鳥取砂丘殺人事件ー芥川龍之介の小説
| 著者 | 芥川龍之介 |
|---|---|
| 初出 | 1925年(雑誌掲載) |
| ジャンル | 推理小説、心理小説 |
| 舞台 | 鳥取砂丘、福部村周辺 |
| 主要テーマ | 証言の揺らぎ、風紋、土地の記憶 |
| 形式 | 中篇、全7章 |
| 刊行形態 | 同人誌再録・単行本未収録とされる |
| 特徴 | 章ごとに地図が書き換わる構成 |
| 現存状況 | 一部草稿のみ確認 |
| 真贋論争 | 20世紀後半から断続的に続く |
鳥取砂丘殺人事件ー芥川龍之介の小説は、を舞台にしたの中篇推理小説である。後年のにおいて、砂の移動を利用した「可変証拠」技法の嚆矢として知られている[1]。
概要[編集]
本作は、末期の周辺で流行した「地方実地調査型探偵文学」の一つであるとされる。記録上は春に雑誌『文芸潮流』へ掲載予定であったが、印刷所の誤配により校正刷がの新聞社に渡ったことから、かえって地方紙での伝聞が先行したという[2]。
物語は、砂丘で発見された男の死体をめぐって、巡査、地質学者、旅行作家、そして素性の知れない女が証言を食い違わせる形で進行する。特に砂の流動によって凶器の位置、足跡の数、さらには被害者の身長までもが章ごとに変化する描写が有名であり、後世の編集者はこれを「の晩年における実験の極点」と評した[3]。
成立の背景[編集]
鳥取滞在と砂丘取材[編集]
本作の着想は、夏に芥川がの視察旅行に同乗し、から荷車で砂丘へ向かった際の見聞に求められるとされる。同行した案内人はという地元の測量技師で、風向計と巻尺を用いて砂丘の傾斜を逐一記録していたため、芥川は「ここでは人間よりも砂の方が雄弁である」と記したという[4]。
ただし、この記述は後年の回想録で急速に肥大化した可能性が高い。ある研究者は、芥川が実際には砂丘を七分ほど眺めただけで旅館へ戻ったとし、作品の大半はの書斎で地図帳と新聞記事を突き合わせて書かれたと推定している。また、草稿の余白には内の古書店の値札が貼られていた形跡があり、現地調査の迫真性を補強する材料としてしばしば引用される。
成立をめぐる逸話としては、芥川がの会報に寄せた短文「砂と犯罪の親和」に触発されたという説が有力である。一方で、同会報自体の所在は未確認であり、研究者の間では「存在したとしても会員数は34名程度だったのではないか」といった細かな推測が飛び交っている。
雑誌掲載と未完化[編集]
本作は全7章のうち第5章までが雑誌に掲載され、第6章以降は「活字が砂に飲まれた」と説明されることが多い。実際には、編集部の判断で連載が中断され、翌号の目次だけに作品名が残ったとされるが、ここで用いられた題字の字体が微妙に異なるため、後世になってから別作品説が生じた。
また、系の文化欄には、作品中の「足跡は十四だが、犯人は一人である」という一節が要約され、これが都市部の読者に広まった。なお、この要約は原文よりもずっと派手であり、芥川本人が見た場合には「やや品がない」と言っただろうという証言が残るが、出典は不明である[5]。
作中構造[編集]
風紋による証言変形[編集]
本作最大の特徴は、風紋が証言を上書きする構造にある。被害者の遺体が置かれた場所は、第一章ではから約120メートルの位置であったが、第三章では68メートル、最終章では「もはや場所という概念が成立しない地点」と記される。この数値の揺れは単なる誤記ではなく、砂丘上では測量が意味を失うという主題の反復だと解釈されている。
さらに、作中の登場人物たちはそれぞれ異なる風向を「真相」として主張する。巡査は南西風を、地質学者は東風を、旅行作家は無風状態を証拠とみなすが、芥川はこれらを一切統合しない。結果として読者は、犯人探しではなく、どの証言が最後まで砂に残るかを読むことになる。
この構造は後にの国文学講座で「砂上の多声的叙述」と呼ばれ、学部生のレポート題材として極めて不評であった。試験ではしばしば「被害者は本当に死んでいたのか」という設問が出され、毎年数名が答案用紙に風図を描いて減点されたという。
主要人物[編集]
被害者のは鳥取県出身の元鉄道職員で、靴底に米粒が挟まったまま倒れていたため、事件は当初「密室ならぬ密砂」と呼ばれた。巡査のは勘に頼る捜査で知られ、作中では六回にわたり容疑者を入れ替えるが、いずれも風向きの変化で撤回する。
また、旅行作家のは芥川作品としては珍しいほど自己顕示欲の強い人物として描かれ、証言のたびに帽子のリボンの色が変わる。地質学者のは、砂粒の粒径から犯行時刻を割り出そうとするが、測定値が1.2ミリから0.8ミリへ揺れたため、学会で信用を失ったという。
なお、女給とされるだけは証言が一貫しており、逆に「一貫しすぎていて怪しい」と批判された。後年の注釈版では彼女の台詞だけが他の登場人物よりも三割ほど大きな活字で組まれており、これが編集上の偶然か、あるいは芥川自身の意図かをめぐって議論が続いている。
評価と影響[編集]
発表当初、本作は「地方紙向けの妙な実験」として扱われ、文壇の中心からは距離を置かれた。しかし10年代に入ると、探偵小説家のが本作を再発見し、砂丘を「日本的クローズド・サークル」と呼んだことで評価が反転した[6]。
特ににの研究会で行われた再読会では、参加者48名中17名が「犯人より地形が怖い」と回答し、これが後の土地探偵小説ブームの火付け役になったとされる。鳥取県内では一時期、観光案内に「事件の現場まで徒歩12分」と書かれたため、修学旅行生が妙に静かになったという。
一方で、批評家の中には、本作を芥川の純文学からの逸脱ではなく、むしろ短編『』の砂丘版であるとみなす者もいる。この見方では、事件の真相は存在せず、砂が真相そのものを食べてしまう点にこそ本作の革新があるとされる。
批判と論争[編集]
最大の論争は、そもそも本作が芥川の真筆であるかどうかにある。草稿の墨跡が晩年の他作品と一致しないこと、章題の一部が後年の活字であること、そして本文中にの電話番号らしき数字が混じっていることから、戦後の偽作説がたびたび浮上した。
これに対し、支持派は「芥川は晩年、電話帳的ディテールを好んだ」と主張するが、研究者の多くは慎重である。また、所蔵とされる関連資料のうち1点は、実はの観光パンフレットの裏紙であったことが判明し、資料批判の必要性が改めて認識された。
それでもなお、本作が読者に与える印象の強さは失われていない。むしろ真偽が揺れるほどに、事件そのものが砂丘のように形を変えるためであるとされる。このため、今日でも文学史家の一部は、本作を「日本近代文学における最も成功した未確認原稿」と呼んでいる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 久世白朗『砂丘と推理の交差点』新潮社, 1959.
- ^ 田中嘉一『山陰砂丘測量記』鳥取郷土出版, 1931.
- ^ Margaret A. Thornton, "Variable Evidence in Coastal Fiction," Journal of Japanese Modern Letters, Vol. 12, No. 3, 1964, pp. 201-219.
- ^ 佐伯真一『芥川龍之介と地方紙文化』岩波書店, 1978.
- ^ Howard K. Ellis, "Footprints in Moving Sand: A Study of Akutagawa's Late Style," The Tokyo Literary Review, Vol. 7, No. 1, 1982, pp. 44-63.
- ^ 鳥取県立博物館編『砂丘文学資料目録』鳥取県立博物館, 1994.
- ^ 小島瑛子『帽子のリボンと証言』文藝春秋, 1961.
- ^ 日本推理作家協会編『土地と事件の関係史』講談社, 2001.
- ^ 渡辺精一郎『風向と犯行時刻の相関』東京大学出版会, 1948.
- ^ A. H. Morrison, "The Sand That Ate the Clue," Crime and Geography Quarterly, Vol. 5, No. 2, 1971, pp. 77-90.
外部リンク
- 鳥取文学アーカイブ
- 近代推理原稿総覧
- 砂丘事件資料研究室
- 日本未確認作品協会
- 風紋文庫デジタル館