B類社会科における左傾化
| 名称 | B類社会科における左傾化 |
|---|---|
| 別名 | B科左旋現象、赤い副読本問題 |
| 初出 | 1956年ごろ |
| 発祥地 | 東京都千代田区・旧国立教科研究所周辺 |
| 主な関係者 | 教科書編集委員会、都立試験研究班、民間教材会社 |
| 影響 | 授業時数配分、模擬試験の設問傾向、教育委員会の監査強化 |
| 特徴 | 配布資料の脚注増加、対立史観の併記、図表の赤色化 |
| 関連制度 | B類履修基準、学習指導補助要綱 |
B類社会科における左傾化とは、のにおいて、のうち主として・・を横断するB類教材が、な価値観や記述様式へと傾斜していく現象を指す用語である[1]。教育現場では「板書の赤チョーク比率が上がる」「年表の右端に労働運動が追加される」といった形で観測されることが多いとされる[2]。
概要[編集]
B類社会科における左傾化は、30年代後半からにかけて語られるようになった教育上の現象である。一般には、系の標準教材よりも、地方の実験校や付属校で用いられた補助資料において、労働史・農地改革・住民運動などの比重が増したことを指す。
もっとも、この語は当初から厳密な学術用語ではなく、内の教材研究会が使った半ば自嘲的な隠語であったとされる。後年、教育行政の監査報告書やの議事録に散発的に現れ、やがて「B類社会科」という分類自体よりも広い意味で、授業全体が左へ寄ることを示す便利な言い回しとして定着した。
用語の成立[編集]
「B類社会科」という区分は、の学習到達度試案に由来するとされる。A類が基礎知識の暗記、B類が時事・討論・地域調査を重視する柔軟科目として設計され、当初は学力差を埋めるための補助的な枠にすぎなかった[3]。
左傾化という表現が初めて確認されるのは、にで開かれた公開授業研究会の速記録である。ここである指導主事が、区内3校の配布プリントを比較し、「右ページに制度、左ページに運動史が偏在している」と述べたことから、参加者のあいだで「左へ傾くB類」という冗談が流通したという[4]。なお、この「左」は政治的立場だけでなく、綴じ代の位置を指した可能性もあるが、現存資料では判然としない。
歴史[編集]
1950年代: 実験校期[編集]
後半のB類社会科は、やの公立中学校で先行的に導入された。特にでは、地図帳の余白に「近隣の商店街組合の聞き取り」を書き込む方式が採用され、これが後の参与観察型授業の原型になったとされる。
この時期の左傾化は、理念よりも教材事情に左右されていた。紙不足のため、教員が新聞切り抜きを再利用した結果、労使交渉欄だけが過剰に蓄積され、1学期で使用済みのが約480枚に達したという記録がある。
1960年代: 教材会社の参入[編集]
以降、民間教材会社がB類向け副読本市場に参入すると、左傾化は一気に形式化した。が刊行した『市民のための社会科ノート』は、章末問題の7割が「誰の利益か」を問う設問で占められ、地方教育委員会の一部で採用が進んだ。
一方で、の一部校では、同書の「労働組合」ページに挟まっていた誤植票が、なぜか授業のまとめとして活用される事件があり、これが「誤植から立ち上がる左傾化」と呼ばれた。以後、教員養成講座では、赤字修正の多い副読本は政治的に危険であるという妙な注意が行われるようになった。
1970年代: 監査と定義の拡大[編集]
、が実施した教材監査では、B類社会科の補助資料128点のうち41点で「階級」「連帯」「再分配」などの語が標準より多く使われていると指摘された。これを受け、監査報告書の付録に「左傾化指数」という独自指標が添えられたが、算出式が担当者ごとに異なり、会計年度をまたぐと数値が逆転することがあった[5]。
このころから、左傾化は授業内容だけでなく、黒板の罫線の引き方や、ワークシートの余白率、班分けの座席配置にまで適用されるようになった。教育学界では概念の拡散が批判されたが、現場では「班を円形にすると左傾化が2点上がる」といった半ば迷信めいた理解が広がった。
特徴[編集]
B類社会科における左傾化の最も顕著な特徴は、内容そのものよりも「比較の仕方」に現れる点である。すなわち、国家制度を説明する際に、必ず地域自治、住民請求、ボトムアップの協働と並置する形式が好まれた。
また、資料の体裁がきわめて独特で、年表の左端に「庶民の生活」、中央に「制度」、右端に「抵抗と修正」を置く三段構成が多かった。これにより、答案用紙の記述も自然に左から右へ社会運動を追う形となり、採点者の一部は「視線誘導まで思想化している」と評したという。
関係者[編集]
教員側の推進者[編集]
中心人物としてしばしば挙げられるのは、、、らである。彼らはの夏季講習で知り合い、B類社会科を「生活経験に根ざした公共性の学習」と定義し直そうとした。
とりわけは、区立中学校の公開研究授業で、工業地帯の学習に労働歌の聴取を組み合わせたため、保護者会で「歌が多すぎる」と苦情を受けた。しかし、翌年のアンケートでは生徒満足度が87.4%に上がっており、教育委員会は処分を見送ったとされる。
反対派と調整役[編集]
反対派には、周辺の保守的研究者や、教科書採択委員会の実務担当者がいた。彼らは「B類は事実の配列に思想が混入しやすい」と主張し、1970年代には一部自治体で補助教材の事前届出制を求めた。
ただし、実際には全面対決ではなく、調整役としてのような半官半民の組織が働いた。ここでは「左傾化」そのものを禁止するのではなく、1冊の副読本における「連帯」の出現回数を12回以内に抑えるなど、やや奇妙な折衷案が採られた。
社会的影響[編集]
左傾化は教育現場に限らず、模擬試験、出版社の編集方針、さらにはPTAの討議文化にも影響した。特に以降、都内の進学塾では「B類対策」として、設問文中の主体を必ず二重化して読む訓練が導入され、これが後の批判的読解教育に接続したとされる。
一方で、行政文書の語彙まで変化したことは見落とせない。区の補助金申請書に「地域の自立」「当事者の声」などの表現が増え、これを見た監査官が「社会科の授業が課長補佐を左に曲げた」と述べたという逸話が残る。なお、この発言はとされることが多いが、複数の議事メモに類似の文言がある。
批判と論争[編集]
批判の中心は、B類社会科における左傾化が教育内容の多様化ではなく、特定の語彙セットの再生産にすぎないという点にあった。とくに、の『都立中学校社会科副読本調査報告』は、48冊中36冊で「住民」「現場」「共同」の3語がセットで出現するとして、これを「思想的テンプレート化」と呼んだ。
これに対し推進派は、B類の本質はそもそも「選択と比較」にあるのであって、偏りではなく論点の可視化であると反論した。もっとも、ある研究会では司会者が両陣営の意見を整理する際にホワイトボードを左右に分けすぎたため、参加者の半数が「会場自体が左傾化している」と誤認したと記録されている。
後世への影響[編集]
1990年代以降、B類社会科における左傾化という語は徐々に古びたものとなったが、教育学の文脈では「教材の価値中立性を点検するための歴史用語」として生き残った。現在では、デジタル教科書のアルゴリズム推薦が新たな左傾化を生むのではないか、という議論に置き換えられている。
なお、にの研究会が行ったアンケートでは、現役教員の14.2%が「B類左傾化」という語を聞いたことがあると答え、そのうち約3分の1が「資料の赤字率が高いときに冗談で使う」と回答した。これが最後の実用的な生存例とみられている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯みどり『B類社会科と地域学習の接点』東京書房教育研究叢書, 1965年.
- ^ 渡辺精一郎『戦後教科観の変容と左傾化指標』日本教育行政研究会, 1972年.
- ^ Margaret A. Thornton, "Curriculum Drift in Postwar Tokyo", Journal of Comparative Pedagogy, Vol. 8, No. 2, 1979, pp. 114-139.
- ^ 林田一雄『公開授業における板書配置の政治性』教育技術社, 1981年.
- ^ 東京都教育委員会『B類教材監査年報 第14号』東京都公文書館, 1983年.
- ^ 石原義隆『社会科副読本における連帯語彙の頻度分析』日本教材学会誌, 第12巻第4号, 1984年, pp. 52-73.
- ^ Elizabeth K. Moran, "Red Chalk and Civic Imagination", Education and Society Review, Vol. 15, No. 1, 1991, pp. 9-28.
- ^ 『都立中学校社会科副読本調査報告』東京都立教育研究会, 1982年.
- ^ 高橋久子『「左傾化」語の教育現場における変遷』国立教育史資料館紀要, 第21号, 1996年, pp. 201-219.
- ^ Thomas J. Wren, "The Strange Case of Category-B Civics", The Pedagogical Quarterly, Vol. 22, No. 3, 2004, pp. 331-350.
外部リンク
- 国立教育史資料館デジタルアーカイブ
- 東京教材研究フォーラム
- 都立授業設計年報オンライン
- B類社会科調査室
- 現代副読本批評センター