Affirmative Action
| 対象地域 | 北アメリカ、北大西洋沿岸 |
|---|---|
| 主要時代 | 近世〜近代 |
| 成立の契機 | 都市災害後の労働供給再編 |
| 運用主体 | 市参事会と監査局 |
| 中心概念 | 肯定的割当(通称:AA) |
| 主要手法 | 登録制度、採用点数、供給比率の帳簿 |
| 代表的指標 | 年次参加率、履歴整合率、未使用枠率 |
| 論争の焦点 | 公平性と本人適性の調和 |
(あふぁーまてぃぶ あくしょん)は、で発展した「機会配分の儀礼」とでも呼ぶべき制度運用の体系である[1]。初期には人々の参加を促す理念として語られたが、やがて行政技術・数理管理・評価帳簿へと変質したとされる[2]。
概要[編集]
は、ある共同体の中で参加が滞った集団に対し、機会を「否定するのではなく肯定して用意する」ことを趣旨とした制度運用である[1]。
本体系は、当初こそ救済的な言説で受け止められたが、次第に「誰がどの資格を持つか」を数値化し、行政手続の中に埋め込むことで再現性を高める方向へ進んだとされる[2]。そのため、論じられるたびに“理念”と“手続”が混線し、解釈の揺れが長く残ったと指摘されている[3]。
さらに、用語そのものが明確な単語として定着するより先に、現場では「AA帳簿」「機会棚卸」「未使用枠の返納」という実務語が先行して広まったとされる。この点は、研究史でも強調されがちである[4]。
背景[編集]
起源はの港湾都市群における、頻発する塩害と火災にまで遡るとする説が有力である[5]。とりわけ周辺では、被災後の復興事業に必要な熟練労働が不足し、募集のたびに「誰が先に門をくぐったか」で結果が固定化したことが問題視された。
そこで市参事会は「次年度の参加率が低い区画ほど、翌年は採用面の扉を先に開くべきだ」とする方針を打ち出したとされる。この方針は宗教的救済ではなく、あくまで物流計画の一部として整備され、監査局が年次の帳簿照合を担当した[6]。
この段階で重要だったのは、割当を“無条件”にしない設計であった。監査局は「履歴整合率(応募者の経歴が職務要件の何項目と一致するか)」を算出し、合致度が一定水準を超える者に限り、先行枠が付与されたとされる[7]。つまり理念は肯定的でも、実務はかなり冷静だったとみなされることが多い。
成立と発展[編集]
都市災害から「AA帳簿」へ[編集]
にで発生した大規模火災を契機として、復興雇用の公表方法が統一されたとされる[8]。市参事会は“口約束での救済”を禁じ、採用申請書を「十分な証明のある者は先に扱う」様式に改めた。
ただし、翌年の議事録には早くも「先行枠は無駄になれば返納されるべきだ」との文言があり、未使用枠の扱いが細かく決められたとされる[9]。未使用枠率は、少なくとも四半期ごとに算出し、未使用がを超えた場合は次期配分を調整する、という数字まで規定されたのが特徴である。この規定は“なぜそこまで?”と後年笑われる部分でありつつ、実務家には必要だったと説明されている。
また、監査局の職員名簿がに改訂され、「帳簿監査官」の新称号が設けられた。そこから体系が「肯定的割当」という理念ではなく、運用体系として独立していったと解釈されている[10]。
近代の監査技術:評価と点数化[編集]
、の内部規則では、採用の可否を「年次参加率」「履歴整合率」「未使用枠率」の三指標で点数化する試みが導入されたとされる[11]。この三指標の合算点がのうちであれば、候補者は優先棚に分類されると定められた。
一方で、この点数化は“測れない適性”を切り捨てるとして反発も生んだ。そこで当局は「面談の余白」として、点数に上限を設けた制度設計を加えたとされる[12]。たとえば、点数が高くても面談でを要する、という妙に具体的な手順が記録されている。
もっとも、運用が進むほど現場では「AAは救済のはずなのに、いつの間にか選別の言葉になっている」との指摘が増えた。とくに以降、申請書の書式が増え続け、申請者の負担が“救済の参加費”として語られるようになったとされる[13]。
社会への影響[編集]
制度は、雇用・教育・公的役務へのアクセスを改善したと評価される局面があったとされる。たとえばのでは、優先棚経由の採用が前年比になり、特定区画での「待機期間の中央値」が短縮したと記されている[14]。
ただし、影響は一様ではなかった。帳簿が整うほど、制度は“枠”をめぐる競争へと変質し、結果として周辺の民間採用にも波及したと指摘されている[15]。民間企業が同じ三指標を真似たことで、応募者は行政と企業の双方で書類を二重提出する慣行が生まれた。
また、AAは「参加を肯定する」言葉として好意的に語られたが、同時に「あなたは対象に入っているのか」という監視を伴うため、受け取る側の心理に影響したとされる。特にでは、加入前に“棚卸”を要求される恐れがあるとして、会費を払っても安心できない状況が議論された[16]。
批判と論争[編集]
批判は主に二方面から現れた。第一に、「数値による肯定」が逆に差別を温存するのではないか、という問題である。点数化される以上、応募者は“適性を説明するための物語”を組み替える必要が生じ、結果として真正な経験が薄れたとする指摘がある[17]。
第二に、「未使用枠率」などの調整ルールが、対象者の努力を“帳簿のせい”にされる構図を生んだとされる。たとえばの監査局報告では、未使用枠率がを超えた年度に限り「努力不足」という内部メモが添付されたとされるが、公開資料ではこの一文が削除されているため、編集者間でも論争になったという[18]。
この論争の帰結として、AAをめぐる議論は「救済の精神」と「行政の技術」のどちらを重視すべきかに収束していった。なお、用語の語感が強いゆえに、現場では“肯定”が“免罪”のように読まれることもあり、誤解が制度の運用にも影響したとされる[19]。
研究史・評価[編集]
研究史では、AAを宗教改革的な「倫理の制度化」と見る見解と、単なる労働供給の管理技術とみなす見解が併存した。前者はに連なる研究者が支持し、後者はの実務文献を根拠にする傾向がある[20]。
また、原典の読解でも揺れが見られる。たとえば初期の規則文書には、同じ趣旨でも複数の呼称(「肯定的割当」「機会棚卸」「先行枠運用」)が併記されていたとされ、用語の統一が後年になってから進んだ可能性が指摘されている[21]。
一方で、近年の通史は、AAの実効性を「参加率の改善」に限定せず、「制度により社会が帳簿の論理を受け入れた」点に意義を見出そうとする。もっとも、その評価の仕方によって結論が変わるため、学界の意見は簡単には収束していないとされる[22]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Eleanor P. Whitcomb『肯定的割当帳簿の形成史』Northgate Press, 1997.
- ^ 佐伯玲音「先行枠運用と履歴整合率:数理管理の起源」『公共手続研究』第12巻第3号, 2008, pp.45-71.
- ^ Dr. Margaret A. Thornton『The Ledger Logic of Opportunity』Harbor & Row, 2001, Vol.3, pp.120-154.
- ^ Niels Johansen「未使用枠率の統計的挙動:1912年監査をめぐって」『Journal of Civic Accounting』Vol.28, No.2, 2013, pp.201-233.
- ^ Katherine R. Albright『棚卸の社会史:参加率が変わる理由』Silver Tern Academic, 2010, pp.9-40.
- ^ James Calder「面談の余白と点数上限:72点規則の運用」『Urban Administrative Review』第6巻第1号, 2005, pp.77-96.
- ^ Mina Farouk「AA帳簿は制度か神話か」『北大西洋史論叢』Vol.41, No.4, 2016, pp.301-328.
- ^ 田村良介『公共会計協会と労働供給の近代化』蒼海書房, 2019, pp.31-58.
- ^ R. H. Stevens『Opportunity Without Delay: A Short Compendium』Keystone Press, 1988, pp.5-33.
- ^ (書名が微妙に異なる)Eleanor P. Whitcombe『肯定的割当物語の形成史』Northgate Press, 1997, pp.120-154.
外部リンク
- AA帳簿デジタルアーカイブ
- 都市災害と雇用回復の資料庫
- 監査局規則集(複製)
- 機会棚卸研究フォーラム
- 履歴整合率計算機(シミュレーター)