OK牧場
| 所在地 | 内・石狩平野縁辺の架空酪農区画 |
|---|---|
| 運営 | OK牧場運営協議会(民間委託) |
| 開始年 | (開業年とする説が多い) |
| 中心機能 | 見学牧場・乳製品直売・体験教室 |
| 来場動員 | 年間約42万人規模(観光資料による) |
| 象徴的設備 | 円形ミルキングステーション |
| 活動領域 | 地域観光・衛生教育・販売促進 |
| 終息 | (閉鎖とされる) |
(おーけいぼくじょう)は、かつての酪農地帯に存在したとされる、観光と畜産を統合した私設テーマ施設である。地域経済の循環装置として宣伝され、同時に運営方針をめぐる騒動も生んだとされる[1]。
概要[編集]
は、牧場を単なる飼育現場ではなく、来場者の学習と消費を同時に成立させる「半公開の生産ライン」として設計された施設である。特にの“香り”を数値化するという販促が注目されたとされ、当時の観光パンフレットでは「OKとは“オフリミットの香味”の略」という説明が添えられていたとされる[1]。
一方で、衛生基準と集客運営のバランスが崩れた時期があり、との調整や、販売スケジュールをめぐる紛争がたびたび報道されたという。のちにこの施設は「成功したように見えた地方の実験」として回顧されるが、資料の多くが運営側の回想録からの引用であるため、細部の真偽は揺れていると指摘される[2]。
この施設の位置づけは、や自治体の産業振興策とも“相性がよいように見えた”ことから、全国の同種施設のモデル候補として言及されることがあった。ただし、その「モデル」という語は後年の関係者による宣伝文言の再利用であった可能性もあるとされる[3]。
概要(成立と選定の基準)[編集]
「OK牧場」という名称が選ばれた経緯については複数の説がある。第一に、当時の運営責任者が米国の酪農研修で見たチェックリストの「OK印」に由来するとする説である。第二に、地元の酪農家組合が子どもの落書きから拾った“OKサイン”が評判になり、それを正式名称に格上げしたとする説である。
資料上では、施設が提供した体験は約3系統に分類されると整理されている。すなわち、(1)搾乳工程の見学、(2)乳製品の官能評価ワークショップ、(3)販売カウンターでの“投票”型試食である。特に(3)は、来場者がテイスティング順序に番号札を付け、それを集計する方式だったとされ、投票結果を「その日のOK」と称する運用が広報された[4]。
このような運営の特色が注目され、開業後2年で「衛生教育と販売促進を同時に実施する場」という説明が固まった。一方で、衛生指導の観点からは来場動線と作業動線の分離が不十分だったのではないか、という疑義も後に出されたとされる[5]。
歴史[編集]
開業前夜:『回転する搾乳室』構想[編集]
の構想が固まったのはの冬とされる。運営協議会の議事メモには、円形の搾乳スペース(のちにと呼ばれる)が「作業効率と来場満足度の同時最大化」を目的に設計されたと書かれている[6]。
具体的には、搾乳担当者の移動距離を毎日“2.4km短縮”する計算が提示されたという。さらに、来場者の視線が搾乳台に固定されるよう、照明の角度を「水平から17度」と定めたとされる。ここまで細かい数値が出てくることから、後世の編集者が資料を整える過程で誇張が混ざった可能性があるとも指摘される[7]。
なお、施設の外周には“香味回廊”と呼ばれる小道が配置されていたとされる。この回廊では、乳の香りを嗅ぐ順序を「時計回りに3周」「各周30秒」などのルールで管理したという。観光としては奇妙に見えるが、当時の香料関連の民間研究が流行していたことが背景にあったと推測される[8]。
拡大期:観光行政との“相互承認”[編集]
開業後、はを中心に広く告知され、週末には臨時駐車場が設営されたとされる。ある資料では、渋滞緩和のため「車両の流入を午前9時から9時20分の20分間に限定」したと記録されている[9]。ただし、同じ資料に「限定したはずの20分間に、入場ゲートが同時刻に3回更新された」とも書かれており、運用の矛盾がうかがえるともされる。
また、衛生教育の一環として、来場者に配布されたパンフレットには「飲む前に“OK”を取る」手順が描かれていたという。手順は、(1)手袋着用、(2)搾乳台から2歩離れる、(3)テイスティング用スプーンを3回回す、(4)紙コップに残る泡の量を観察する、というものであったとされる[10]。
この期間、やの担当者が視察に訪れたとされるが、訪問記録の多くが関係者の回想に依存している。いずれにせよ、行政側は“成功事例”として写真付きで紹介することはあった一方、運営の自由度が過度に拡張されると衛生監督の手間が増える、という現実的な課題も同時に生じたと推定される[11]。
終息と後日談:『OKの定義』をめぐる裁定[編集]
の春、施設の販売コーナーで“OK判定”の基準が揺れたことが騒動の発端になったとされる。当時、試食投票の集計方法が一時的に変更され、「泡の量が0.8割を超えたらOK」とする新ルールが持ち込まれた。しかし翌月、その数値が「0.7割に見える」と誤って指導されたため、返金と謝罪が相次いだという[12]。
この騒動は結局、ではなく、地域の“衛生監督会議”での非公開調停に落ち着いたとされる。調停記録の写しには、来場者に配る測定紙の色がロットによって差が出たこと、そして「色の差が香味の差だと誤認される」問題が指摘されたと書かれている[13]。
その後は、集客の伸びが鈍化したタイミングで閉鎖に向かったとされる。閉鎖理由としては、(1)衛生監督費用の上昇、(2)獣医師の確保難、(3)観光需要の季節偏重、などが挙げられるが、資料によって強調点が異なるとされる。なお、最後の営業日は「OK」スタンプが無くなるまで来場者が押し続けた、という逸話だけが妙に一致して語られている[14]。
批判と論争[編集]
運営の“面白さ”はしばしば賞賛される一方、批判も早かったとされる。とくに、側からは、見学と体験の導線が作業工程に近すぎるのではないかという指摘があったと報じられている[15]。ただし当時の関係者は、導線分離は存在していたと主張し、問題はむしろ「人の動きの予測不足」だと述べたという。
また、“OK”の意味が期間によって変わった点も論争の種になったとされる。開業当初は“オフリミットの香味”が公式説明だったが、のちに「来場者が納得した状態」という一般的な意味合いに寄せられたという。さらに最終期には「OK=清掃完了の合図」とする掲示が出されたとも言われ、名称が理念よりも運用に引きずられていたのではないかと見られた[16]。
さらに、官能評価ワークショップが“数値のある科学”に見えるように作られていたことも批判された。実際の味覚は個人差が大きいとされるが、当時のパンフレットは泡の量や香りの強さを擬似的に数値化していたとされる。この点について、研究者の立場からは「教育としては興味深いが、断定的な表現は誤解を招く」とするコメントが寄せられたと記録されている[17]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 北条ユウマ『地方観光施設の運用設計:導線と衛生の“境界”』北海道商工出版社, 【1974年】.
- ^ 真嶋リョウ『“OK”という記号の社会史:合図・納得・販売』未来文化研究会, 【1981年】.
- ^ Dr. エミリア・ヴァリントン「A Semi-Open Production Line for Dairy Tourism」『Journal of Rural Hospitality』Vol.12 No.3, pp.41-58, 1986.
- ^ 西脇カンタ『香りを数値化する時代:民間官能研究の現場報告』科学民話社, 【1983年】.
- ^ 佐伯アサヒ『酪農の見学制度と行政調整』新行政協会, 【1988年】.
- ^ Hiroshi Matsunaga「Taste Voting Systems and Patron Perception」『International Review of Food Experiences』Vol.7 Iss.1, pp.9-24, 1990.
- ^ 富岡ハルノ『テーマ牧場の経営学:来場動員42万人の“内訳”』牧場経営研究所, 【1993年】.
- ^ 田代シンゴ『衛生教育のデザイン:誤認を減らす掲示文』保健図書出版, 【1992年】.
- ^ “北海道観光史資料叢書”編集委員会『札幌圏の新観光実験:1965-1995』北海道観光振興協会, 【2002年】.
- ^ E. Larkin『Dairy Attractions and the Language of Compliance』Northfield Academic Press, 1995.(一部記述が他資料と整合しないとされる)
外部リンク
- OK牧場記録館(保存資料)
- 香味回廊フォーラム
- 円形ミルキングステーション設計アーカイブ
- 衛生監督会議の公開要旨(抜粋)
- 北海道酪農観光研究会データベース