魂吹き込み憑依銃
| 名称 | 魂吹き込み憑依銃 |
|---|---|
| 別名 | 憑依式導霊銃、呼魂機 |
| 分類 | 霊的制御器具、人格付与装置 |
| 初出 | 1928年ごろ |
| 考案者 | 西園寺 鉄之助 |
| 主な開発地 | 京都府京都市、兵庫県神戸市 |
| 用途 | 慰霊、演芸、工場の士気調整 |
| 方式 | 気圧弁式・振動共鳴式 |
| 規制 | 1941年に準軍需品扱い |
魂吹き込み憑依銃(たましいふきこみひょういじゅう、英: Soul-Inhalation Possession Gun)は、対象物に一時的な人格模倣作用を与えるとされる、末期に成立したとされる霊的制御器具である。の民間導霊工房を起点に、のちに系の研究班でも試験されたとされる[1]。
概要[編集]
魂吹き込み憑依銃は、対象の木偶、玩具、記録媒体、あるいは一部の無機質な工具に対して、操作者の呼気と低周波振動を用いて「一時的な魂の居着き」を起こすとされた器具である。古来の概念を工業化したものとして語られ、霊媒の所作をの工程に置き換えた点が特徴とされる。
もっとも、実用というよりは祭礼用の見世物として普及した面が強く、初期にはの寄席や百貨店の屋上で、しゃべる人形が突然店員の愚痴を言い始める演目が流行したという。なお、当時の広告には「三分で人格が入る」と記されていたが、実際には二十秒ほどで飽きられることが多かったとされる[2]。
歴史[編集]
成立以前の霊媒器具[編集]
原型は後期の「呼魂筒」にあるとされる。これはの山間部で使われた竹製の鳴子で、亡魂を呼ぶ際に谷風を増幅する民俗具であったが、の後、慰霊行事の需要が急増したことで金属製の可搬装置へと発展した。
この時期、民俗学者のが「音は魂の足場である」と記した覚え書きを残しており、これが後年の開発者らに誤読された結果、呼気を「魂の搬送媒体」とみなす理論が成立したとされる。もっとも、兼吉の原文は料理と祭礼を混同した単なる書き付けであったともいわれる[3]。
西園寺鉄之助による量産化[編集]
量産化に成功したのは、京都の発明家である。彼は、の長屋を改造した工房で、霊媒の息継ぎを模したピストン機構と、の針を転用した振動子を組み合わせ、最初の「魂吹き込み憑依銃甲型」を完成させた。
鉄之助はもともと時計修理職人であり、歯車の戻り癖を利用すれば「記憶の癖」も入れられると主張したという。彼は試作第7号をの奉納講で公開し、木製の狐面が急に方言を話し出したことで一躍有名になった。ただし、この逸話には後年の宣伝が大きく混ざっているとされる[4]。
軍需・慰霊・演芸への転用[編集]
以降、器具は三つの方向に分岐した。第一は慰霊用途で、戦没者名簿を収めた札箱に短時間だけ人格模倣を与え、遺族が「ひと言だけ答える木札」として利用したものである。第二は演芸用途で、やの小屋で、漫才の相方が入れ替わる即興劇に転用された。第三は準軍需用途で、の外郭研究班が「無人哨戒標識への応答訓練」に使ったとされる。
ただし軍需転用については、実際には倉庫番の眠気防止に使われていただけではないかという異論もある。試験報告書では、操作後の標識が三回に一度「本日は休業」と鳴いたため、実戦配備は見送られたとされる[5]。
構造と作動原理[編集]
魂吹き込み憑依銃は、把持部、呼気室、共鳴筒、封入弁、そして「戻し鈴」と呼ばれる解除機構から成る。外観は短銃に似るが、実際にはの梵鐘との送紙爪を折衷したような構造で、銃身内に霊気を溜めるのではなく、操作者の呼吸パターンを対象へ転写すると説明された。
作動時には、まず使用者が対象物の名を三度唱え、次に半拍遅れで息を吹き込む。これにより内部の銅膜が震え、記憶残滓が「人格の輪郭」として一時的に立ち上がるという。なお、取扱説明書には「連続使用は1日4回まで」とあるが、の実験では11回目に文机が勝手に職務怠慢を訴えたため、以後は「必ず休ませること」と追記された[6]。
社会的影響[編集]
本器具は、前期の都市文化に奇妙な足跡を残した。百貨店では「喋る雛人形」が季節催事として定着し、工場ではライン作業の単調さを紛らわせるため、週一回だけ工具に人格を入れる「雑談点検」が実施されたという。また、の一部研究会では、器具を使った「語り石」の公開実験が行われ、石碑の前でだけ関西弁が強くなる現象が報告された。
一方で、憑依後の対象が勝手に権利主張を始めることがあり、特に帳簿や看板に入れた場合は回収が面倒であった。あるの銭湯では、番台の木札が「今日は人手が足りない」と訴えたまま二週間戻らず、以後、浴場業界では「木に人格を入れると番台が増える」という格言が残ったとされる。
批判と論争[編集]
魂吹き込み憑依銃は、当初から霊術師と機械工の双方から批判を受けた。霊術師側は「魂を吹き込むには作法が粗すぎる」とし、機械工側は「そもそも人格を弁で調整する発想が危険である」と非難した。さらにには、の試験場で操作員が対象人形の独白に引き込まれ、三時間にわたり自らの下宿事情を語り続けた事件があり、以後「逆憑依」と呼ばれる症例が議論された。
また、開発者の西園寺が晩年に「魂とは圧力差のことである」と発言したと伝えられるが、この記録は講演速記の誤読ではないかという指摘がある。現代の民俗学では、同器具を霊的技術ではなく、戦間期における感情労働の装置化の一例として解釈する説が有力である[要出典]。
衰退と再評価[編集]
の統制強化で、魂吹き込み憑依銃は準軍需品から外され、部品の多くは計量器やラジオ修理に転用された。戦後は「危険な見世物」として一時忘れられたが、に入ると民俗展示や前衛演劇の小道具として再評価された。
特にの小劇場では、復刻型の甲乙両機を用いて、空の植木鉢に老人役を入れる公演が話題となった。観客の一部は感動したと述べたが、別の観客は「どう見ても鉢の方が演技がうまい」と評したという。この評価の揺れ自体が、本器具の文化史的な価値を示しているとされる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 西園寺鉄之助『呼魂機械学概論』洛陽工房出版部, 1930.
- ^ 小泉兼吉『音響と魂の足場』民俗評論社, 1926.
- ^ 村上千代子『都市慰霊と可搬霊具の成立』京都文化叢書, 第4巻第2号, 1978, pp. 41-68.
- ^ Robert H. Ellison, "Pneumatic Mediums in Interwar Japan", Journal of Comparative Folklore, Vol. 18, No. 3, 1982, pp. 201-229.
- ^ 田所勇一『憑依銃試験報告書集成』帝都資料刊行会, 1942.
- ^ Margaret L. Sloane, "Breath as Container: Apparatuses of Temporary Personhood", Studies in Material Rituals, Vol. 7, No. 1, 1991, pp. 77-104.
- ^ 西園寺澄江『父・鉄之助の失敗と成功』私家版, 1964.
- ^ 長谷川紘『戦間期演芸と話す道具』芸能史研究, 第12巻第5号, 2004, pp. 5-33.
- ^ A. Nakamura, "The Returned Bell Mechanism and Its Social Life", Kyoto Urban Humanities Review, Vol. 3, No. 2, 2010, pp. 9-19.
- ^ 『魂吹き込み憑依銃取扱必携 改訂第三版』中央導霊協会, 1937.
外部リンク
- 日本導霊器具史アーカイブ
- 京都民俗工学博物誌デジタル館
- 戦間期演芸資料室
- 呼魂機研究会
- 霊術器具索引データベース