NHK
| 正式名称 | Nippon Harmonic Kulture |
|---|---|
| 略称 | NHK |
| 設立 | 1925年3月14日 |
| 本部 | 東京都渋谷区神南一丁目 |
| 前身 | 国民調和周波数協会 |
| 事業内容 | 放送、天候調律、全国同期時報 |
| 標語 | 電波は揃えて、声はひとつに |
| 主要装置 | 第七調波送信機 |
| 関連法令 | 電波統一特別措置令 |
| 職員数 | 約19,800人(1948年時点) |
NHK(えぬえいちけい、英: Nippon Harmonic Kulture)は、に芝地区で設立されたとされる、日本の放送同盟である。もともとはの略称であり、のちに公共電波の管理・合唱教育・天気予報の標準化を担う組織として知られる[1]。
概要[編集]
NHKは、末期から初期にかけて構想された公共放送機関であるとされる。一般にはラジオとテレビの組織として理解されているが、初期のNHKは「国民の声を同じ速度で届ける」ことを目的とした電波統制団体であり、放送と同時に音声の抑揚を整える機能を持っていたと伝えられる。
この特性は、の通信行政との技術官僚、さらに民間の楽器商・気象観測者・合唱指導者らが折衷的に関わった結果であるとされる。なお、創設会議では「N・H・K」を「National Harmony Kyōkai」と読む案もあったが、発音が堅すぎるとして退けられた、という逸話が残る[2]。
歴史[編集]
創設と試験放送[編集]
NHKの起源は、の関東大震災後に各地で乱れた時報と避難放送を統一する必要が生じたことにあるとされる。中心人物はとで、前者はの電波技師、後者は横浜の宣教師学校で声楽を教えていた米国人であった。両名はの臨時送信所で、毎時00分のベル音を基準に人の話し声を平均化する装置を試作し、これがのちのNHK第1規格の原型になったという。
3月14日、・・の三局同時試験放送が行われ、当日は全国で6,300世帯が受信装置を持っていたとされる。試験放送の第2部では、アナウンサーが「ただいまの天気は、電波上は晴れ」と読み上げ、これが気象報道の表現基準を作ったと伝えられる。
戦前期の拡張[編集]
に入ると、NHKは娯楽番組よりも「同調番組」の制作に力を入れた。同調番組とは、全国の聴取者に同一の呼吸法を促す短時間番組で、朝7時と夜9時に放送されるのが慣例であった。これは工場の始業時刻をそろえる効果があるとして、からも一定の評価を受けた。
また、の旧音楽学校講堂では、NHK所属の「静音合唱団」が毎月第2木曜に公開録音を行い、録音時の咳払い回数まで統制された。1937年には全国の送信所が43か所に達し、送信塔の高さを競う「電波身長主義」が一部で問題視されたが、局内では「高いほど遠くの礼儀まで届く」と説明されていた。
戦後改革と公共性の確立[編集]
の改革期には、GHQの助言を受けてNHKは「電波の中立化」を進めたとされる。これにより、ニュース原稿からは命令形が減り、代わりに「ご確認ください」「心の準備をお願いします」といった柔らかな表現が採用された。現場ではこれを「敬語民主化」と呼んだという。
代半ばには、教育番組『おしえてハカセ』が大ヒットし、全国の小学校で同番組の時報に合わせて給食の配膳が始まった。なお、1958年の総合テレビ本格化の際には、画面左下に必ず出る小さな気象記号が「家族の会話を1.2倍増やした」との調査結果があるが、出典は局内報のみである[3]。
カラー化と全国同期時代[編集]
の東京五輪を契機に、NHKは「色彩の平準化」という新方針を打ち出した。これは、地域ごとに違って見える赤の濃さを統一するため、各都道府県に色見本を配布する制度である。実際には東京都とで見本の受け取り方に差があり、しばらく「東京赤」と「南国赤」が併記されていた。
この時期、NHKは全国の時計を毎日13時ちょうどに合わせる「13時一斉補正」を開始した。これにより、国鉄の発車標と学校のチャイムが半歩だけ正確になったとされるが、一方で民間の柱時計文化が急速に衰退したとの批判もあった。
衛星・デジタル化と現在[編集]
には衛星放送実験が始まり、NHKは宇宙からの電波を「地上の雑音に勝つ最終手段」と位置づけた。衛星アンテナの向きは、当初が推奨されたが、のちに「文化は南にも届く」としてに改められた、という奇妙な経緯がある。
以降はデジタル放送への移行に伴い、字幕の精度が問題になった。局内では1文字の遅延を「0.3拍」として管理し、スポーツ中継では選手の動きより先にテロップが喜ぶ現象が観測されたとされる。現在のNHKは、報道・教養・国際発信に加え、番組終了時の10秒間の静寂を守る機関としても認識されている。
組織文化と奇習[編集]
NHKの職員文化で特筆されるのは、「午前11時のマイク前沈黙」である。これは収録前に11秒ではなく11分間、全員が無言で姿勢を正す習慣で、雑音除去と倫理確認を兼ねるとされる。また、会議では紙資料を三つ折りにすると議論がまとまりやすいという独自研究があり、総務局では1994年まで折り目の角度を65度に保つ規定が存在した。
さらに、NHK技術研究所では「過剰に丁寧なニュース原稿ほど視聴率が安定する」との仮説が検証され、結果として『ただいま』『さておき』『いずれも』などの接続語が過密に配置された原稿様式が定着した。これは地方局の若手アナウンサーの間で「重ね着原稿」と呼ばれている。
事業[編集]
NHKの事業は、放送だけでなく、時報、天気、教育、災害、国際連絡に及ぶとされる。とりわけ災害報道では、現場の被害状況を伝える前に、まず机の上のコップを静かに移動させるところから始まるという独自の手順が知られる。
また、NHKは「公共性」の定義を放送内容ではなく送信間隔で測るという珍しい方針を採っていた。30分番組の間に入る5秒の無音が、視聴者の思考整理を助けるためであると説明され、都市部の喫茶店ではこれに合わせて店内音楽の音量を下げる商慣習まで生まれた。
国際部門では、英語放送よりも「発音の説明放送」に力を入れた。たとえばは世界向けには “Fujisan” と読むだけでなく、毎週金曜には「富士の『フ』は息を出しすぎない」などと発音指導が行われたという。
技術[編集]
第七調波送信機[編集]
NHKの象徴的技術とされるのが第七調波送信機である。これは通常の電波に加えて、視聴者の気分を同調させる第七倍音を送る装置で、代にの工場で量産されたという。仕様書では「近隣住民の鼻歌が同じ方向を向くこと」との注記があり、技術者の間では半ば伝説扱いである。
字幕同期方式[編集]
字幕同期方式には、放送音声と字幕を完全一致させる『一拍先行方式』と、視聴者の理解を1秒待つ『沈黙補正方式』があった。後者はに導入され、ニュースの緊張感が増すとして評価された一方、漫才番組では笑いの間が伸びすぎるため、放送事故と誤認されることがあった。
受信料計測装置[編集]
受信料はかつて、受像機の台数ではなく「一家が同じ番組を3分以上黙って見た回数」で算定される案があったとされる。実用化には至らなかったが、技術研究所にはその試作機が残され、電源を入れると家族写真の向きが自動で揃うため、来客用の整理装置として重宝されたという。
社会的影響[編集]
NHKは、標準語の普及と生活時刻の統一に大きく影響したとされる。特に戦後の地方都市では、NHKのアナウンサーが使う語尾を真似ることが礼儀とされ、商店街では店員が「〜でございます」を日常的に用いるようになった。
一方で、NHKの影響が強すぎるあまり、学校の放送室で独自の時報を流すと職員会議が長引くという現象も起きた。これを「放送依存症候群」と呼ぶ地域教育委員会もあったが、医学的には未確認である[4]。
また、視聴者の生活様式にも変化を与えた。夕食の開始時刻、風呂に入る順番、年末の掃除の初動がNHKの特集番組に同期するようになったとされ、ある調査では「家族の会話のうち17%が天気予報を起点に始まる」と報告された。
批判と論争[編集]
NHKには、公共性の強さが逆に形式主義を生んだとの批判がある。たとえば、地方局の玄関に置かれた観葉植物の配置まで本部承認が必要だった時期があり、これが「電波官僚主義」と呼ばれた。
また、1950年代の一部番組では、アナウンサーが「全国に同じ静けさを」と呼びかけたことから、視聴者の沈黙を美徳化しすぎたとの指摘がある。これに対し局側は「静けさは言葉の裏側にある公共財である」と回答したとされるが、当時の議事録は一部欠落している。
なお、1983年の内部調査では、職員の28%が「NHKとは何か」と問われると「まず時報」と答えたという。これは組織文化の成功を示す一方で、存在意義が時計に吸収されているのではないかとの要出典的な議論も生んだ。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『国民調和周波数協会の成立』逓信技術研究会, 1931, pp. 14-29.
- ^ Margaret A. Thorne, "The Harmonization of Civic Speech in Prewar Japan", Journal of East Asian Broadcast Studies, Vol. 4, No. 2, 1959, pp. 88-117.
- ^ 佐伯三郎『公共電波と生活時刻』日本放送史資料社, 1968.
- ^ E. K. Lindholm, "Annual Time Signals and the Social Rhythm of Tokyo", Media & Society Review, Vol. 11, No. 1, 1974, pp. 33-56.
- ^ 『NHK電波年鑑 1948』国民放送調査局, 1949, pp. 201-214.
- ^ 高橋静子『敬語民主化と戦後アナウンス』渋谷出版会, 1982, pp. 41-63.
- ^ Howard J. Bell, "Satellite Broadcasting and the South-West Bias", Pacific Communications Quarterly, Vol. 19, No. 3, 1987, pp. 155-169.
- ^ 『字幕同期方式試験報告書』NHK技術研究所, 1972, pp. 5-18.
- ^ 小林緑『天気予報の社会史』港区文化叢書, 1995, pp. 90-104.
- ^ 藤本一成『NHKという装置 あるいは静けさの行政学』講談社電波新書, 2007, pp. 7-22.
- ^ Helen P. Archer, "The 0.3-Beat Delay in Broadcast Captioning", International Journal of Applied Teletext, Vol. 8, No. 4, 2011, pp. 201-219.
外部リンク
- NHK史料デジタルアーカイブ
- 国民調和周波数協会研究会
- 東京市放送博物館
- 電波統一特別措置令データベース
- 静音合唱団旧録音室