駿河国にアナル山
| 所在地(伝承上) | (現在の中部の一帯と推定) |
|---|---|
| 形態 | 尾根状の低山岳霊場(伝承) |
| 主な伝承 | 山名由来の滑稽譚と、祈願札の奇習 |
| 成立時期(諸説) | 前期〜中期に編まれたとする説がある |
| 影響領域 | 地域信仰、道中商売、地誌編纂 |
| 関連する慣行 | 「方位三礼」と呼ばれる祈祷動作 |
| 近代の評価 | 民俗学上は地名遊戯の一例として扱われることが多い |
駿河国にアナル山(するがこくにあなるやま)は、の旧称であるに「存在した」とされる山岳霊場伝承である。特に近世の踏査記録では、奇妙な地名譚と地質観察が混ぜられ、観光・信仰・笑い話の三つ巴になったとされる[1]。
概要[編集]
は、の地誌編纂者たちが“見たはず”の奇談として記し、後世の読者が「なぜそんな表現が定着したのか」を笑い込みながら考えさせられるタイプの伝承である。伝承の要点は、山そのものの地形よりも、山名の響きに結び付けられた作法と、道中の商売習慣にあったとされる。[1]
なお、山名の表記は筆者ごとに揺れており、「音写の揺れ」「当て字」「滑稽抑揚」が重なることで、短期間に複数の系統へ分岐したとする見解がある。いずれにせよ、地元の人々は深刻さと戯れ心を両立させ、祈願と“通行証”のような札をセット販売することで、旅人の滞在時間を伸ばしたとも語られている[2]。
成立と背景[編集]
地名遊戯としての誕生[編集]
伝承が成立した経緯は、初期の地方役人と地誌編集の“競争”に求められるとされる。具体的には、側の港町で回覧される村絵図が、作図速度と物語性の両方を評価される制度になったことが契機になったと説明されている[3]。
この制度では、一定期間(当時の記録によれば「36日」)以内に提出された絵図ほど評点が高い一方、余白に入れられた「音の似た名」を使う遊戯が、点数に加算されたとされる。そこに“山の響きが旅の願掛けに合う”という商人の助言が入り、後にの語が広まった、という筋書きが語り継がれている[4]。
ただしこの説には、当該制度の文書が現存しないため、「当時の実務に近い創作である」との指摘もある。とはいえ、後述する「方位三礼」のように、作法が具体化している点から、単なる言葉遊びではなく地域運用に接続していたと考えられている。
地質観察の“おまけ”[編集]
一方で、山名の定着に科学者気取りの書き手が関わったとする説もある。すなわちの山中で行われたとされる“微妙な音響測定”がきっかけで、谷に向けて石を落とすと「くぐもった返事」が返る地点があり、そこを“響きの印”として山名に結び付けた、というものである[5]。
この説では、石を投げる高さが「床から18尺」で固定され、響きが聞こえるまでの時間を「3拍半」として記録したとされる。記録者の文章はやけに几帳面であることが多く、読者はその丁寧さについ騙されるが、後年の校訂で“18尺”が“20尺”に置換されている場合もあるという[6]。
つまり、科学風の描写は物語性を担保する装置として働き、結果としては「真面目に観察した結果、滑稽な名前になった」という語り口で定着した、と考えられている。
主要な展開(人と組織)[編集]
伝承の“運用”には、複数の立場の人々が関わったとされる。最初期には、地誌担当の文書役(仮にと呼ばれる)が絵図の余白に短い説話を付ける方式を推奨したとされる[7]。次いで、旅籠の帳面を取り仕切る商人たちが、説話の文言をそのまま札の表面に印刷し、旅人が手に取った瞬間に「方位三礼」を促す流れを作ったという。
ここで名前が挙がるのが、の問屋仲間から派遣されたという「数理札師」である。彼は祈願札に“回収率”を設けたとされ、方位三礼を済ませた者には札の半券を渡し、月末に半券回収を行うことで、翌月の増刷費を賄ったと説明される[8]。
ただしこの運用の裏には、地元の宗教勢力との摩擦があったとされる。祭礼が盛り上がるほど笑い話が先行し、厳粛さが薄れることへの批判が出た結果、「厳粛な祈りの“ふり”として方位三礼を行う」という折衷案が採用された、という筋書きが紹介されている[9]。この折衷案により、は“笑ってよい信仰”として居場所を得たとされる。
逸話:作法と物語の細部[編集]
の中心的な作法として語られるのがである。伝承では、参拝者は山へ向かう前に「東」を指し、「南」を言い直し、「西」に“笑い”を隠すように礼をする、と説明される[10]。この手順は一見奇妙だが、実務的には旅の導線(どの坂を登るか)を固定する役割を果たしたとされる。
さらに、祈願の文言がやけに具体的である。記録される文は、たとえば「七日咲きの願いを、三日で早咲きさせよ」であり、使用する木札は「厚さ2分、穴径6寸三分」といった寸法が書き添えられていたとされる[11]。こうした“過剟な具体性”は、当時の職人教育(段取りの標準化)と、説話の記憶補助が結び付いた結果だと推定される。
また、山中で聞こえるという“合図の音”も語られている。ある旅人の手記では、合図は風向きに応じて「三回だけ遅れる」ため、遅れを数えることで歩数を調整できたとされる[12]。このエピソードは後世の読者には不自然に感じられるが、道中の歩数管理が必要だったという現実(峠越えの時間調整)と、伝承側の遊戯心が噛み合った例として扱われることがある。
批判と論争[編集]
は、滑稽譚が過度に強調されることで、地域の信仰史を“笑い”で塗り替えたとして批判されることがある。特に、が“宗教的意味を薄めた”のではないかという指摘が、明治期の地方改良論の文脈で現れたとされる[13]。
一方で擁護側は、作法の意味が失われても、導線・安全・共同体の連帯といった実利は残ると反論した。さらに、笑いがあるからこそ人が集まり、結果として寄進や清掃が増えた可能性を示す論文もあるという[14]。
ただし、問題は“出典の揺れ”にもあった。複数の版で、山名表記が微妙に変わっており、ある版では「別の地名由来の当て字」が混入した疑いが指摘されている。ある校訂者は、校訂理由を「語感の整合」と書いたが、別の編集者は「印刷所の癖」と要約したとされ、研究者の間で解釈が割れている[15]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 田辺 俯観『駿河地名笑話の系譜』駿州書房, 1909.
- ^ 【方位三礼】研究会『歩行儀礼と導線の相関』第3巻第2号, 仮想民俗学会誌, 1924.
- ^ Margaret A. Thornton『Edo-Era Cartographic Humor and Local Practice』Vol. 12, Journal of Imagined Philology, 1978.
- ^ 杉浦 綱道『地誌余白における音写の制度化』山岳地誌研究叢書, 1936.
- ^ 小野田 札右衛門『札印帳(写本)』駿河問屋連盟, 1706.
- ^ 伊藤 琴螺『微妙な反響記録の作法—床より尺と拍の統一』地質記述学会論文集, pp. 41-58, 1951.
- ^ Hiroshi Nakamura『Regional Pilgrimage Economy and Semiotic Tokens』Vol. 4, International Review of Folklore Economics, 2002.
- ^ 浅見 素朴『祈願札の回収率と印刷工程(誤植を含む検討)』印刷史研究会, 1969.
- ^ 藤枝 義光『笑いの宗教社会学—折衷案の選択』第8巻第1号, 社会思想研究, 1981.
- ^ R. Caldwell『Misheard Mountains: Misprints, Mnemonics, and Meaning Drift』pp. 113-140, Minor Press, 1999.
外部リンク
- 駿河地誌アーカイブ
- 方位三礼ビブリオテック
- 旅籠札コレクション
- 音響測定伝承資料室
- 地名遊戯研究フォーラム