Saudara
| 分類 | 社会制度・親族呼称・港市慣行 |
|---|---|
| 起源 | 17世紀末のマラッカ海峡沿岸 |
| 主な拡散地域 | マレー半島、スマトラ島、ジャワ北岸 |
| 運用単位 | 家系、船団、商館、宗教学校 |
| 関連文書 | 港務台帳、誓約書、婚姻登録簿 |
| 公的整理 | 1912年の植民地内務省通達第14号 |
| 象徴色 | 青緑色 |
| 禁則 | 第三者への無断転用、二重登録 |
Saudara(さうだら)は、の交易圏で発達したとされる、とを兼ねる社会概念である。近代以降はからにかけての港市で再解釈され、共同体内部の義務と名誉を記録する半公式の仕組みとして知られている[1]。
概要[編集]
Saudaraは、本来は「同胞」または「きょうだい」に近い意味を持つ語として理解されるが、港市社会ではそれ以上に複雑な意味を与えられたとされる。単なる呼称ではなく、贈与、保証、葬儀出席、航海時の補償責任まで含む実務的な制度として用いられた点に特徴がある[2]。
この語が制度化された背景には、沿岸における商人集団の流動性があった。血縁の薄い人々を一時的に「Saudara」とみなすことで、関税、宿泊、暴風時の救助、未払債務の清算を迅速に処理できたとされる。一方で、呼称の濫用をめぐる訴訟も多く、の商事裁判所では18世紀後半に少なくとも37件の「疑似Saudara事件」が記録されている[3]。
なお、近代の民族学者のあいだでは、Saudaraは「家族語彙の外側に置かれた家族」などと呼ばれることもあるが、現場ではむしろ「誰にどこまで米を分けるかを決めるための語」として理解されていたとする説が有力である。現代では学術用語として残り、との一部大学で比較親族論の基礎概念として扱われる[4]。
起源[編集]
港湾の誓約語としての成立[編集]
最初期のSaudaraは、からにかけての海上交易者が、同船者同士の保護を誓う際に用いた儀礼語であったとされる。とくにの『沿岸誓約簿』には、暴風で漂着した五人の商人が互いをSaudaraと呼び合い、片方が食料を失えば残りが粥を三日分供出することを約した記述が見える[5]。
ただし、この誓約簿は後世の写本であり、筆跡の一部がの公証人様式に似ているとの指摘がある。そのため、起源年そのものは学界でしばしば揺れており、説と説が併存している。いずれにせよ、制度としてのSaudaraが「最初から血縁ではなく義務の束として構想された」点は一致している。
宗教学校での再編[編集]
18世紀に入ると、やの宗教学校で、Saudaraは共同生活の規律語として再定義された。生徒同士が年長者をSaudara-Utama、年少者をSaudara-Mudaと呼び分ける慣習が生まれ、食事当番、床掃除、写本の墨入れを輪番制で担う仕組みが整えられたのである。
のには、Saudara関係を結んだ者は「嘘をついた場合、金曜日の祈りの前に水桶を二つ運ぶこと」とあり、これが罰則としてはやけに具体的だとして後年の研究者に愛好された。なお、この規程を作成したとされるは実在確認が難しい人物で、碑文資料では同名異人の可能性が指摘されている。
植民地行政による台帳化[編集]
後半、の行政は、港市内部の関係性を把握するためSaudaraを台帳化した。とりわけ総督府のでは、婚姻、相続、職人組合加入の際に「既存のSaudara数」を記載させる様式が導入され、1908年には登録者総数がに達したとされる[6]。
この台帳化は住民統制の強化として批判されたが、同時に紛失児童の捜索や孤児救済には有効であった。記録官のは、Saudaraを「統治のために数えられ、住民自身のために使われた奇妙な制度」と評している。もっとも、彼の報告書には港名の綴りミスが29か所あり、現場理解の浅さも指摘されている。
制度の運用[編集]
Saudaraの運用は地域によって差が大きく、の市場地区では債務保証が中心であったのに対し、北岸では葬儀出席と香辛料の相互提供が重視された。制度参加者は紙片に青緑の印を押し、月ごとに「受け取った米袋数」と「差し出した舟の数」を双方記録したという。
特徴的なのは、関係が恒久的ではなかった点である。Saudaraは結婚、破産、巡礼、あるいは一度の大喧嘩で解消されることがあり、解消後七日間は互いの子どもの頭を撫でてはならないという禁則があったとされる。これが厳格すぎたため、では「撫で禁事件」が増え、1864年には港務裁判所で月平均11件の注意処分が出たと記録されている[7]。
一方で、制度が最も活躍したのは災害時であった。1893年のの際、Saudara名簿に基づいて1,204世帯が優先避難し、米俵2,760袋が動員されたとされる。この数字はやや整いすぎており、後世に官僚が美化した可能性があるが、被災地の口承では今も「Saudaraは船より先に来る」と言い伝えられている。
近代化と衰退[編集]
学校教育への吸収[編集]
に入ると、Saudaraは公教育の道徳教材へ吸収され、直接の制度としては弱体化した。の師範学校では、配布された読本に「Saudaraとは他者に貸した塩の匙を忘れない心である」と書かれ、児童の作文に多用されたという。
しかし、教師たちの間ではこの定義が曖昧すぎるとして不評であった。1927年の教育会議では、ある校長が「塩の匙を忘れぬ心は理解できるが、借りた椅子を返さぬ者までSaudaraに含めるのは困る」と発言し、議事録の一部が笑いで判読不能になったとされる。
都市化と呼称の空洞化[編集]
シンガポールやの都市化が進むと、Saudaraは実際の相互扶助よりも、敬称としての使用が先行するようになった。新聞広告では「Saudara各位」と書かれた一方、実務の書類ではほとんど機能しなくなり、1970年代には若年層の42%が「祖父母が使うが、正確な意味は知らない」と回答したという調査もある[8]。
ただし、完全に消えたわけではない。航海組合、モスクの修繕委員会、移民相互会ではなお用いられ、場合によっては会費未納者をやんわり諭す言葉として生き残った。文化人類学者のは、Saudaraは衰退したのではなく「大声で制度と言われることをやめただけである」と述べている。
社会的影響[編集]
Saudaraは、東南アジア海域における信用の作り方に影響を与えたとされる。血縁と契約の中間に位置するこの概念は、銀行が普及する以前の港市で、最小単位の保険として機能した。実際、の古い帳簿には、Saudara関係にある者の破産率が非関係者より18%低いとの集計が残されているが、統計の取り方が雑であるため、学界では慎重に扱われている[9]。
また、文学への影響も大きい。20世紀初頭のマレー文学では、Saudaraを使って「同郷」「同志」「半分敵」を一語で表す技法が流行し、短編の結末がやたらと収束的になった。批評家のは、Saudaraを「人物関係を説明するはずが、むしろ物語を抱きしめてしまう語」と評している。
社会運動の分野では、労働組合がこの語を借用し、港湾労働者の連帯スローガンに用いた。1936年のでは、プラカードに「Saudaraは同じ汗を分けた者」と書かれ、警察はその意味を理解しきれないまま24名を拘束したと伝えられる。
批判と論争[編集]
Saudaraには、もともと排他的な側面があったという批判がある。外部者を一時的に保護する一方で、共同体内部の規律違反には厳しく、特に婚姻や相続をめぐって「誰が本当のSaudaraか」を巡る対立が頻発したためである。19世紀末のでは、この定義をめぐる争いが原因で、同一家屋の中で二つのSaudara組が並立した珍しい事例が報告されている[10]。
また、植民地期の記録には、行政がSaudaraを利用して住民を分類し、逆に住民がそれを逆用して便宜を得た痕跡がある。このため、Saudaraは「互助の伝統」であると同時に「官僚制に取り込まれた感情の型」であるとも言われる。ただし、感情の型という表現は便利すぎるため、現在ではあまり厳密な分析とは見なされていない。
21世紀に入ってからは、SNS上で#Saudaraを名乗る同窓会型の緩いネットワークも出現したが、これが本来の制度の復興なのか、単なる懐古趣味なのかについては意見が分かれている。なお、2021年にで行われたシンポジウムでは、ある登壇者が「Saudaraはアプリ化されるべきだった」と述べ、会場の半数が同意し、半数が沈黙したという。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ Ahmad Zulkifli『Ports of Kinship: The Saudara Registries of the Straits』Seabridge University Press, 2008.
- ^ Nadia Rahman『Saudara and the Blue-Green Ledger』Journal of Maritime Social Orders, Vol. 14, No. 2, 2016, pp. 113-149.
- ^ 渡辺精一郎『マラッカ海峡社会史におけるサウダラ概念』東南アジア史研究, 第22巻第1号, 1998, pp. 41-67.
- ^ C. van Dijk『Report on Communal Obligations in Batavia』Batavia Colonial Archive Series, Vol. 3, 1911, pp. 201-238.
- ^ Siti Mariam『誓約と食料配分: Saudara慣行の比較研究』マレーシア国立大学出版会, 2012.
- ^ R. Abdullah『When Brother Means Cargo: Literary Uses of Saudara』Archipelago Criticism Quarterly, Vol. 9, No. 4, 2003, pp. 77-91.
- ^ ハジ・アブドゥル・ラフィーク『スラバヤ・寄宿規程注解』ジャワ写本叢書, 第5巻, 1749年版.
- ^ Margaret A. Thornton『The Curious Case of Reciprocal Kin Terms in Southeast Asian Ports』Oriental Studies Review, Vol. 31, No. 1, 2020, pp. 5-33.
- ^ 伊藤桂子『植民地台帳と感情の分類』社会文化論集, 第18号, 2005, pp. 88-112.
- ^ Hamzah Noor『Saudara, Salt Spoons, and Schoolbooks』Proceedings of the Kuala Lumpur Symposium on Civic Memory, 2021, pp. 9-26.
外部リンク
- 東南アジア港市概念アーカイブ
- マレー親族語彙データベース
- 植民地台帳研究所
- 比較相互扶助史センター
- ジャワ写本デジタル館