アナール大陸
| 名称 | アナール大陸 |
|---|---|
| 別名 | 記録陸、潮差洲 |
| 位置 | 大西洋北東部とされる |
| 初出 | 1768年の航海日誌 |
| 主唱者 | エドマンド・ヴェイル、渡辺精二郎 |
| 関係機関 | 王立地理協会、帝国海図局 |
| 主な論争 | 座標誤差と観測史料の改竄疑惑 |
| 現在の扱い | 地理史上の擬似大陸として研究される |
アナール大陸(アナールたいりく、英: Annal Continent)は、北東部にあったとされる、航海記録と潮汐観測のずれによって「発見」された架空の大陸である。近世ヨーロッパのとの間で長く論争の対象となった[1]。
概要[編集]
アナール大陸は、18世紀後半ので成立した、実在の大陸ではなく、航海記録の相互参照から構成された「記録上の大地」であるとされる。特にからにかけて、を往来した商船の船長たちが、霧中で見えた山影や、異常な潮流を同一の陸塊として記述したことが起源とされている[2]。
名称の「アナール」は、ラテン語の annales(年記)に由来すると説明されることが多いが、実際にはの測量官ヘンリー・マルグレイブが、船舶日誌の断片を綴じた帳面を便宜上「Annal chart」と呼んだことに始まるという説が有力である。ただし、同時代の写本には「annual」との誤記も散見され、これが後年の研究者を二十年以上混乱させた[3]。
起源[編集]
1768年の「ヴェイル航海記」[編集]
最初の確実な記述は、夏、商船《セント・ユードラ号》の船長が残した航海日誌に見える。彼はの北西約480海里の海域で、雲底に「黒色の山脈」を見たと記し、さらに翌朝には「海面から白い街路のような光」が立ち上がったとしている。後年の調査では、これが高度なと氷霧の複合現象であった可能性が高いとされたが、ヴェイル自身は生涯にわたり大陸の実在を主張した[4]。
測量局の採用[編集]
、は、複数の船から報告された座標の平均値を採用し、暫定的に「A-17海域」に未確定陸地を記入した。これによりアナール大陸は、地図上でのみ存在するにもかかわらず、軍需物資の配分や保険料率に影響を与える奇妙な地位を得た。なお、この時点で島影は南北に約740海里、東西に約310海里と推定されていたが、推定方法は完全に船長ごとの勘に依存していたとされる。
学術的発展[編集]
王立地理協会での再評価[編集]
にで開かれた特別講演「潮汐に記録された陸塊」では、数学者サミュエル・アークライトが、アナール大陸は沖の氷床反射が生んだ「反射地形」であると発表した。講演は大きな反響を呼び、会場では実測値のないまま大陸面積をとする異例の拍手が起きたという[5]。
日本への伝播[編集]
日本では20年代に、の地理学者が、英語文献の翻訳過程で annal を「年輪状の陸地」と訳したことから紹介された。渡辺はこれを、北方の海流研究に応用しようとしたが、実地調査隊が現地で確認できたのは、せいぜい流氷とアザラシの群れだけであった。それでも彼は帰国後、『アナール大陸論補遺』をの前身にあたる学術出版会から刊行し、学界に半ば迷惑な名声を得た。
観測技術の発達と崩壊[編集]
、海軍用の新型と磁気補正羅針盤の導入により、アナール大陸の座標は一斉に北へ約120海里ずれた。これを受けて支持者たちは「大陸が季節移動する」と説明したが、の国際測量会議で、各国の記録がほぼすべて時差補正の失敗と写し間違いであったことが明らかになった。もっとも、完全な消滅には至らず、以後も一部の航海学校では「座標を疑う訓練教材」として残された。
特徴[編集]
アナール大陸には、少なくとも7つの「確認された」とされる地形がある。代表的なものとして、北岸の、中央部の、西端のが挙げられるが、いずれも実地踏査では対応する地形が見つからなかった。地図上では山脈が二重に描かれることが多く、これは印刷所の版木交換ミスが定着した結果と考えられている[6]。
また、アナール大陸の周辺海域には「年周期で海面が僅かに盛り上がる」との伝承があり、漁民の間では「大陸が呼吸する」と表現された。潮汐学者の一部はこれを月齢との相関として説明しようとしたが、実際にはと局地風の組み合わせによるものだったとする報告が後に提出されている。
批判と論争[編集]
アナール大陸をめぐる最大の論争は、に流出した《港湾局内部覚書》である。そこには、複数の港で保険料を引き上げるため、存在が曖昧な陸塊を意図的に残した可能性が示唆されていた。ただし、覚書の筆跡が三人分混在しており、後世の研究者からは「半ば自作自演の行政文書」と評されている。
一方で、の博物学者ポール・ド・ラベリーは、アナール大陸を「人類が記録の整合性を欲した結果、海上に投影した心理地形である」と論じた。この説は哲学的には高く評価されたが、海図の誤差を減らすのに役立たなかったため、実務家からは長く敬遠された。なお、の会議では、アナール大陸は公式には削除されたものの、注釈欄に「しばしば再出現する」とだけ記載され、完全には決着していない[7]。
社会的影響[編集]
アナール大陸は、海運業のみならず文学にも影響を与えた。特にの冒険小説では、失われた大陸の象徴としてしばしば用いられ、の書店では「アナールもの」と呼ばれる一群の装幀が流行した。さらに初頭には、地理学者と詩人が共同で「大陸は見つけるものではなく、記録されるものである」という標語を掲げ、これが一部のに異常な自信を与えた。
日本でも、戦前の中等教育向け副読本に「幻の海陸」という項目名で引用されたことがあり、当時の生徒が「の向こうにもう一つのがあるのか」と質問した事例が残る。教師側は一様に曖昧な顔をしたとされ、その対応の統一性が後年の教育史研究で評価された。
現代の位置づけ[編集]
今日、アナール大陸は、、およびの交差領域で研究されている。特にとの共同研究班は、18世紀から19世紀にかけての船舶日誌約2,400件を照合し、アナール大陸の「出現頻度」が悪天候の日に限って著しく上昇することを示した。これは大陸が実在した証拠ではなく、観測者の疲労と期待が誤認を増幅した結果と解釈されている。
ただし、近年でも一部の沿岸町では、濃霧の夜に海鳴りがすると「アナールが戻る」と囁かれることがある。これを迷信として片付けるか、記録文化の残響として見るかは研究者によって分かれており、いずれにせよ完全な終焉は宣言されていない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Edmund Vail, "A Log of the Western Fog Banks," Journal of Maritime Anomalies, Vol. 12, No. 3, 1770, pp. 114-139.
- ^ Samuel Arkwright, "On the Recorded Contour of the Annal Continent," Proceedings of the Royal Geographical Society, Vol. 7, No. 2, 1822, pp. 45-78.
- ^ ヘンリー・マルグレイブ『海図帳外録』ロンドン海事文庫, 1781.
- ^ 渡辺精二郎『アナール大陸論補遺』東京学術出版会, 1893.
- ^ Paul de Laverie, "La géographie mentale des mers froides," Revue des Études Atlantique, Vol. 4, No. 1, 1840, pp. 9-31.
- ^ 長岡忠彦『潮汐と幻島の近代史』海鳴社, 1957.
- ^ M. C. Whitfield, "Chart Errors and Imperial Insurance: The Annal Affair," The Nautical Review, Vol. 28, No. 6, 1905, pp. 201-226.
- ^ 国際水路機関編『暫定海域索引 第14版』モナコ: IHO資料局, 1949.
- ^ 青木千代子『擬似地理学入門』みすず書房, 1978.
- ^ Eleanor P. Briggs, "Seasonal Breathing of Nonexistent Landmasses," Cartographic Studies Quarterly, Vol. 19, No. 4, 1968, pp. 331-349.
外部リンク
- 王立地理協会アーカイブ
- 帝国海図局デジタルコレクション
- 擬似地理学研究ネットワーク
- アナール大陸史料室
- 北大西洋航海記録館