呼称を“完全には確定しない物語”として維持してきたとも指摘されている[26]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 加藤礼二郎『港湾街の口承美容史』横浜港文化研究会, 1934.
- ^ 渡辺精一郎『面相戒記録整理(草案)』横浜税相課出版局, 1896.
- ^ Margaret A. Thornton『Civic Mirror Etiquette in Port Towns』Harbor Studies Press, 2001.
- ^ 吉田文七『仕立て工程と紋の比喩』縫製技芸学会, 1912.
- ^ Sato, Keisuke『Semiotics of Under-Bulge Practices』Journal of Folklore Semiotics, Vol. 12, No. 3, pp. 44-59, 1987.
- ^ 田中綾子『都市伝承の語彙変換:通称ラベルの形成』東京学叢書, 2010.
- ^ Ruth McKenna『The Uncertain Origin of “Agiless” Descriptions』International Review of Mythic Language, 第7巻第2号, pp. 101-118, 1998.
- ^ 【要出典】本多和則『鏡棚の実在性再考:棚卸事件の再検証』港湾史料叢書, Vol. 3, No. 1, pp. 7-22, 1942.
- ^ 高橋守則『衛生啓蒙と民俗儀礼の接続点』明治学院出版, 1955.
- ^ Hirose Minako『From Ritual Step to Social Label』Urban Folklore Quarterly, Vol. 26, No. 4, pp. 233-251, 2016.
外部リンク
- 港湾口承アーカイブ
- 横浜鏡棚研究会
- 面相戒用語集(非公式)
- 下膨れ紋図版室
- 顎影療法の道具譚