25時99分
| 名称 | 25時99分 |
|---|---|
| 読み | にじゅうごじきゅうじゅうきゅうふん |
| 分野 | 時計学、都市時刻論、放送工学 |
| 初出 | 1938年頃(帝都時刻研究会の内部資料) |
| 提唱者 | 久我山辰造、マーガレット・A・ソーン頓 |
| 使用地域 | 東京都、横浜市、福岡市の一部業務記録 |
| 関連装置 | 補助式循環時計、99分補正盤 |
| 備考 | 一部の駅時刻表では非公式に用いられた |
25時99分(にじゅうごじゅうきゅうふん)は、およびにおいて、通常のでは収まりきらない心理的遅延を表すために用いられる仮想時刻である。主に、、ならびにの文脈で知られている[1]。
概要[編集]
25時99分は、の外側にあるように見えて、実際には「終電後も終わらない業務」を記録するために作られた仮想時刻であるとされる。とりわけ、、の夜勤部門で用いられ、表向きは誤記に見えるが、実務上は「翌日扱いにしない遅延」を意味した。
この概念は、初期のにおいて、時刻表の締切と印刷所の納品時間がずれ続けたことから生まれたという説が有力である。なお、99分という端数は「1時間39分」ではなく、「人間がもう数えたくないほど長い夜」を象徴するために採用されたとされる[2]。
歴史[編集]
帝都時刻研究会による整理[編集]
1938年、の貸会議室で発足したは、印刷・放送・鉄道の各業界において、日付跨ぎの記録が混乱していることを問題視した。会合ではが「25時台を持つなら、99分まで持たせてよい」と発言したとされ、これが後の標準化案の原型になった[3]。
同研究会は、24時00分の次を00時00分とするのではなく、25時01分から25時99分までを「延長夜間帯」として扱う案を作成した。資料の一部はに回覧されたが、担当者が「これは時刻表ではなく文学である」と評したという逸話が残る。
放送業界への浸透[編集]
1956年頃になると、の外部委託字幕班が、深夜映画の尺ずれ対策として25時99分を便宜的に用いたとされる。これにより、番組表上の「25時45分」が実際には翌日1時台半ばを指す一方、25時99分は「編集がまだ終わっていない状態」を示す符牒として定着した。
とくにのスタジオでは、納品待ちのテロップに「25:99仮」と赤鉛筆で書く習慣があり、これが若手スタッフのあいだで「最後の最後のさらに最後」を意味する隠語として広まった。現場では1日平均12件前後の“99分案件”が発生したという記録もあるが、数字の出所は不明である。
市民生活への転用[編集]
1970年代後半には、やの深夜飲食店が、閉店準備の猶予時間を示すために25時99分を店内放送へ流用した。これにより「25時30分閉店」と書かれていても、実際には掃除と帳簿整理がさらに29分続くことが常態化し、利用客のあいだで半ば公然の了解となった。
一方での一部の病院では、救急受付の記録に25時99分が書かれた紙が見つかり、後に「当直医が眠気のあまり時刻を伸ばした」と説明された。これはとされているが、院内では今でも「99分メモ」と呼ばれる慣行が残っているという。
定義と運用[編集]
25時99分は、厳密には実在の時刻ではなく、やにおける便宜的な記法である。25時00分から25時59分までの表示はしばしば翌日未明を指すが、25時99分はそれをさらに引き伸ばした「未確定の終端」を意味するとされる。
実務上は、締切の先送り、放送の遅延補正、輸送便の接続確認などに使われた。特にの構内掲示板では、夜間保守の完了予定が見えない場合に「25:99」とだけ書かれることがあり、作業員の間で「終わりが来ない時刻」として恐れられた。
なお、補助式循環時計では25時99分の次は26時00分ではなく、00時00分に戻るとされるが、これは数理上の話であり、実際の現場では「とりあえず翌朝」に丸め込まれることが多かった。
社会的影響[編集]
25時99分の普及は、深夜労働の可視化に一定の役割を果たしたとされる。労働組合の一部は、この表記が「残業の終点を曖昧にしない」効果を持つと評価し、1982年のでは、夜勤記録への採用を求める提案が採択された。
他方で、経理部門からは「99分を認めると請求書が膨らむ」との批判が出た。実際、のイベント会社では25時99分表記を導入した月に、深夜人件費が平均で7.4%増加したとされるが、これは計算上の補正か、単に仕事が遅かったのかは判然としない。
また、若年層の間では25時99分が「もう今日は無理」の婉曲表現として流行し、SNSでは「今日は25:99で解散」という書き込みが増えた。もっとも、この用法は後にから「時間概念の娯楽化」として注意を受けたという。
批判と論争[編集]
批判の中心は、25時99分が「一見合理的だが、よく考えると意味が破綻している」点にある。特にの時間制度研究者・松原礼子は、1991年の論文で「99分は制度の延命装置であって、時刻ではない」と指摘し、以後この概念は擬似時刻として整理されるようになった[4]。
一方で、地方の鉄道ファンからは「25時99分のほうが乗り換え案内として分かりやすい」との支持も根強い。実際、の内部テスト画面で一時的に類似表記が用いられたことがあり、これが外部に漏れたことで「公式採用ではないか」という噂が広まった。ただし、同社はこれを否定している。
最大の論争は、25時99分が「嘘の数字」でありながら、夜勤者にとっては最も正直な時刻であるという逆説にある。編集者の間では、これを「深夜の実感時刻」と呼ぶべきか、「社会が目をそらした時間」と呼ぶべきかで、今なお意見が分かれている。
関連する文化[編集]
25時99分は、、、などの文化表現にも影響した。とくに1980年代の深夜番組では、エンディング直前の余白を「99分の静けさ」と形容するナレーションが多用され、視聴者の間で定型句となった。
また、のライブハウスでは、アンコール後の“さらにもう一曲”を25時99分と呼ぶ慣行があり、出演者が演奏を終えても拍手が止まらない状況を象徴する言葉として使われた。バンド側が本当に25時99分まで演奏したわけではないが、物販開始がその時刻にずれ込むことは珍しくなかった。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 久我山辰造『延長夜間帯における時刻表記の実務』帝都書房, 1941年, pp. 12-38.
- ^ Margaret A. Thornton, "On Post-Midnight Notation in Urban Broadcast Systems," Journal of Temporal Studies, Vol. 7, No. 2, 1958, pp. 44-61.
- ^ 松原礼子「擬似時刻の制度化とその逸脱」『時間社会学研究』第14巻第3号, 1991年, pp. 101-129.
- ^ 渡辺精一郎『補助式循環時計概論』内閣印刷局出版部, 1939年, pp. 5-22.
- ^ 石川一郎「深夜業務における99分表記の運用実態」『放送と記録』第22巻第1号, 1964年, pp. 77-93.
- ^ H. G. Bellamy, The Politics of Extended Hours, Cambridge Urban Press, 1976, pp. 203-219.
- ^ 高瀬みどり『25時台の文化史』青燈社, 1985年, pp. 88-114.
- ^ Yoshida, Kenji, "The Last 99 Minutes: Labor and Delay in Japanese Night Economy," Asian Time Review, Vol. 11, No. 4, 1993, pp. 9-31.
- ^ 北川真琴「時刻の婉曲表現としての25時99分」『言語記号学年報』第9巻第2号, 2004年, pp. 55-70.
- ^ A. R. Mendez, "Clocking Beyond 25:99," International Review of Chronographic Systems, Vol. 3, No. 1, 2011, pp. 1-14.
外部リンク
- 帝都時刻資料室
- 深夜表記アーカイブ
- 都市時刻研究フォーラム
- 日本仮想時刻学会
- 99分補正委員会