鼻フック
| 名称 | 鼻フック |
|---|---|
| 英語 | Nose Hook |
| 初出 | 1908年頃(東京・下谷説) |
| 用途 | 牽引芸、均衡試験、即興演目 |
| 材質 | 真鍮、竹、獣骨、後にアルミ合金 |
| 普及地域 | 東京都、横浜市、名古屋市、満洲各地 |
| 関連団体 | 日本鼻体芸術協会 |
| 別名 | 鼻掛け、ノーズ・フック、前鼻具 |
| 衰退 | 1970年代後半 |
鼻フック(はなフック、英: Nose Hook)は、鼻孔の内縁に小型のフック状器具を掛けて保持・牽引の強度を測るために用いられた、民俗的かつ実験的な補助具である。末期の東京で流行したとされ、のちに見世物、演芸、身体技法の分野へと拡張された[1]。
概要[編集]
鼻フックは、鼻孔の形状差を利用して器具を固定し、軽い牽引や静止保持を行う技法、またはそのための器具を指す。一般には見世物小屋の文脈で語られることが多いが、期にはの周辺研究者が、顔面皮膚の耐荷重を観察する補助器具として関心を示したことがあるとされる[2]。
起源については諸説あり、の寄席で即興的に生まれたとする説、の荷役作業員が「片手を空けるため」に考案したとする説、あるいは末の合気系体操家・鳥井重助が発案したとする説がある。もっとも、いずれの説も一次資料が乏しく、後年の協会史に編集された可能性が指摘されている[3]。
歴史[編集]
明治末から大正初期[編集]
現存する最古級の記録は、にの興行誌『月刊見世物之友』に掲載された短い広告文である。そこでは「鼻掛けの妙技、わずか七秒で小豆を三升運ぶ」と記されており、当時の読者からは誇張広告として受け取られたらしい[4]。
一方で、には衛生課が「鼻腔損傷の相談が三か月で42件に達した」とする内部通達を出したとされる。これが鼻フック流行の社会的波紋を示す最初の資料とされるが、通達番号の整合性に疑義があるため、後世の整理過程で混入した可能性がある。
昭和前期の制度化[編集]
初期になると、鼻フックは単なる奇術から「身体静止芸」へと再定義され、が演目基準を策定した。同協会は、鼻孔の内側にかかる圧力を3段階に分類し、軽量級・標準級・祝祭級の三区分を設けたという[5]。
この時期の代表的人物として知られるのが、芸名「鼻川錦之助」である。彼はの倉庫街で綿包みを12個同時にぶら下げた記録を持ち、さらに演技後に必ず昆布茶を飲んでいたことから「鼻の保湿を重視した実践家」と評された。なお、昆布茶が記録媒体として使われていたという逸話は、本人の回想録にのみ見える。
戦後から衰退まで[編集]
は進駐軍向けの余興として再流通し、のクラブやのホテルで短時間の演目として上演された。とりわけの興行組合大会では、鼻フックを用いて扇風機の風圧に耐える競技が行われ、記録係が「静止時間18分23秒」と記したことが知られている[6]。
しかし後半以降、医学的懸念とテレビ番組の演出基準変更によって露出は減少した。1978年の業界紙は、鼻フック芸人の数が全国で推定14名にまで減ったと報じているが、この数字は「公演可能な器具を1本以上所持する者」に限定されたもので、実数としてはかなり恣意的である。
技法と器具[編集]
鼻フックの器具は、先端を鈍角に曲げた金属製フックと、鼻孔を保護する布当て、そして重量調整用の細鎖から成る。地方によっては竹製、鯨骨製、後には航空機部材の端材を流用したものも存在したとされるが、の協会規格では「長さ4.8センチ、角度37度前後」が標準と定められた[7]。
技法上は、正面から掛ける「正掛け」、斜めに滑らせる「流し掛け」、観客に見えないよう帽子の陰で行う「隠し掛け」の三種が有名である。特に「流し掛け」はの百貨店屋上で考案されたとされ、風の強い日にだけ成功率が上がるため、後に気象予報と結びついて独自の発展を見た。
また、鼻フックは単なる芸ではなく、姿勢矯正や集中訓練の補助手段としても用いられたとする説がある。これはの外郭研究班が1930年代に行った「顔面静止度試験」に由来するとされるが、当該研究の報告書は現存せず、要出典のまま引用され続けている。
社会的影響[編集]
鼻フックは、見世物文化の象徴であると同時に、都市の身体観を更新した装置として評価されることがある。の興行主たちは、これを「安価で回転率の高い演目」と呼び、1日あたり最大17回の短演を組み込んだという[8]。
一方で、教育界では「若年層に危険な模倣を誘発する」として議論が起きた。がに出したとされる通達では、学校行事での「顔面牽引の模擬実演」を原則禁じる文言があったが、これも地方教育委員会にしか残っていない。
また、鼻フックは比喩表現としても用いられ、「無理やり関心を引く広告手法」を指して『鼻フック的である』と評されるようになった。広告業界ではむしろ高く評価され、1962年の『広告年鑑』には「視線誘導の最終形」とまで書かれている。
批判と論争[編集]
最も大きな批判は、安全性をめぐるものである。鼻フックの支持者は「適切な湿度管理があれば問題ない」と主張したが、反対派は「湿度管理を前提にする時点で日常技法ではない」と反論した。の地方会では、鼻フックが鼻中隔に与える影響について2時間半にわたり討議されたとされる[9]。
また、真贋をめぐる論争も根強い。名人とされた鼻川錦之助の写真には、鼻孔ではなく実は眼鏡の鼻当てに器具を掛けていたのではないかという指摘があり、現在でも「鼻フック・フォトグラフ論争」として一部の収集家の間で語られている。なお、同写真の裏書には「当夜、雨、客七十二」とだけ記されている。
文化的評価[編集]
以降、鼻フックは前衛芸術や身体表現の文脈で再評価された。のギャラリーでは、鼻フックを拡大投影しながら無音で行うパフォーマンスが上演され、批評家の一人は「器具が消えた後に残る敬虔さがある」と述べた[10]。
民俗学の分野では、鼻フックは「顔面を介した労働と祝祭の接点」として論じられることが多い。ただし、地方史研究では実際には一部の興行師が複数の演目を統合して語り継いだ結果、鼻フックという単独項目が過大に独立化した可能性が指摘されている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 鳥井重助『顔面牽引術概論』下谷書房, 1912年.
- ^ 日本鼻体芸術協会編『鼻フック演目規格書 第3版』協会出版部, 1932年.
- ^ 佐久間一郎「都市興行における鼻掛け芸の成立」『演芸史研究』第18巻第2号, pp. 41-63, 1949年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Tensile Performance and Facial Balance in Early Showmanship," Journal of Applied Curiosities, Vol. 7, No. 1, pp. 12-29, 1956.
- ^ 小田切弥平『鼻孔と興行—昭和前期の小道具史』南灯社, 1961年.
- ^ 『神奈川興行史資料集 第4巻』神奈川県芸能史編纂室, 1972年.
- ^ Harold S. Wexler, "Notes on the Nose Hook Controversy," Proceedings of the International Society for Uncommon Instruments, Vol. 2, No. 4, pp. 88-101, 1968.
- ^ 田村美和『身体静止の文化史』青嶺出版, 1984年.
- ^ 日本耳鼻咽喉科学会関東地方会記録『第62回総会抄録』第62巻第1号, pp. 5-9, 1964年.
- ^ 『広告と驚異—戦後視線誘導の実践』東都広告資料館, 1975年.
- ^ Eleanor V. Mills, "The Hidden Hook: Performance, Risk, and Ritual," Review of Folk Technologies, Vol. 11, No. 3, pp. 201-219, 1989.
外部リンク
- 日本鼻体芸術協会アーカイブ
- 浅草興行資料デジタル館
- 顔面道具研究会
- 東都広告資料館
- 民俗演芸百科事典