富嶽(航空機)
| 分類 | 試作研究用双発航空機(実験機) |
|---|---|
| 開発主体 | 運輸技術総合研究所航空推進室(運総研・航推室) |
| 主要目的 | 高出力低騒音化と、極端気流での安定性検証 |
| 計画開始 | (第一次構想) |
| 試験機数 | 合計4機(とされる) |
| 運用地域 | 沿岸〜上空を含む広域 |
| 特徴 | 「富嶽翼」と呼ばれる可変キャンバーと、排気温度の段階制御 |
| 関連する事故・事件 | 滑走路番号誤読による地上損傷(1956年とされる) |
富嶽(ふがく、英: Fugaku Aircraft)は、戦後日本の航空研究が生んだとされる、主に実験・試作用途の双発機である。計画名の由来はをかたどった整流形状にあると説明されてきた[1]。しかし、その運用史の細部は複数の資料間で食い違いがあるとされる[2]。
概要[編集]
は、ジェット化の余波で膨張した研究費を「事故率」ではなく「環境負荷」で説明するために設計されたとされる試作機である。とくにエンジン排気を段階的に冷却する仕組みが注目され、当時の航空行政文書では“地上騒音の記録が一段落する機体”として扱われたとされる[1]。
計画の表向きの目的は、最大離陸重量を増やしても翼端渦が破綻しないことを示す点に置かれた。一方で、研究チームは同時に「高高度での通信遅延」を観測することも念頭に置いていたとされ、実験ログの末尾にだけ別書式の欄が用意されていたという証言もある[2]。ただし、その別書式が何を意味するかについては複数説があり、後年の照合作業でも結論に至らなかったとされる。
歴史[編集]
誕生:富士型整流の“言い換え”問題[編集]
の航空推進室では、当初「富士型整流研究」という名称で整流カウルの最適化が進められていた。しかしに監査が入り、名称が“軍用風洞の流用を想起させる”として改名を迫られたとされる。そこで、富士山を連想させるが直接的な言い回しを避けるためにという呼称が採用されたという経緯が語られている[3]。
具体的には、翼面の微小凹凸を0.6ミリ刻みで調整する計画が立てられ、風洞試験では「圧力係数が-0.12を下回ったら即停止」と規定されたとされる。さらに、機体胴体の側面には“登山のルート描画”のように細い補助リブが追加され、整流は純粋な流体力学ではなく「見た目の安定感」でも説明されるようになったと記録されている[4]。
この時期、技術者の一部は「富士型整流」を“民間観光広告の図案”に寄せて説明することが研究費の通りを良くすると考えたともされる。実際、の文化課が配布したとされるパンフレットに、なぜか同形状の断面図が掲載されていたという話があり、研究者のあいだでは“図面が通るルートがある”と半ば冗談で語られていた。
開発:排気温度段階制御と“過冷却の事故芝居”[編集]
富嶽の第二の核は排気温度の段階制御である。運総研の記録では、排気温度を「A:410℃台」「B:390℃台」「C:360℃台」として切り替える“3段階の心理”が設計に組み込まれたとされる[5]。ここで心理という表現がなぜ必要だったのかは不明であるが、当時の説明書は「温度が段階的に下がると地上整備員が安心する」とまで書いていたとされる[6]。
ただし、その方式は単純ではなく、エンジン点検のたびにセンサーの校正係数が±0.4%ずれる問題があった。整備班は校正誤差を“機体個体差”として申請することで処理したとされ、結果として4機すべてがわずかに別の温度カーブを持つことになったと推定されている[7]。
には滑走路番号誤読による地上損傷が起きたとされ、原因は誘導灯の色温度を“富嶽翼の塗料”と同じにした実験が絡んだという。目撃者は「赤が赤すぎて、係員が二桁目を読み間違えた」と語ったとされ、整備記録には“過冷却の事故芝居”という見出しが添えられていたとされる。ただし、当該見出しの真偽については、後に改ざん疑惑が浮上したものの、確証は得られなかったとされる[8]。
社会への影響:騒音規制を“翼の形”で先取り[編集]
富嶽が社会に与えた影響としてしばしば挙げられるのは、騒音規制が本格化する前に、低騒音を“数値化されたデザイン”として提示した点である。当時、行政側は騒音値の説明を求めたが、技術側は「なぜ静かか」を図と説明で通したかったとされ、富嶽は「翼端渦の発生位置」を写真で提出する運用が採られた[9]。
この結果、では“飛行機はエンジンだけではなく翼端の落ち着きで静かになる”という教育文が採用され、翌年の講義ノートが増刷されたと伝えられている。さらに、の自治体では「騒音対策費」を予算化する際、富嶽の写真添付が事実上のテンプレートになったとされる[10]。
一方で、富嶽の成果は万能ではなかった。極端な上昇気流では翼端の挙動が予想より“しなやかすぎる”とされ、操縦士が「船に乗っている感覚」と比喩したという記録が残っている。つまり社会は“静かさ”を先取りして受け取ったが、技術の方では“静かさの代償として別の不安定”が後から姿を見せる形になったとされる。
批判と論争[編集]
富嶽の評価をめぐっては、資料の食い違いが繰り返し問題にされた。とくに「試験飛行の総飛行時間」が資料によって72時間、81時間、そして“合算し直したら88時間だった”という三段階に分かれているとされる[11]。編集過程でログの単位が統一されなかった可能性がある一方、“稼働率を高く見せるために計上範囲を変えた”という指摘もある。
また、富嶽翼の形状は再現性が高いと説明されたが、塗料のロットによって翼端の表面粗さが変わり、結果として抗力が平均で3.2%増えたとする報告もある[12]。この報告は“失敗の説明”として処理され、後の総括文では平均値が「2%程度」に丸められたとされる。さらに、社会向け広報資料では静粛性の根拠が“見た目の安定”に寄り過ぎたため、航空学会の一部からは「デザイン論が先走っている」と批判されたとされる。
なお、最も笑いどころの論争としては、富嶽の名称由来が「富士山の整流」ではなく、実はある技術者の子どもの習字に書かれた“嶽”の字形を見て決まったという俗説がある点である。真偽は不明であるが、この逸話だけは複数の関係者が別々に同じ細部(墨のにじみの角度が37度だった)を語ったとされる[13]。このため、史料研究者の間では「富嶽は空を飛んだのではなく、文字が飛んだ」とまで言われることがある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 運輸技術総合研究所航空推進室『富嶽計画資料集(第一次〜第四次)』運総研出版局, 1958.
- ^ 佐伯光成『低騒音航空機の設計指標:翼端渦写真の運用』航空技術年報, 第12巻第3号, pp.41-66, 1960.
- ^ Margaret A. Thornton『Jet Noise and Surface Roughness Correlation』Journal of Airframe Acoustics, Vol.5 No.2, pp.91-118, 1962.
- ^ 伊東真琴『“富士型整流”から“富嶽”へ:研究名の行政史』交通行政研究, 第7巻第1号, pp.12-35, 1964.
- ^ 山口澄人『排気温度段階制御による地上整備効率』日本機械学会誌, 第68巻第9号, pp.2001-2022, 1959.
- ^ Klaus Richter『Staged Exhaust Cooling in Prototype Turbofan Systems』Proceedings of the International Symposium on Propulsion, Vol.19, pp.55-73, 1961.
- ^ 中島玲子『飛行ログ単位の統一問題と歴史修正:試験時間の再計算』計測工学通信, 第3巻第4号, pp.77-96, 1967.
- ^ 藤堂春彦『航空広報における図面の“通り”の作法』観光図案紀要, 第1巻第2号, pp.1-20, 1965.
- ^ 細谷隆『翼端の挙動評価:しなやかすぎる機体の操縦感覚』操縦教育研究, 第9巻第6号, pp.310-333, 1963.
- ^ 【微妙にタイトルが変】Robert K. Watanabe『Letters That Fly: Naming Conventions in Aircraft Projects』Aero-Archives Review, Vol.2 No.1, pp.33-49, 1970.
外部リンク
- 運総研デジタルアーカイブ(富嶽資料)
- 静岡沿岸試験飛行ログ倉庫
- 航空整備学校 講義資料(翼端渦写真)
- 国会図書館 関連行政文書(改名監査)
- 富嶽翼・塗料ロット記録サイト