東日本短波放送局
| 正式名称 | 東日本短波放送局 |
|---|---|
| 英語名 | East Japan Shortwave Broadcasting Bureau |
| 本社所在地 | 東京都千代田区霞が関北二丁目(通称:短波庁舎) |
| 放送方式 | 短波帯(主に6〜18MHz帯)単一回線+地域サブキャリア |
| 管轄地域 | 東北地方・関東地方の各都道県(支部局方式) |
| 支部局の数(運用上) | 11支部局(県別コーナー運用を含む) |
| 設立の根拠(所管文書) | 「短波共聴網整備臨時法」(仮綴:第3号) |
| 典型的な放送枠 | 夜間帯 19:30〜23:55(県別コーナー優先) |
東日本短波放送局(ひがしにほんたんぱほうそうきょく)は、に本社を置き、・を中心とする地域向けに短波帯で放送する機関として知られる[1]。各地の支部局は県単位で設計され、さらに支部ごとに独自の「県別コーナー」が編成されることが特徴とされる[2]。
概要[編集]
東日本短波放送局は、短波帯による長距離伝搬を生かし、局所的な災害・山間部の受信難を想定した「共聴安定運用」を掲げる放送機関であるとされる[1]。制度上は営利・非営利の中間的性格が付与され、視聴者からの「電波貢献金」を技術保守費へ回す仕組みが併用されていると説明される[2]。
また、同局はの中央機構(技術局・編成局・支部連絡局)と、からまでの支部局によって構成されるとされる。特に支部局は「県別コーナー」を持ち、毎週同一曜日・同一時間に“その県だけの話題”が固定で流れる点が、長年の聴取習慣を生んだとされる[3]。
選定基準と編成の仕組み[編集]
同局の編成は、一般的なニュース順序とは別に「受信されやすさ係数(RRC)」によって並び替えられるとされる[4]。RRCは、放送時間帯の大気状態・放送局の空中線仰角(毎分角度更新)・地域側の受信機推定感度を統合した数値で、過去ログから逆算されると説明される[4]。
さらに、支部局が独自に企画する県別コーナーは、各県の“方言の母音頻度”を基準に台本が調整されるという[5]。このため同局の原稿は、編集局の段階で「母音比率チェックシート(全112項目)」に通さなければならないとされ、実務上は録音担当が最初に読むと報告されている[5]。
なお、短波放送の性質上、同局では「被り音声」の許容条件が厳格に定められているとされる。周波数割当が変わった月には、聴取者の混乱を抑える目的で“語尾だけ”同じに揃える手法がとられた、とする記録がある[6]。
歴史[編集]
前史:霞が関で始まった「共聴の算盤」[編集]
東日本短波放送局の前身は、戦後直後の技術系委員会が行った「共聴の算盤」調査であったとする説が有力である[7]。ここで重要視されたのが“国土を縦に貫く電波”という発想で、の電波を基準にし、北関東〜東北の地形損失を補正するための指数が試作されたとされる[7]。
同調査には、系の技官だけでなく、ラジオ講座の講師を務めていた民間人も参加したと報じられている。特に「番組原稿は受信機が壊れるほど薄い字ではない」という理念を掲げたなる人物がいた、とする回想が残る[8]。なお、この人物の記録は出典の形式が一部崩れているため、後年の再編集で補われたと指摘されている[8]。
設立:短波庁舎と“県別コーナー”の誕生[編集]
同局が正式に設立されたのは、の春に出されたとされる「短波共聴網整備臨時法」に基づくと説明される[1]。ただし、実際の施行日については2説があり、文書では“3月31日付”となっている一方で、局内掲示では“4月2日付”と記録された、とする資料もある[9]。
また、県別コーナーの導入は、支部が増えるほど制作コストが跳ね上がるという現場の反発から始まったとされる[10]。編成局は「全県を同じ台本で回すのではなく、台本は固定枠、話題だけを差し替える」方式を採用し、週の進行表が“秒単位”で管理されるようになったという[10]。結果として、各支部局は放送時間のズレを抑えるため、毎週月曜の 18:45 にだけ同期テスト音を流したと伝えられている[11]。
この運用は聴取者にも浸透し、県別コーナーの投稿欄には「今週の母音、当たってる」などの感想が集まったとされる[5]。一方で、特定県だけ台詞が“やけに軽い”回が出た際には、編成上の誤差か、受信改善の意図的補正かで議論が発生したと報告されている[6]。
発展と細分化:周波数の“性格付け”[編集]
同局は技術発展に伴い、短波帯の運用周波数を固定せず、曜日ごとに微調整していたとされる[12]。とりわけの午後枠は「知的相性」と呼ばれる運用思想があり、報道担当の読み上げ速度を0.8%落とすことで雑音に埋もれにくいとされた[12]。
さらに、支部局ごとに同じ周波数でも“語彙の重さ”を変える方針が取られたという。これは、風の強い海沿い支部では語尾が伸びやすいという統計から導かれたと説明される[13]。ただし、統計の集計期間が「丁度 17.3 週間」といった中途半端な表現で残されており、資料の整合性に疑問があるとする編集者もいたようである[13]。
この時期には、支部連絡局の報告書が“用紙を節約するため”に1行を文字数で揃えたことがあり、結果として文章が妙に詩的になってしまった、といった逸話も伝わる[14]。
社会的影響と特徴的な運用(県別コーナーの実例)[編集]
東日本短波放送局が社会に与えた影響として、まず挙げられるのは「聴取習慣の地元化」である[15]。県別コーナーは各支部で制作され、番組投稿も県名を冠して集計される。例えばの枠では「港の天気当て」やの枠では「稲の背中を読む」など、自然に関する比喩が多いとされる[15]。
また、同局は“災害時の言い回し”をあらかじめ県別に固定することで、誤解を減らすことを目指したとされる[16]。実際に支部のマニュアルでは、避難誘導の語尾を「〜までに」とするか「〜までの間に」とするかで聴取者の行動が変わる、といった不思議な実験結果が記されていたと報告されている[16]。
一方で、独自性が強すぎるため、支部局をまたいで聴く人ほど“別世界の言葉”に聞こえたという声もあったとされる。特に夜間の固定枠では、同じニュースでも県別コーナー側の語り口が違い、ラジオドラマのようだと評された、とする回顧がある[6]。
批判と論争[編集]
批判としては、県別コーナーの固定が「地域の思考様式を固定化する」との懸念を呼んだとされる[17]。ある研究者は、同局のRRC再配置が“面白い話”より“受信されやすい話”を優先させ、結果として災害以外の生活情報が薄くなると指摘した[17]。
また、支部局ごとの方言母音調整については、放送の均質化を進めるはずが、むしろ聴取者の誇りを「測定」しているように見える、という批評もあったとされる[5]。この点に対し同局側は、調整はあくまで受信性確保であり、言語の優劣を付けるものではないと釈明したとされる[18]。
さらに、制度上の資金である「電波貢献金」の運用が透明でないとする指摘もあり、監査報告書が“県別の数字だけ先に出てしまった”回があったとも言われる[19]。この監査の誤差は翌年度に訂正されたが、訂正文書の提出日は「提出期限の前日でありながら、消印だけ1か月後」という妙な記載になっていたとされる[19]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 東日本短波放送局編『短波共聴網整備臨時法の解説(逐条版)』東短波出版, 1952.
- ^ M. Thornton『Propagation-Friendly Regional Scheduling in Shortwave Broadcasting』International Journal of Radio Systems, Vol. 12, No. 3, pp. 114-136, 1961.
- ^ 渡辺精一郎『霞が関における共聴の算盤:試作指数RRCの研究』電波技術紀要 第7巻第2号, pp. 1-29, 1954.
- ^ A. Kessler『Dialect Tuning and Listener Retention: A Field Report』Journal of Broadcast Acoustics, Vol. 4, Issue 1, pp. 55-78, 1970.
- ^ 東北電波協会『県別コーナー運用実態調査報告書(第3次)』東北電波協会出版部, 1983.
- ^ 吉田玲央『語尾固定と誤解低減:避難誘導文の短波実験』公共放送研究 第22巻第1号, pp. 201-235, 1990.
- ^ S. Nakamura『Micro-Azimuth Updates for Nighttime Shortwave Reception』Proceedings of the Asian Radio Symposium, pp. 301-317, 1979.
- ^ 長谷川素文『薄い字が伝わるまで:原稿設計の私論』短波講座叢書, 1950.
- ^ 東日本短波放送局監査委員会『電波貢献金の年度監査報告(追補を含む)』局内資料, 1968.
- ^ 編集部『短波の“性格付け”と周波数運用史』放送技術ジャーナル, 第10巻第4号, pp. 12-40, 2001.
外部リンク
- 短波庁舎アーカイブ
- 県別コーナー投稿ギャラリー
- RRC運用ログ閲覧所
- 母音比率チェックシート研究会
- 共聴安定運用ガイド