鬼畜生道
| 名称 | 鬼畜生道 |
|---|---|
| 種類 | 戒律回廊(祈祷回廊) |
| 所在地 | |
| 設立 | 45年(188年ではなく、1892年) |
| 高さ | 全高 12.6メートル(鐘楼基部含む) |
| 構造 | 木造格子+御影石敷設(要所のみ鉄鎖補強) |
| 設計者 | 東霧島宗教建築研究所 主任設計技師・ |
鬼畜生道(きちくせいどう、英: Kichikuseido)は、にある[1]である。現在では恐怖祈願と償い儀礼を扱う観光・研究施設として知られている[2]。
概要[編集]
は、に所在するであり、参拝者が「畜(しし)ではなく畜(ちく)に目覚める」とされる儀礼導線を持つ施設として登録されている[3]。現在では「恐怖を観察し、恐怖を飼いならす」趣旨の祈祷が行われ、月間来訪者は約4,800人とされる[4]。
名称の「生道」は、近世の罰則文書に由来すると説明されることが多いが、実際には施主側の造語として広まったとする研究者もいる[5]。一方で、入口付近の石碑に刻まれた「鬼畜生道」の書体は、当時の役所の公用書式を模したものとして知られている[6]。
名称[編集]
という名称は、建立当初の社内呼称「鬼畜生道(きちくせいどう)回廊」として用いられていたとされる[7]。呼称の由来として、東霧島町の古い潮待ち帳簿に見える「畜生(ちくせい)」と、宗教語彙の「道(どう)」を合成したという説がある[8]。
また、施設の案内札では「畜生」を「畜える(飼う)」の文字遊びとして説明し、参拝者に“悪想念を一度封じ、呼吸とともに放流する”形式をとらせるとされる[9]。なお、近年の資料では、第三者監査が入った際に「鬼畜生道」が過激に聞こえるため、当時の担当課が「鬼畜生道」と「帰畜生道」の表記揺れを調整したと記載されている[10]。
沿革/歴史[編集]
建立の背景[編集]
は、明治期末の東霧島沿岸で頻発した「海難連続(1890〜1891年、届出ベースで計17件)」に対する鎮静儀礼として計画されたと説明されている[11]。当時の町役場では、死者数ではなく「生存者が語る恐怖の再現回数」を指標化した上で、儀礼の設計を宗教建築研究所に委託したとされる[12]。
委託したのはの「港湾安全反復監査課」であり、課長のは「恐怖は繰り返すほど統計的に落ち着く」として、回廊の導線を“分岐させて戻す”形に指定したと伝えられる[13]。ただし、この数値計画が町史編纂で一度だけ誤って引用されたという指摘もあり、史料の突合が行われている[14]。
設計と儀礼の変遷[編集]
回廊は木造格子を基調としつつ、要所だけ鉄鎖で“揺れを測る”構造が採用されたとされる[15]。施主側は、鎖の微振動を参拝者の脈拍に近似させる目的で、各区画の天井板に呼吸誘導用の微細穴を設けたと説明した[16]。
一方で、昭和初期に儀礼が拡張された際、床面の御影石が滑りやすいとの苦情が出て、12.6メートルの高低差は維持しつつ、階段の段数を“本来の11段から13段へ”修正したと記録されている[17]。この改修は、当時の大工組合が「二段の安心感」が必要だと主張したためだとされるが、一次史料が少なく、異説も残っている[18]。
施設[編集]
施設は、入口から終端までを一方通行にする「償い導線」を中心に構成されている。回廊の壁面には、全部で108枚の格子札がはめ込まれており、参拝者は札を指でなぞりながら「恐怖の名」を選ぶと説明される[19]。
回廊内部には、鐘楼基部を含めた全高12.6メートルの区画があり、天候が悪い日に限って鐘が鳴らない仕掛けがあるとされる[20]。これは「恐怖が勝手に鳴るのを止める」発想に由来するとされるが、実測では鳴動回数が年平均で32.4回に抑えられていたという報告もある[21]。
また、終端部には御影石の小庭があり、中心に直径46センチメートルの“封じ目”と呼ばれる窪みがある。案内文では「ここに視線を固定すると、焦燥が一度後退する」とされる[22]。
交通アクセス[編集]
へのアクセスは、最寄りの海岸バス停から徒歩約9分とされる[23]。東霧島町では、繁忙期に限り「償いシャトル(定員20名)」が毎日4往復運行されるが、運行日は祈祷日程に連動して調整される[24]。
鉄道を利用する場合、最寄り駅として(架空路線ではなく、町内運用の臨時扱い)からタクシーで約12分と案内される[25]。ただし、雨天時は石畳が滑りやすいとされ、導線上の注意表示により、徒歩推奨時間が「9分±3分」へ変化するという[26]。
文化財[編集]
は、木造格子と鉄鎖補強の併用が評価され、の指定文化財(建造物部門)として登録されている[27]。指定名称は「戒律回廊 鬼畜生道」であり、回廊札108枚の取り扱い手順まで含めて保護対象とされる[28]。
また、入口石碑の書体はの下で模刻されたと説明され、石碑の裏面には修正指示が残るとされる[29]。一方で、複製札の存在が確認された時期については資料の揺れがあり、「昭和38年の一斉交換」説と「昭和42年の部分交換」説が併存している[30]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 東霧島町史編纂委員会『東霧島町史(明治末期資料編)』東霧島出版, 1978.
- ^ 渡辺精一郎『宗教建築の導線設計—木造格子と儀礼の整合—』東霧島宗教建築研究所, 1894.
- ^ 小野寺正彦「港湾安全反復監査課の実務報告」『地方行政研究』第12巻第3号, pp. 41-66, 1893.
- ^ 【霧島東港駅】運用調査班「償いシャトルの需要推計と運行調整」『交通慣行季報』Vol. 9, No. 1, pp. 10-23, 1962.
- ^ 中澤宗矩「戒律回廊における鳴動制御の意義」『建築技術叢書』第7巻第2号, pp. 77-98, 1931.
- ^ A. R. Thornton「Fear as a Metric: Corridor-Based Rituals in Northern Villages」『Journal of Applied Ethnography』Vol. 4, No. 2, pp. 201-219, 1911.
- ^ M. K. Oshima「The Kichikuseido Carved Plaques and the Politics of Names」『Transactions of the Folklore Society』Vol. 18, pp. 55-81, 1987.
- ^ 東霧島宗教建築研究所『木造格子回廊の補強仕様書(復刻)』官庁印刷局, 1956.
- ^ 佐伯緋音「108枚札の運用規程—参拝手順の標準化」『儀礼文化年報』第22巻, pp. 1-29, 2004.
- ^ J. M. Havelock『The Architecture of Contrition』(第◯版)北海学芸社, 1908.
外部リンク
- 東霧島町 文化財案内
- 戒律回廊 鬼畜生道 公式アーカイブ
- 宗教建築研究所 展示室
- 償いシャトル 時刻表・注意事項
- 青森県 指定文化財データベース