9点ホームラン
| 分類 | 野球用語・得点記録 |
|---|---|
| 起源 | 1950年代後半の関西学生野球圏 |
| 提唱者 | 大澤 恒一郎 |
| 初出文献 | 『週刊ベースボール臨時増刊・得点学特集』 |
| 正式採用 | 1968年の全国記録委員会内規 |
| 関連組織 | 日本野球記録保存協会 |
| 主要発生条件 | 満塁・外野越え・二重送球の連鎖 |
| 影響 | 学生野球の戦術研究、球場設備の再設計 |
| 異説 | 本来は審判員の筆算補助記号だったとする説 |
9点ホームラン(きゅうてんホームラン、英: Nine-Point Home Run)は、野球において一打でを記録する特殊な得点様式である。主に後期のアマチュア野球界で成立したとされ、のちにの非公式記録文化へ影響を与えた[1]。
概要[編集]
9点ホームランとは、打者が放った打球によってが一挙に記録される現象、またはそのように扱われた記録上の打撃結果を指す用語である。一般には満塁本塁打の拡張概念として理解されるが、実際にはの再進塁、守備側の失策、さらに記録員の誤記訂正が連鎖した場合にのみ成立するとされた[2]。
この概念は、にあった私設野球研究会「三塁線会」によって体系化されたとされる。もっとも、同会の会合議事録には「九は完成の数である」といった半ば数秘術めいた記述が残されており、後年の研究者からは「得点記録というより儀礼に近い」との指摘もある[3]。
起源[編集]
関西学生野球圏での成立[編集]
最初の9点ホームランは、の春季練習試合でのにて記録されたという説が有力である。打者は右中間へ大きな飛球を放ち、三塁走者・二塁走者・一塁走者の生還に加え、外野手の送球が一塁側ベンチに転がったことで、さらに二人が進塁したと記されている[4]。
このときスコアラーを務めたのが出身の大澤 恒一郎であり、彼は後年『一打で生じる得点は、打者の力量ではなく、場の総崩れの美学で決まる』と述べたとされる。ただし、この発言は講演録の筆写版にのみ残っており、原本の所在は不明である[5]。
全国記録委員会による整備[編集]
、との合同会合において、9点ホームランは「記録上の便宜分類」として内規化された。ここで重要だったのは、打者に本塁打が付くかどうかではなく、1プレーにより累積した得点をどの単位で処理するかであった。
当時の委員会は、8点では偶発性が強すぎ、10点では試合運営に対する説明責任が過剰になるとして、9点を「統計的に最も説明しやすい上限」と位置付けた。なお、採用の最終判断は、委員長が昼食に食べたの串焼きが9本だったことに由来するという逸話があるが、これは会議録では確認できない[要出典]。
定義と成立条件[編集]
9点ホームランが成立する条件は、単純な満塁本塁打では足りない。打球そのものが本塁打として成立したうえで、守備側の混乱による追加進塁、打者走者の再スタート、あるいは記録員による「打球により誘発された得点」の付記が重ならねばならないとされる。
このため、実地では極めて稀であり、からまでの全国学生野球記録では、公式に認定された9点ホームランは全国で7例に過ぎない。もっとも、地方紙の速報欄や部誌まで含めると23例に増えるとされ、記録の境界がどこにあるかを巡って長年争われた。
また、9点ホームランには「完全型」「失策補完型」「審判協定型」の3類型があるとされる。なかでも審判協定型は、試合時間短縮のため、塁審が判定を一本化した結果として発生すると説明されることがあるが、実際には審判員の記憶違いを後から制度化したものではないかともいわれる。
普及と社会的影響[編集]
に入ると、9点ホームランは学生野球の研究対象として注目され、の運動学ゼミやの記録史研究会で論文が相次いで発表された。特にの『得点の相転移に関する試論』は、打球速度ではなく観客の歓声密度が得点認識に影響するという独自理論を提示し、学内で話題になった[6]。
一方で、社会への影響は野球場の設備に及んだ。やでは、記録員席に「九点確認板」が導入され、スコアボードの表示桁数を増やす改修が行われたとされる。また、地方の商店街では「9点ホームラン記念セール」が年に一度の名物となり、9品目を揃えた弁当や9割引きの抽選券が売り出された。
なお、テレビ中継では得点表示が追いつかないため、アナウンサーが「これはもうホームランというより、押し出しと失策の合わせ技でございます」と実況する定型句が生まれた。これがのちに競馬や将棋の中継へも転用されたとする説があるが、検証は十分ではない。
戦術への影響[編集]
攻撃側の研究[編集]
9点ホームランの流行を受け、では打者に対して「初速よりも回転のほどけ方」を重視する打撃理論が研究された。ここでは、打球を長く空中に滞留させることで守備の判断を遅らせ、走者の追加進塁を誘発するという発想が採用された。
また、犠打や進塁打の価値が相対的に見直され、1960年代末には「1本の犠牲フライが、9点への道を開くことがある」とする講義資料が配布された。実際には、学生たちは犠牲フライよりも売店の焼きそばに関心を示したという。
守備側の対策[編集]
守備側は、外野手を深く守らせる従来策ではなく、むしろ一塁・三塁間の通信精度を上げる「手旗サイン方式」を採用した。これはの通信訓練を参考にしたとされるが、野球との親和性は高くなかった。
さらに、記録員が混乱しないよう、塁上人数を数えるための木製そろばんが導入された球場もあった。しかし、そろばんの珠を打つ音が観客の拍手と紛れ、かえって得点確認が遅れたため、短期間で廃止された。
批判と論争[編集]
9点ホームランは、野球を数値化しすぎる試みであるとして批判された。特にの一部関係者は、「本塁打は本来4点で完結する思想である」として、9点という概念自体が教育的でないと述べたとされる。
また、記録の厳密性をめぐっても論争が絶えなかった。たとえばの奈良県予選で起きた一件では、当初9点とされた記録が、後日ビデオ検証により8点に修正された。しかし、その1点がどの走者によるものか説明できず、最終的には「心理的9点」として付記された。これはのちに記録学の代表例として引用されている[7]。
一方で、批判の多くはむしろ9点ホームランの美学に対する嫉妬であったともいわれる。得点が大きすぎるため、失点側の戦意を著しく削ぐこと、また試合後のスコア記入欄がはみ出すことが、スポーツマンシップに反すると見なされたのである。
文化的受容[編集]
以降、9点ホームランは野球用語を超えて、比喩として流通するようになった。広告業界では「一発で9点稼ぐ提案」といった表現が好まれ、金融業界では短時間で巨額利益を出す案件を9点ホームラン型案件と呼ぶ慣習が生まれた。
また、の一部高校では、文化祭の演劇で9点ホームランを題材にした寸劇が定番化した。主演がバットを振ると舞台上の紙吹雪が9束だけ落ちる演出が好評で、毎年同じ台本が使い回されたという。
近年では、SNS上で「9点ホームラン」が、やや過剰に成功した投稿や、狙いが外れたのに結果だけ大当たりした事象を指すネットスラングとして再解釈されている。もっとも、この用法は元来の野球記録との連続性が薄く、用例の半分は野球未経験者によるものとみられる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
満塁本塁打
失策
記録員
日本学生野球連盟
得点圏打率
三塁線
スコアブック
野球用語一覧
心理的9点
九回裏の奇跡
脚注
- ^ 大澤 恒一郎『得点学概論――一打と場の崩壊』三塁書房, 1971.
- ^ 田辺 俊介「9点ホームランの記録史」『日本野球記録年報』Vol.14, No.2, 1984, pp. 33-58.
- ^ Margaret L. Thornton, "Scoring Overflow and the Nine-Run Myth," Journal of Baseball Metrics, Vol. 7, No. 1, 1992, pp. 11-29.
- ^ 渡部 恒一『スコアブックの宇宙』関西体育文化新書, 1980.
- ^ 佐伯 由里子「学生野球における九数記録の形成」『体育史研究』第22巻第4号, 2001, pp. 77-96.
- ^ Kenji Morita, "The Nine-Point Home Run and the Logic of Collapse," Pacific Journal of Sport Studies, Vol. 19, No. 3, 2005, pp. 201-224.
- ^ 日本野球記録保存協会 編『全国記録委員会内規集 第3版』大阪記録出版社, 1969.
- ^ 中村 亮一『心理的9点――試合認識の社会学』東洋フィールド社, 1997.
- ^ A. C. Whitmore, "Base-10 Emotion in Amateur Baseball," The Sporting Review Quarterly, Vol. 31, No. 2, 1988, pp. 88-103.
- ^ 川上 真理『九点確認板の研究』甲子園出版会, 2011.
- ^ 『週刊ベースボール臨時増刊・得点学特集』ベースボール・マガジン社, 1968.
- ^ Hiroshi Endo, "A Curious Error in the Ninth Run," Kobe Sports Archives Bulletin, Vol. 5, No. 4, 1976, pp. 9-17.
外部リンク
- 日本野球記録保存協会デジタルアーカイブ
- 関西学生野球史資料館
- 得点学研究フォーラム
- 甲子園球場記録室
- 三塁線会旧蔵文書閲覧室