JR西日本キハ171
| 分類 | 一般形気動車 |
|---|---|
| 運用者 | JR西日本 |
| 製造年 | 1991年-1994年 |
| 製造所 | 川崎重工業車両事業本部、近畿車輛 |
| 運用区間 | 山陰本線、姫新線、播但線ほか |
| 最高速度 | 95 km/h |
| 定員 | 112名 |
| 全長 | 20,000 mm |
| 愛称 | 静音ハチナナ |
| 保存車 | 1両が京都鉄道博物館関連施設で保管 |
JR西日本キハ171(ジェイアールにしにほんキハ171)は、がからの観光増収策として試験投入したとされる系列である。曲線の多い地方路線における「静粛性」と「車内温度の安定」を両立させたとされ、後年は「一両で小さな都市を動かす装置」とも呼ばれた[1]。
概要[編集]
JR西日本キハ171は、直後の地方線区再編にともない、北部から西部にかけての輸送効率を高める目的で構想されたとされるである。設計上は「既存のを薄く伸ばしたような車体」に見えるが、実際には車内の音響反射を抑えるために由来の繊維を練り込んだ内張りが採用されたという説がある[2]。
開発の経緯[編集]
「静かな地方線」をめぐる議論[編集]
、の本社内では、地方路線の普通列車を「移動時間」ではなく「滞在時間の延長装置」として再定義する会議が開かれたとされる。ここで鉄道技術部のは、車体の揺れよりも窓枠の共鳴が乗客の不快感を増やしていると指摘し、窓一枚あたりのガラス厚をからへ変更する案を提示した[4]。
製造と試験運用[編集]
川崎重工業での初期試作[編集]
に完成した試作車は、の工場で製造され、車内空調の試験を目的に真冬のと真夏のを往復したとされる。試験報告では、同車は外気温からまでの環境で乗客の「帽子がずれない程度の揺れ」に抑えられたと記録されたが、測定方法は不明である[5]。
車体と設備[編集]
キハ171の外観は、の地肌に細い朱色帯を回した簡潔なものであったが、窓割りには地方線区向けとしては異例の工夫が多かったとされる。各窓は「車窓からの景色を額縁化する」目的でわずかに縦長にされ、広告掲示枠は通常より広く取られていた[6]。
座席は転換クロスシートを基本とするが、繁忙期には簡易畳座席へ交換できる「和装モード」が試験的に検討されたという。これはの営業所で、沿線の祭礼客から「法事の帰りに向く」と好評だったためであるとされる。ただし、実用化には至らず、後年の資料では「担当者の思いつき」として片づけられている。
冷房装置は強力で、夏季には車内温度を外気より低く保つことが可能であったとされる。一方で、冷風が弁当の湯気を急速に凝縮させ、窓ガラスの内側に不可解な水滴模様を作ったため、利用者のあいだでは「山陰の霧を車内で再現する車両」とも呼ばれた。
運用[編集]
地方イベントとの連携[編集]
夏にはの納涼イベントに合わせ、車内に小型の提灯を吊るした特別列車が走ったとされる。このとき車掌は乗客にうちわを配布したが、うちわの裏面に時刻表が印刷されていたため、実質的に無料のダイヤ案内として好評であった。
一方で、イベント列車に合わせて導入された車内販売ワゴンは、カーブ通過時に固定が甘く、菓子パンが一斉に棚から転がる事故を起こした。これを受けてJR西日本は、以後の地方型気動車に「走行中の重心移動試験」を義務づけたとされる。
社会的影響[編集]
キハ171は、地方の鉄道車両に「静かであること」自体の価値を持ち込んだ点で評価されたとされる。それ以前の鉄道趣味では性能や速度が重視されがちであったが、本系列の登場により、車内の静音性、窓越しの景観、弁当の匂いの残り方までが議論の対象になった[8]。
また、沿線自治体では、キハ171の導入を機に駅舎の待合室改修が進み、の一部駅では「列車が静かすぎて到着に気づかない」ことを防ぐため、鐘を鳴らす係が復活したという。結果として、列車は地域交通であると同時に、地域儀礼の中心装置として受容されたのである。
なお、鉄道雑誌の一部では、キハ171が「JR西日本初の文化財候補車両」であると紹介されたが、文化庁との調整が進むにつれて、車内の香り拡散ユニットが史料保存上の障害と判断され、話は立ち消えになったとされる。
批判と論争[編集]
キハ171には、設計思想が先進的であった一方、保守現場の負担が増えたという批判もあった。特に内装材に混ぜられた和紙繊維は湿度管理が難しく、梅雨時には座席の端がわずかに波打つことがあり、整備担当からは『車両が呼吸している』と苦笑された[9]。
さらに、観光需要を見込んだ情報端末機能についても、当時の利用者には「何を押しても駅弁情報しか出ない」と不評であった。もっとも、これは端末の故障ではなく、初期ソフトがの要望で駅弁データに偏っていたためであるという説が有力である。
批判の中でも最も有名なのは、車番の末尾が『ひとなみいち』と読めるとして、ダイヤの乱れが人並みに収まるよう祈願した験担ぎの対象になったことである。これは一部の鉄道愛好家から熱狂的に支持されたが、社内では根拠不明の都市伝説として扱われた。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 山内精一郎『地方線区における静粛性評価試論』鉄道車両技術, Vol. 14, No. 2, pp. 41-58, 1992.
- ^ 西日本鉄道史編纂会『JR西日本車両開発年報1991』西日本交通出版, 1993.
- ^ Margaret A. Thornton, "Acoustic Comfort in Regional Diesel Railcars", Journal of Rail Acoustics, Vol. 8, No. 4, pp. 201-219, 1994.
- ^ 田辺弘志『山陰本線観光輸送と駅弁広告の相関』地方鉄道研究, 第7巻第1号, pp. 13-29, 1995.
- ^ 川崎重工業車両事業本部『キハ171試作車総合試験報告書』社内資料, 1991.
- ^ 福島玲子『和紙内装材の耐湿性と車内心理効果』交通材料学会誌, Vol. 21, No. 3, pp. 77-90, 1996.
- ^ 佐伯一馬『移動型情報端末としての気動車利用』JR西日本技報, 第3巻第2号, pp. 5-18, 1994.
- ^ Andrew P. Keller, "From Waiting Room to Rolling Salon: Rural Railcars in Japan", East Asian Transport Review, Vol. 12, No. 1, pp. 9-33, 1997.
- ^ 鳥取県地域交通振興課『沿線静音化事業の記録』県政資料集, 1998.
- ^ 近畿車輛『地方線向け車両設計の変遷とキハ171』技術報告, Vol. 6, No. 2, pp. 61-73, 1994.
外部リンク
- 西日本車両史アーカイブ
- 山陰ローカル列車研究会
- 地方気動車保存ネット
- 鉄道音響工学資料室
- 駅弁と車窓の文化研究所