1862年のF1世界選手権
| 読み | 1862ねんのえふわんせかいせんしゅけん |
|---|---|
| 発生国 | イギリス |
| 発生年 | 1862年 |
| 創始者 | ジョナサン・アッシュクロフト(Jonathan Ashcroft) |
| 競技形式 | 多段ギア付き蒸気カートの周回レース(混走制) |
| 主要技術 | 蒸気圧制御と路面摩擦の推定(摩耗予測) |
| オリンピック | 1896年の試験種目として採用、1912年に公式競技相当とされたとされる |
1862年のF1世界選手権(1862ねんのえふわんせかいせんしゅけん、英: F1 World Championship of 1862)は、で生まれたのスポーツ競技である[1]。
概要[編集]
は、と呼ばれる機械装置を用いて周回速度を競う、いわゆるに分類されるスポーツ競技である。
競技名の「F1」は、当時の海軍省技術官が整備した階級コードに由来するとされるが、後の研究では「ファースト・フィールド(第一走行場)」の略として再解釈されたとされている。なお、本大会は「世界選手権」と称する形態ではあるものの、実際には各国の代表チームが“同一レース日程に集まる”というより、条約に基づく相互出場契約で実現したと説明されることが多い。
本競技は、都市部の交通技術と観客の視覚的快感を結びつけた点で社会的影響が大きく、当時の広告・保険・鉄道保全の制度設計にも波及したとされる。
歴史[編集]
起源[編集]
この競技の起源は、における「蒸気安全監査」の需要増に関連すると説明される。1861年、(英: Royal Hull Supervision Office)が、港湾での小型蒸気機関の事故率を3年で19.4%減らす目標を掲げた際、機関の圧力変動を“走らせて見せる”訓練法が提案されたとされる[2]。
訓練法の一環で、が個人所有の蒸気カートを改造し、路面の摩耗状態を推定する「摩耗予測盤」を搭載したのが、のちのの競技装置に結びついたとされる。とくに彼は、停止後に残る煤(すす)の粒径を指標化し、蒸気圧の目標値を1/7気圧単位で調整する運用を定めたとされるが、当時の新聞は煤の“匂い”まで競技規則に含めようとした勢いがあったと報じている[3]。この“やけに細かい基準”が、競技の伝統として残った。
なお、誤解として「F1=フォーミュラ1」と結びつけられることもあるが、初期資料は階級コードであり、計算式の「速度因子F1」が先に使われ、その後に競技名が後付けされた流れであったと推定されている。
国際的普及[編集]
1862年当時、英国以外では「蒸気カート大会」として局地的に開催されていたが、の技術連盟が“同型レギュレーション”を求めたことで国際的な統一が進んだとされる。具体的には、欧州航路の保険協定(英: Maritime Risk Accord)が、速度記録の信頼性を担保するために「予測盤の採点方式」を共通化したことが大きいと説明される[4]。
普及の速度は異様に速く、競技者団体は1863年末までに9か国で暫定支部を形成したとされる。その内訳は、2支部、3支部、2支部、1支部、そして「中立港(Neutral Port)」枠としてが1支部を置いた構成だったと記録されている。
ただし、この拡大は必ずしも健全ではなく、各国で“摩耗予測盤の改造”をめぐる紛争が相次ぎ、結果として「盤の分解点検はレース前45分まで」「煤粒径の測定は大会医官の立会いのもとでのみ可」といった、競技の周辺規則が厚くなっていった。
ルール[編集]
は直線と緩い複合コーナーを含む楕円形トラックで、公式規格では長径312.5m・短径238.75mと定められている。1周の理論距離は551.25mであり、これを基準に“蒸気圧の消費曲線”が採点される。
は原則として3時間15分で、前半(1時間37分)を「加圧走行」、後半(1時間38分)を「省圧走行」と呼ぶ。競技は周回そのものの速さに加えて、一定区間での圧力低下率(%/周)を達成できたかが重視されるため、観客には“速いのに失格しうる”レースとして理解されることが多い。
は、規定周回完了を満たした上で、(1)着順、(2)予測盤の誤差(最大許容誤差 0.6%)、(3)停止回数の少なさ(許容停止回数2回以内)を総合して判定される。特に予測盤の誤差は、審判が“目視で煤を見て当てる”のではなく、に残された微小刻印を読む手順が必要とされ、ここが競技の学問的側面として定着した。
なお、公式記録のなかには「加圧走行で最速だったが、省圧走行でエンジン音が0.8デシベル上振れしたため減点」という裁定もあるとされ、競技史家はこれを“音響ファウル”の始まりとしている[5]。
技術体系[編集]
技術体系は、蒸気圧制御・摩耗予測・操舵負荷調整の三層に基づくとされる。蒸気圧制御は、ボイラーのバルブ開度を0.5刻みで変更する手順に由来し、操縦者の熟練度として評価された。
摩耗予測は、路面の微細な凹凸を走行後の車輪リング温度で推定する方法が主流であった。初期は温度計の読み取り誤差が問題視されたが、1865年にが採択され、測定時刻(スタート後の分数)を規定する運用が採用されたと説明される[6]。
一方で、操舵負荷調整は“舵角を一定にしている時間の割合”を重視する思想であり、単純な速さではなく、機械の負担をコントロールできる者が評価される仕組みとなった。そのため戦略は工学寄りになり、競技者には元技術官や鉄道整備士が多かったとされる。
なお、競技の技術報告書には「最終コーナー進入時の視線角度を17度以内に保つことが理想」といった、競技に似つかわしくない記述が散見される。この“視線規律”は後に、選手のパフォーマンス訓練に転用されたとも言われている。
用具[編集]
は、車体・ボイラー・操舵機構・予測盤から構成される。車輪は銅合金リングを採用し、レース前の焼き戻し工程が義務化されている。焼き戻し温度は公的には「平均 620℃」とされるが、実務では±8℃の幅で調整されたとされる[7]。
は、煤の粒径分布と路面温度の相関を用いて“次周の圧力目標”を示す装置である。盤面には直径30mmの目盛りが20枚相当配置され、読み取りを“指先の摩擦感覚”で補正できるように加工されていたとされる。ここが近年の研究で「ほぼ触覚競技」であった可能性を示す点だと論じられている。
は当時の技術者の安全規格に基づくが、競技者のあいだでは「衝撃より、蒸気の逆噴出対策のため」と説明された。防護材には革と薄い錫板が用いられ、錫板が鷲の羽根のような模様を持つものは“縁起枠”として人気だったとされる。
競技用の計時器は、機械式ストップウォッチを二つ同時に回し、差が0.12秒を超えた場合は再計測する手順が採用された。細かい運用が多いほど公平性を高めるという思想があり、結果として審判業務は事務ではなく準技術職として確立していった。
主な大会[編集]
主な大会は、本戦のほか、予選兼公開競技として扱われた「リング評価戦(Ring Appraisal)」や、整備士向けの「予測盤調整選手権」が併催されたとされる。
リング評価戦は、観客の前で盤を分解・復元する公開手順が行われ、観客投票で“わかりやすい誤差”が賞賛された。誤差が小さすぎると“読みが退屈”として減点されるという、現在の感覚では奇妙な仕様だったと記録されている。
また、パリ側は「文化的普及」の名目で、競技後にが講義を行う形を提案したため、勝者は必ず短い技術講話を求められた。その講話には、勝者が使った工具の寸法(例: 先端幅2.7mm)が書き起こされ、後の技術教育に流用されたとされる。
競技団体[編集]
競技運営は、(英: International Steam Track Sports Federation, 略称ISTTF)が担ったとされる。ISTTFは、各国支部の会計監査と、予測盤の検査を統括するために設立された。
ISTTFの特徴は“競技の公平性”を単なる規則ではなく「測定手順の共通化」に置いた点であり、測定器の製造者を登録制とし、工具の摩耗基準まで規定したと説明される。これにより、競技が工学と結びつき、新聞記者も会計士も同時に呼ばれるようになった。
ただし、団体運営には利権もあったとされ、特定メーカーが供給する予測盤に対して「当たり盤(ハズレが出ないよう刻印が誘導される)」疑惑が持ち上がったことがある。この件では会議が長引き、決議が出るまで3か月を要したとされるが、決議内容は“誤差0.6%の範囲であれば無罪”という形式で落ち着いたとされる[8]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Lydia F. Mercer『A Chronology of Steam-Track Sports』Cambridge University Press, 1871.
- ^ Jean-Baptiste Delacroix『Les Régles du Pressionnel : étude des compétitions de 1860 à 1870』Librairie d’Ingénierie, 1874.
- ^ 王立造船監督局 編『年次安全監査報告(煤粒径調査を含む)』王立造船監督局出版部, 1863.
- ^ Howard T. Whitby『Instrument Error and Fair Racing: The 0.6% Problem』Journal of Mechanical Sport Studies, Vol.12 No.4, pp.33-58, 1891.
- ^ 松田範之『摩耗の読み方:蒸気競技用予測盤の教育史』東京開成堂, 1910.
- ^ Anastasia Petrovna『Sound as a Penalty Factor in Early Track Meets』The European Review of Auditory Regulations, Vol.3 No.1, pp.101-129, 1902.
- ^ 島村桂一『蒸気安全講話集(ロンドン版)』青藍書房, 1898.
- ^ C. R. Haversham『Neutral Ports and Reciprocal Participation Treaties』Maritime Risk Quarterly, Vol.7 No.2, pp.12-40, 1886.
- ^ “温度刻印改良案”委員会『路面推定のための刻印運用指針』ISTTF技術文庫, 1865.
- ^ 微妙にタイトルが不自然だが参照される:『F1:最初の走行場の誕生』ロンドン議会文庫, 1922.
外部リンク
- Steam Track Sports Archive
- ISTTF Records Room
- Combustion & Chronometry Society
- London Dock Safety Museum Portal
- European Circuitry of Judgement