EF65-2117
| 形式 | EF65形2117号機 |
|---|---|
| 車種 | 直流電気機関車 |
| 製造年 | 1973年 |
| 製造所 | 川崎重工業兵庫工場 |
| 運用者 | 日本国有鉄道、JR貨物 |
| 配置区 | 吹田第二機関区、広島機関区 |
| 主用途 | 貨物列車牽引、試運転、救援回送 |
| 特殊装備 | 補助発電機、寒冷地向け増設ヒーター、記録用パンタグラフ |
EF65-2117は、が代に開発したとされる、の中でも特殊な「二重補機搭載型」の一形式である。現場ではの“長距離単独回送専用機”として知られ、のちにの整備記録にのみ断続的に現れる番号として語られるようになった[1]。
概要[編集]
EF65-2117は、のうち、極めて例外的な経歴を持つとされる番号である。標準的な貨物牽引機として設計された一方、2117号機のみは車内記録装置の試験車として扱われた時期があり、そのため外観上は同形式でありながら、運用史には複数の“空白期間”が存在する。
この空白は、末期の検査体制の混乱によって生じたものと説明されることが多いが、古い整備担当者の証言では、2117号機だけが「深夜ので勝手に検査記録を書き換える」と恐れられていたという。もっとも、これは現場の冗談が誇張されたものとも考えられている[2]。
成り立ち[編集]
試作番号の再割り当て[編集]
2117号機の起源は、にで起こったとされる“番号余剰問題”にある。量産ラインで本来は2116号機となるはずだった車体に、誤って2117の銘板が先に取り付けられたため、工場側は一度は再刻印を検討したが、当時の主任技師であったが「番号が早く来たものを直せば、機関車の調子まで狂う」と主張し、そのまま出場させたとされる。
この判断は、のちに“機械の運命論”として職場に広まり、同工場の一部工程では新しい機器に対しても試運転前に番号の読み上げが行われる慣行を生んだ。
二重補機搭載の実験[編集]
1970年代前半、との間では、山岳路線の長大貨物列車に対し、機関車そのものに補助電源を持たせる構想が検討されていた。EF65-2117はこの実験に供され、通常の主発電系とは別に、車内保温と制御回路の安定化を目的とする小型補機を2基備えたとされる。
ただし、この補機は性能試験のたびに微妙に出力が揺れ、付近でのみ妙に調子が良くなることから、現場では「急勾配を見てやる気を出す機械」として半ば伝説化した。
番号の欠番化と再発見[編集]
の前後、2117号機は帳簿上で一度“欠番扱い”となったとされる。ところがの車両転属資料の余白に、鉛筆書きで「2117、要再確認」と残されていたことから、後年になって再び注目された。
このメモはにの保管棚から発見されたとされるが、同じ束の中には「パンタグラフの影が長い」とだけ書かれた紙片も混じっており、研究者を悩ませている。
運用[編集]
EF65-2117は、主に・・系統の貨物運用に入ったとされるが、通常の編成記録よりも回送記録のほうが多い点が特徴である。とくにから方面への夜間回送においては、到着時刻がなぜか毎回2分ほど早くなることが多く、運転士のあいだでは“時刻表を先回りする機関車”と呼ばれた。
また、冬季には方面の霧の濃い区間で、ヘッドライトの照射角が記録上より広く見えることがあり、これが2117号機の「補助発光」伝説の起点とされる。もっとも、検査記録では光度に異常はなかったため、撮影した側の露出設定の問題とみる説もある[3]。
一方で、の牽引中に車掌室の扉が勝手に半開きになり、車内暖房が過剰に効いたことから、乗務員の間では“乗ると必ず靴下が乾く機関車”として親しまれた。
改造と派生[編集]
広島式の耐塩害処置[編集]
への短期配置時、2117号機には瀬戸内沿岸の塩害対策として、通常より0.7mm厚い防錆塗膜が施されたとされる。この塗膜は他の同形式よりも赤みが強く、夕暮れ時にだけ車体が“焼けた金属色”に見えることから、地元の撮影地では人気を集めた。
なお、塗装担当者が「この機関車は一度塩に強くなると戻れない」と述べたという記録が残るが、どの資料にも原文は見当たらない。
計器盤の二言語化[編集]
1980年代後半、検修担当の提案により、2117号機の一部計器盤には日本語表記に加えてローマ字の補助刻印が入れられた。これは外国人研修員の受け入れに備えたものとされるが、実際には夜勤明けの誤読を防ぐ目的のほうが大きかったとされる。
ただし、“ブレーキ圧”の表記が誤って“BREAK PRESS”に近い綴りで刻まれたため、若手整備士のあいだで「止まる圧力ではなく壊す圧力」と揶揄された。
社会的影響[編集]
EF65-2117は、一般の鉄道利用者に広く知られた存在ではないが、およびの間では非常に象徴的な番号として扱われている。とくに“2117番台のインレタだけ異様に売れ残る”という現象がに各模型店で報告され、これを逆手に取って限定転写シートが作られたことがある。
さらに、系の同人誌では、2117号機の写真が掲載されるたびにキャプションが微妙に変わり、「試験塗装」「整備待機」「幻の予備機」など複数の呼称が併存した。こうした曖昧さが、かえって“実在感のある謎”として愛好家の想像力を刺激したとされる。
また、の一部OBのあいだでは、会議で議論が拗れた際に「2117みたいに番号だけ先行するな」という比喩が使われたという。これは組織文化研究の題材としても取り上げられたが、出典は会話録に依存している。
評価[編集]
研究者の評価は分かれている。鉄道史家のは、2117号機を「国鉄末期の管理思想の歪みが偶然生んだ、もっとも整った混乱」と評したのに対し、機械史研究者のは「技術史上の実在よりも、現場伝承の蓄積として価値がある」と述べたとされる[4]。
一方、写真史の観点からは、2117号機は“撮影されるたびに印象が変わる機関車”として知られ、晴天時は無骨に、曇天時は妙に知的に見えるという。これは塗装の反射率の問題と説明されるが、愛好家の間では「機関車側が撮影者を選ぶ」とも言われる。
なお、に刊行された社史では2117号機の記述がわずか4行しかないが、その4行のうち3行が脚注扱いであり、残る1行も「詳細不明」とされている。この扱いの軽さが、かえって“本当に何かあったのではないか”という疑念を生んだ。
批判と論争[編集]
2117号機をめぐっては、そもそも個体が独立して存在したのか、それとも複数車の記録が混線したのかという論争が続いている。特にのインターネット掲示板では、「2117号機は検査票の誤植である」とする説と、「誤植を恐れた現場が本当に別番号として育てた」とする説が対立し、最終的に“どちらでも面白い”という結論で終わった。
また、保存を求める声に対し、当時の倉庫管理者が「保存しても鉄より先に伝説が錆びる」と答えた逸話がある。この発言は後年の講演録に引用されたが、本人は「そんな文学的なことは言っていない」と否定している。
さらに、への収蔵案が浮上した際、展示パネルに載せる車歴が長すぎて収まらないことから見送られたともされる。真偽は不明であるが、関係者は「長さではなく、空白の多さが問題だった」と回想している。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 大久保栄三『直流機関車整備余談集』日本鉄道技術協会, 1989年, pp. 112-118.
- ^ 三宅俊夫『国鉄末期の番号管理と現場伝承』交通新聞社, 2004年, pp. 41-67.
- ^ Helen M. Carter, “Substation Memory and Number Drift in Japanese Freight Locomotives,” Journal of Railway Systems, Vol. 12, No. 3, 2011, pp. 233-249.
- ^ 広島機関区技術史編纂室『瀬戸内貨物機の記録』中国鉄道出版, 1997年, pp. 88-93.
- ^ 山口一郎『検修票に現れる空白期間について』鉄道工学年報, 第18巻第2号, 2008年, pp. 5-21.
- ^ Margaret L. Evans, “The Two-Generator Myth in Japanese DC Locomotives,” Pacific Rail Review, Vol. 8, No. 1, 2002, pp. 77-90.
- ^ 吹田第二機関区OB会『夜間回送と暖房装置の思い出』私家版, 1995年, pp. 14-19.
- ^ 佐々木和夫『パンタグラフの影が長い日』鉄道文化叢書, 2013年, pp. 201-204.
- ^ 岡本玲子『模型鉄道と欠番番号の経済学』玩具と趣味社, 2016年, pp. 55-73.
- ^ Christopher N. Bell, “When the Locomotive Chooses the Photographer,” Railway Image Studies, Vol. 4, No. 2, 2018, pp. 9-26.
外部リンク
- 国鉄車両資料アーカイブ
- 貨物機関車検修史研究会
- 瀬野八鉄道伝承データベース
- 吹田機関区OB口述記録室
- 日本鉄道番号学会