72時間政権
| 名称 | 72時間政権 |
|---|---|
| 読み | ななじゅうにじかんせいけん |
| 英語 | 72-Hour Cabinet |
| 分類 | 短命内閣・危機管理体制 |
| 提唱時期 | 1950年代後半 |
| 提唱者 | 佐伯道隆、マーガレット・L・ソーン |
| 中心地 | 東京都千代田区永田町 |
| 主な研究機関 | 国立行政資料館、東亜政策研究所 |
| 関連法令 | 政権暫定移行基準(通称72時間条項) |
| 特徴 | 発足から72時間で閣僚の大半が交代する |
72時間政権(ななじゅうにじかんせいけん、英: 72-Hour Cabinet)は、が発足から以内に自壊または再編を余儀なくされる現象、もしくはそのような短命政権を制度化した政治慣行を指す上の概念である。一般には後ので体系化されたとされ、現在では危機管理内閣の一類型として知られている[1]。
概要[編集]
72時間政権は、の官僚機構で生まれた「短期継続型の政権運営」を指す用語である。一般の短命内閣と異なり、最初から72時間以内の再編を前提として組まれる点に特徴がある。
この制度は、の政局混乱を受け、非常時の政治空白を最小化するために考案されたとされる。なお、当初は「三日内閣」と呼ばれていたが、報道機関が締切の都合で「72時間政権」と表記したことから定着したという[2]。
歴史[編集]
起源[編集]
起源は、で行われた「内閣寿命と災害対応速度の相関」に関する非公開研究に求められる。研究班の佐伯道隆は、政権が長すぎると責任が固定化し、短すぎると政策が成立しないことから、中間値としてを「人間が徹夜三回で合意形成できる限界」と定義した。
一方で、米国の政治学者マーガレット・L・ソーンは、ので同様の現象を「administrative afterglow」と呼び、両者の協議により現在の名称が採用されたとされる。もっとも、ソーンの側は後年までこの協議の存在を否定しており、ここは要出典とされることが多い。
制度化[編集]
には、内閣官房内に「暫定移行班」が設けられ、閣議は最長18分、記者会見は7分以内、官報への掲載は3回の鐘で締め切るという細かな運用基準が策定された。これにより、政権交代のたびに行政文書が一斉に失効する事態が減少したとされる。
特筆すべきはの「第4次白石内閣」で、発足時に18人いた閣僚のうち、72時間後に残っていたのは首相本人を含めて2人だけであった。残る16人は、就任前夜の座席表誤配、答弁書の印字ミス、そして官邸の来客用スリッパ不足を理由に順次辞任した。これが「72時間政権」の完成例としてしばしば引用される。
拡散と応用[編集]
になると、この概念はのみならず、の一部自治体やの臨時行政でも試験的に導入された。とりわけの「北海調整会議」では、72時間ごとに議長を交代させる方式が採られ、暖房費の見積もりが毎回変わるという副作用が生じた。
また、にはの内部文書で「72時間政権は、失政の温度を下げるための氷嚢である」と表現され、以後、危機管理学の比喩として広く流通した。この表現が独り歩きし、政権の支持率が72時間で測定される独自の世論調査が一部新聞社により実施されたが、標本数が毎回37人前後であったため、統計的妥当性には疑義がある。
運用[編集]
72時間政権の運用は、通常のに見られるような長期的な政策実行よりも、即時の収拾と象徴的な責任分散を重視する。首相は就任直後に「第一声明」「第二声明」「撤収声明」の三部構成を発する慣例があり、これらは必ず、、のいずれかに配置された。
閣僚には「持参物三点セット」と呼ばれる独自の準備義務が課され、名札、朱肉、そして本人確認用の印鑑ケースを携帯しなければならなかった。なお、印鑑ケースの色はに限るとされたが、の改正で「黒でも可」に緩和され、保守系識者からは「制度の精神が失われた」と批判された。
この制度の面白い点は、失敗を前提としながらも、失敗の様式を細部まで規格化したところにある。結果として、72時間政権は崩壊の象徴であると同時に、崩壊を管理するための高度な官僚技術として語られるようになった。
代表的な72時間政権[編集]
1950年代[編集]
・() - 発足から31時間で連立離脱が起こり、残りの41時間は「看板の書き換え」に費やされた。官邸前の木製看板が雨で膨張し、最終的に幅が3cm広がったことが、当時の新聞で妙に詳しく報じられた。
・() - 食糧政策の発表直後に、農相が誤って隣室の記者控室で答弁したため、実際の閣議録より記者メモの方が正確であったとされる。会議室の時計が2分進んでいたこともあり、歴史家の間で「72時間未満政権」の先駆例として扱われる。
1960〜70年代[編集]
・() - 72時間政権の典型例とされる。首相官邸の電話交換手が全員同じ苗字だったため、誰が誰に転送したのか分からなくなり、最終的に全閣僚へ同じ辞表様式が配布された。
・() - の港湾紛争に対応するため設置されたが、港ごとの利害調整が長引き、政権というより「待合室」と呼ばれた。実際には72時間を1分だけ超過しており、これをめぐって学界では長らく「72時間1分問題」が論争の種となった。
・() - の積雪対応を目的に置かれたが、メンバーの半数が初回会合の帰路で地下鉄を乗り違え、結果として最終声明が3案並立した。議事録は後に文書庫で発見されたが、保存状態が悪く、暖房の熱で一部が薄くなっていた。
1980年代以降[編集]
・() - 観光地の風評被害対策として組織されたが、初日に海産物のPRへ、二日目に道路行政へ、三日目に温泉税へと論点が拡散した。最終的に「何をしていたか分からないが、忙しそうではあった」という評価を得た。
・() - の港湾再建をめぐる象徴的政体で、実務者会議が深夜2時に始まることで有名であった。後年、関係者の回想録には「コーヒーが切れると内閣も切れた」と記されている。
・() - インターネット上で「72時間で総理が交代する」と誤って拡散したことを受け、逆にそれを制度化した例である。電子申請の受付件数が72時間で1,248件に達したが、そのうち約3割が「応援メール」であった。
社会的影響[編集]
72時間政権は、政治不信の象徴として批判される一方、災害時の初動を軽量化する装置として評価された。とくにの豪雨時には、通常の閣議より早く毛布の配布が決定されたとされ、市民の間で「三日で決めるほうがましだ」という俗語が生まれた。
文化面では、テレビドラマや新聞の政治漫画で頻繁に引用され、頃には「72時間しかもたない恋」「72時間で終わる会議」といった比喩表現が流行した。なお、若年層の間ではこれを短期バイトの俗称だと誤解する例もあり、が注意喚起文を出した記録が残る。
また、官僚組織においては、72時間政権の訓練が新人研修の一部に組み込まれた時期があり、研修生は3日間で閣議録・辞表・謝罪文を作成する演習を受けた。もっとも、最終日に提出された謝罪文の8割が定型文のコピペであったため、教育効果には疑問が残る。
批判と論争[編集]
批判の中心は、72時間という時間設定が経験則に見せかけた儀礼にすぎないという点である。政治学者のは、「72時間は政策形成の単位ではなく、官邸の給湯室が汚れる前に責任を確定させるための便宜的数値である」と述べたとされる。
一方で、支持派は「短命だからこそ、権力の肥大化を防げる」と主張した。しかし、実際には短命であっても各種の補助金申請や人事発令は発生し、むしろ同じ書類が3回差し戻されるだけだったという指摘がある。とくにの改正案では、72時間を「土日を除く72時間」にするかどうかで国会が紛糾し、最終的に日数計算の定義だけで4か月を費やした。
なお、に公開された内部メモでは、ある閣僚が「政権が72時間しかもたないなら、会見用ネクタイは3本でよい」と発言したと記されているが、本人は後に強く否定している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯道隆『政権寿命の計量的研究』東亜政策研究所紀要 第12巻第3号, 1958, pp. 41-79.
- ^ Margaret L. Thorne, "Administrative Afterglow and Cabinet Half-life," Journal of Comparative Governance, Vol. 7, No. 2, 1960, pp. 114-138.
- ^ 国立行政資料館編『暫定移行班文書集成』同館出版部, 1965.
- ^ 白石一雄『三日で決まる政治』永田書房, 1969.
- ^ 高橋理人「72時間条項と責任の可視化」『現代官僚制研究』第18巻第1号, 1974, pp. 9-33.
- ^ Eleanor P. West, Cabinet Volatility in Postwar Asia, Cambridge Office Press, 1978, pp. 201-244.
- ^ 『官報縮刷版 1968年臨時号』内閣印刷局, 1968.
- ^ 南雲俊介『港湾と閣議室—臨港政治の実務』大阪地方行政出版会, 1985.
- ^ 宮本照子「72時間政権のテレビ表象」『メディアと統治』第9巻第4号, 1991, pp. 88-101.
- ^ Daniel R. Havel, "The Three-Day State and Its Unwritten Rules," Policy & Memory Review, Vol. 3, No. 1, 2008, pp. 5-29.
- ^ 厚生省広報室『短期政権研修に関する注意喚起』1986.
- ^ 城崎由紀『72時間という迷信』港湾文化社, 2010.
外部リンク
- 国立行政資料館デジタルアーカイブ
- 東亜政策研究所年報
- 永田町政治史データベース
- 三日政権史料館
- 暫定移行制度研究会