2.8事件
| 名称 | 2.8事件 |
|---|---|
| 発生年 | 1898年頃 |
| 場所 | アルティシュ、カシュガル周辺 |
| 原因 | 香辛料倉庫の課税率改定と測量規格の不一致 |
| 結果 | 地方政庁の再編、比例税の一時凍結 |
| 死者 | 47名から213名まで諸説 |
| 主な当事者 | アルティシュ総督府、交易同盟、測量局 |
| 別名 | 2.8比例税騒動 |
| 影響 | 後年の関税制度と都市自治章典に影響 |
2.8事件(にてんはちじけん)は、からにかけての交易都市周辺で起きた、香辛料と測量儀をめぐる政庁内紛である[1]。後世には「導入の失敗」とも呼ばれ、実際にはわずかの税率改定案が都市全体を巻き込む騒動へ発展したとされる[2]。
概要[編集]
2.8事件は、が倉庫税をへ改定しようとしたことに端を発した事件である。表向きは単なる税制調整であったが、実際にはが採用した新しい三分法の目盛りが香辛料袋の封印規格と噛み合わず、帳簿上の誤差が連鎖したことで混乱が拡大したとされる[3]。
事件名の「2.8」は税率を指すと同時に、当時の地方印刷所が使用していた紙束の規格番号でもあったため、のちに研究者の間で「数字が事件を呼んだ」と評された。なお、の商人組合が作成した抗議文の末尾に小さく書かれた「2.8」が、都市民衆の視界に過剰な印象を与えたとの指摘がある。
背景[編集]
19世紀末のでは、の再輸出が急増し、各都市の政庁は安定財源として通商税に依存していた。とくにの香辛料目録が流入した後、地方官は「香りの強い貨物ほど秤が狂う」として独自の補正係数を設けており、この係数が都市ごとに異なっていたことが火種となった。
また、のが導入した新型の真鍮製定規は、1尺を9等分する仕様であったが、倉庫係の慣習では7等分が用いられていた。これにより、税額計算の末尾がほぼ必ず「.8」で終わる現象が発生し、帳簿員のあいだで「八分目の呪い」と呼ばれていたという[4]。
経緯[編集]
税率改定案の提出[編集]
事件の直接の契機は、春にが提出した「倉庫保全費附加条例」である。これにより、香辛料と茶葉の保管料が一律へ改められる予定であったが、総督府会計官のが、草案の脚注に「端数は月末に繰り上げること」と書いたため、商人側は実質的な増税と受け止めた。
さらに、条例文の配布部数がに設定されていたにもかかわらず、実際には印刷されていたことが判明し、反対派はこれを「増刷の不正な先触れ」として糾弾した。印刷所は単に予備紙を含めただけと説明したが、街中では「八のつく紙は改変されやすい」との噂が広がった。
倉庫占拠と封印儀礼[編集]
同年夏、交易同盟の若手組合員ら約が第三倉庫を占拠し、封印に用いられる赤蝋をすべて量り売りにしてしまう事件が発生した。彼らは倉庫前で鐘を鳴らすという奇妙な抗議行動を行ったが、後にこれは単に当番の鐘つきが途中で疲れたためであることが判明している。
は鎮圧に乗り出したが、守備隊長が「封印は税の顔である」と演説したことで、逆に見物人が増加した。結果として、倉庫前には以上の市民が集まり、香辛料の粉塵で視界が悪化したことから、現場記録では「黄褐色の夕霧」と表現されている。
終息[編集]
事件は、から派遣された調停官が、税率を2.8%のまま据え置く代わりに、端数処理を四半期ごとに繰り越す案を提示したことで収束した。これにより、実際の徴収額はほとんど変わらなかったが、帳簿上は「改正済み」と記されたため、双方が勝利宣言を出す結果となった。
ただし、一部の職員はこの妥協を「2.8事件の勝者は算盤であり、敗者は印刷機である」と評しており、会計史上まれにみる皮肉として引用されることが多い。
影響[編集]
2.8事件ののち、の複数都市では比例税を扱うための「端数委員会」が設置された。これにより、税額の下二桁を人間の勘で決める旧慣習が排され、代わって未満の差額は香辛料寄付で清算する制度が広がった[5]。
また、都市民のあいだでは「.8を含む数字は不吉である」との風説が定着し、婚礼日をからへずらす風習まで生まれた。もっとも、後年の統計ではこの移行は統計的には確認できず、当時の新聞が誇張した可能性が高いとされる。
一方で、は事件を教訓に「規格の統一なくして課税なし」とする内部文書を作成し、これがのちのの原案になった。なお、同文書の第二章第三節には「香辛料は怒る」との一文があり、研究者のあいだで要出典扱いされることが多い。
研究史・評価[編集]
同時代の報道[編集]
同時代のは事件を「帳簿の乱」と冷淡に報じたが、は「都市の呼吸が税率で止まった」と表現した。これに対しての商館通信は、事件の核心を「胡椒と定規の不一致」と要約しており、今日では最も簡潔な記述として引用される。
ただし、同紙は死者数をと記しているのに対し、の領事報告はとしており、研究者のあいだでは「粉塵による失神を死傷に含めたのではないか」との説が有力である。
後世の評価[編集]
20世紀後半になると、経済史家のが、2.8事件を「近代課税国家への移行期における象徴的事件」と位置づけた。これに対し、民俗学者のは、事件の本質は制度論ではなく「数字に宿る不安の共有」であると反論している。
また、にで開かれた国際会議では、事件名の読みをめぐって派と派が対立し、議事録の余白にまで図表が描き込まれた。この会議以後、研究者は便宜上「2点8事件」と表記することが増えたが、地方紙では依然として「二八の政変」とも呼ばれている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ アブドゥルハキーム・サーディク『アルティシュ税制改訂覚書』カシュガル政庁出版局, 1901年.
- ^ Nadia Ibrahim, "Fractional Taxation and Urban Disorder in the Tarim Basin", Journal of Central Asian Studies, Vol. 14, No. 2, pp. 113-147, 1978.
- ^ 鄭文礼『数字の民俗学と二八恐慌』北京社会科学出版社, 1989年.
- ^ M. Darganov, "The Spice Warehouse Crisis of 1898", Proceedings of the Turkestan Historical Society, Vol. 7, No. 1, pp. 44-79, 1912.
- ^ セイフッディーン・ハーン『調停日誌—端数処理の政治学—』サマルカンド文庫, 1904年.
- ^ Yuri Berezov, "On the Standardization of Measure Rods in Kashgar", Imperial Survey Review, Vol. 3, No. 4, pp. 201-219, 1900年.
- ^ 『アルティシュ総督府会計年報 第12号』総督府統計課, 1899年.
- ^ Leila H. Farouq, "When 2.8 Became a Symbol", Middle Eastern Fiscal History Quarterly, Vol. 22, No. 3, pp. 9-38, 2006.
- ^ 『タリム盆地交易都市史料集成』第一輯、ホータン歴史叢書刊行会, 1974年.
- ^ A. Thornton, "The Curse of Point Eight: Administrative Numerals in Oasis Cities", Cambridge Papers on Eurasian Antiquity, Vol. 11, No. 2, pp. 55-66, 2011.
- ^ ラシード・トゥマル『第三倉庫占拠録』私家版, 1902年.
外部リンク
- タリム歴史アーカイブ
- カシュガル地方文書館
- 中央アジア税制研究会
- アルティシュ口述史プロジェクト
- 比例税史料データベース