YS-22
| 正式名称 | Yokosuka Standard-22 |
|---|---|
| 通称 | YS-22 |
| 提唱年 | 1938年頃 |
| 提唱機関 | 東京帝国大学 船舶空力研究室 |
| 分類 | 乱流反転試験規格 |
| 用途 | 航空・船舶・気象・送電線の耐風試験 |
| 運用開始 | 1941年 |
| 廃止 | 1964年 |
| 関連指令 | 内規第22-7号 |
| 識別色 | 群青と橙 |
YS-22は、末にので提唱されたとされる、低速域の乱流を意図的に反転させるための多用途試験規格である。のちにの内部符号として再定義され、からまで広く運用されたとされる[1]。
概要[編集]
YS-22は、低速域で発生する渦と圧力差を、あらかじめ人工的に「ずらして」おくことで、飛行体・船体・架構物の挙動を比較するための規格として知られている。表向きはの補助規格であるが、実際にはやの現場で先に採用され、のちに学術側が追認した形になったとされる。
名称の由来については諸説あり、で制定されたためとする説のほか、試験体の配置を表す「Yielded Swirl」の略だとする英語起源説もある。ただし、古い内部文書には一貫して「Yamane式 Series-22」との記載が見られ、という技師の個人名が隠されていた可能性が指摘されている[2]。
成立の経緯[編集]
YS-22の起点は、冬にで行われた寒冷地航法試験である。試験用の木製浮標が異常な揺れ方をしたことから、の助教授が「揺れを消すのではなく、揺れの向きを管理する」ことを提案したとされる。これがのちのYS原理である。
にはの一角に仮設された「第22風洞」で、半径3.2メートルの可動翼を用いた検証が行われた。記録によれば、初回試験で模型の揚力が12.4%増加した一方、観測担当の技手が「向きの合わない風を見て酔った」と申告し、以後は試験時間を1回37分に制限する内規が追加されたという。
この規格が広く知られるきっかけは、にが出した通達である。通達ではYS-22を「軍用機体の標準調整法」と位置づけたが、実際にはやの強風対策にも転用され、各省が勝手に派生版を作ったため、1943年時点で少なくとも14系統のYS-22が併存していたとされる。
規格の内容[編集]
基本原理[編集]
YS-22の中核は「二重反転閾値」と呼ばれる考え方である。これは、対象物に当てる流れを一度だけ整流するのではなく、22度の角度差を置いて再び乱流化することで、最終状態を安定とみなす手法である。実務上はかなり強引であったが、当時の測定機器ではかえって再現性が高かったとされる。
この方式は製の記録紙に適合しており、紙幅18センチのチャートにちょうど収まるよう設計されたため、後年の研究者からは「規格というより便宜的な罫線である」と評されている。
運用手順[編集]
運用はAからDまでの4段階に分かれる。A段階では対象物の周囲に群青のマーキングを施し、B段階では橙色の補助翼を22秒間だけ展開する。C段階で観測員が「静穏」と唱えると、D段階で逆方向の補正が実施される。
もっとも有名なのは「22-4-9式」と呼ばれる簡易運用で、の臨時試験場では、これを用いて全長9.8メートルの貨物艇をたった4分で再測定した記録が残る。なお、当日は風速がほぼゼロであったため、測定結果の大半は担当者の筆圧で決まったともいわれる。
派生型[編集]
YS-22には多くの派生型があり、特にとが有名である。A型は航空機向けの軽量版で、翼面荷重を細かく読むことに重点が置かれた。一方のK型は港湾クレーン用で、荷重が揺れるたびに管理台帳の欄外へ自動的にメモが追記される仕組みを備えていた。
また、にで作られたYS-22Sは、積雪時の視界不良を逆手に取って、雪煙の模様から風向きを判定するという奇抜な方式を採用したため、実用性よりも「冬の会議がやたら長くなる」として知られている。
普及と社会的影響[編集]
YS-22は、単なる工学規格にとどまらず、官庁の会議文化にも影響を与えた。YS-22導入後のでは、会議資料の欄外に「反転済」「再観測要」と朱書きする慣習が生まれ、これが後の日本式稟議の細分化に寄与したという説がある。
民間では、系の工場が最初に応用し、その後の送信塔点検、の送電鉄塔評価、さらには沿岸の倉庫屋根の耐風設計にも使われた。1960年代初頭には、YS-22式のチェック項目が27項目に増え、現場では「風を見る前に書類が飛ぶ」と揶揄された。
一方で、YS-22は「現象を説明するための規格ではなく、説明したことにするための規格だ」と批判されることも多かった。特にの強風試験では、測定値が班ごとに大きく異なり、最終報告書が3版作成されたうえ、いずれも結論が「概ね安定」で一致していたことから、記録文化の異様さが注目された。
批判と論争[編集]
YS-22をめぐる最大の論争は、その名称が本当に標準番号なのか、あるいはの研究ノート22冊目に由来するのかという点である。研究者のは1971年の論文で、YS-22の初期資料に見られる数字の癖が、工学的配番ではなく手帳管理の都合に近いと指摘した[3]。
また、にの一派が「YS-22は本来、船舶の横揺れ防止装置である」と主張したのに対し、側は「いや、むしろ統計処理法である」と反論し、学会は2日間にわたって紛糾した。結局、議長が「どちらでも差し支えない」とまとめたため、かえって権威が増したとされる。
なお、一部の資料ではYS-22の完成にが関わったともされるが、名簿がなぜか19人分しか残っておらず、残り3名は「当直交代で書類に載らなかった」と説明されている。この点は要出典とされることが多い。
歴史[編集]
戦前期[編集]
戦前期のYS-22は、主として軍需施設の試験規格として使われた。とりわけとでは、湿度と塩分を同時に扱う必要から、風洞に海水を1滴だけ混ぜるという独特の手順が採用された。
には、試験帳票の不足を補うために、裏紙へも記録が続けられた。これが後に「両面YS」と呼ばれ、資料保存の難しさと引き換えに異様な情報量を持つ文書群を生んだ。
戦後期[編集]
戦後、YS-22は軍事色を薄めつつやへ移植された。1950年代には、橋梁のたわみ試験や電柱の共振解析にも使われ、地方自治体の土木課がこぞって導入したため、全国の役場で「YS係」という半ば非公式な呼称が生まれた。
の改訂でYS-22は正式に廃止されたとされるが、実際には多くの現場で「YS-22に準ずる暫定運用」が生き残り、建設初期の現場写真にもそれらしきチェック板が写り込んでいるとする説がある。
遺産[編集]
YS-22の直接の後継規格は存在しないが、その思想はやの現場に断片的に残ったとされる。特に、異常値を捨てるのではなく「別枠で保存する」発想は、後の日本的データ管理の原型になったという評価もある。
一方で、YS-22の名はの工学史展示や、古い製図道具店の棚札にだけ残り、一般にはほとんど知られていない。2018年にで行われた企画展では、来場者の約17%が「YS-22は飛行機の型番だと思っていた」と回答したが、展示側は最後まで否定も肯定もしなかった。
このようにYS-22は、制度、現場、偶然の三つがたまたま噛み合って成立した規格であり、現代の官僚的な文書主義を半ば予告していたともいえる。もっとも、どこまでが技術史でどこからが伝説なのかは、今なお確定していない。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 黒田恒雄『YS-22試験法の基礎』東京帝国大学出版会, 1942年.
- ^ 小沢芳夫『反転風洞と日本工学の周辺』工業評論社, 1971年.
- ^ N. Thornton, “The Yokosuka Standard and Allied Drafting Systems,” Journal of Applied Aeromechanics, Vol. 18, No. 4, 1968, pp. 211-239.
- ^ 山根精一郎『第22記録帳の研究』私家版, 1941年.
- ^ 佐伯道夫『港湾構造物におけるYS-22運用史』海事技報社, 1959年.
- ^ M. L. Faber, “Counter-Swirl Indices in Prewar Japan,” Proceedings of the Pacific Engineering Society, Vol. 7, No. 2, 1974, pp. 88-113.
- ^ 『日本航空技術庁内規集 第22-7号』日本航空技術庁内部資料, 1941年.
- ^ 田沼重蔵『戦後土木行政とYS係』地方行政研究所, 1966年.
- ^ H. K. Albright, “On the Misplaced Stability of YS-22,” Annals of Maritime Measurement, Vol. 3, No. 1, 1980, pp. 9-27.
- ^ 『YS-22とその変種』神奈川県立歴史博物館図録, 2018年.
外部リンク
- 横須賀工学アーカイブ
- 日本反転風洞学会
- 神奈川県立歴史博物館デジタルコレクション
- 旧日本航空技術庁文書室
- 港湾構造研究資料館