hyperflip
| 名称 | hyperflip |
|---|---|
| 読み | はいぱーふりっぷ |
| 初出 | 1968年 |
| 提唱者 | 渡辺精一郎 |
| 分野 | 可逆工学、映像理論、都市設計 |
| 主な用途 | 転倒補正、逆再生制御、動線再配置 |
| 拠点 | 東京都文京区小石川 |
| 関連機関 | 国立反転技術研究所 |
hyperflip(ハイパーフリップ)は、を連続的に重ねることでとの両方を転換させる技法、またはその過程で生じる現象である。もともとはにので試作されたの実験語であったとされ、後にからまで幅広い分野に転用された[1]。
概要[編集]
hyperflipは、対象を一度「戻す」のではなく、戻しながら別の方向へ押し出すという発想に立つ操作概念である。一般にはとを同時に行う処理を指し、研究分野では「二重可逆性」を伴うものとして扱われる[2]。
この概念は、後半のにおいて、周辺の技術者と実験映像作家の共同作業から生まれたとされる。もっとも、当初は装置名なのか手技なのか定義が曖昧であり、後年の論文でも「hyperflip的挙動」といった逃げの表現が頻出した[3]。
歴史[編集]
小石川試験局の時代[編集]
起源については、に文京区の旧理化学倶楽部跡へ設けられた試験室で、渡辺精一郎が誤って配線を逆にしたことが契機になったとする説が有力である。彼はの波形が反転した瞬間、紙の上の矢印まで逆向きに見えたと記録しており、これを「hyperflip」と命名したという[4]。
なお、この命名の場に同席したのは、映像編集助手の三輪ユミ子と、から出向していた制御技師の神崎隆一であったとされる。三輪はのちに「反転したのに、妙に前進している感じがした」と回想しており、この証言が後の理論化の端緒になった。
大学研究と企業導入[編集]
、の演習室で行われた公開実験では、3分17秒のモノクロ映像を18回反転させても、観客の理解度が下がらないどころか上がったと報告された。これにより、hyperflipは単なる視覚効果ではなく、情報の「負荷を反転させる」技法として注目されるようになった。
一方で、技術研究所が試験導入した際には、編集機材3台のうち2台が同時に誤作動し、スタジオ内の時計だけが4分早回りしたという事故があり、当時の内部報告書には「高度であるが責任の所在が極めて曖昧」と記されている[5]。
都市設計への拡張[編集]
には、hyperflipはに転用された。特にの地下歩行網では、朝夕の人流を鏡像的に入れ替える「反転導線」が実験され、通勤者の歩行距離が平均で12.6%短縮されたとされる。ただし、この数値は「雨天時のみ」であり、晴天時にはむしろ迷いやすくなったため、成果は限定的であった。
この頃、の一部会では、交差点を90度回すのではなく「1.3回転させる」案が真顔で議論されたという証言が残る。結局、実装は見送られたが、会議メモに残る「完全な回転は危険だが、半端な反転はもっと危険である」という一文は、今なおhyperflip研究の座右の銘とされる。
理論[編集]
hyperflip理論の中心は、対象を単に反対向きへ変換するのではなく、変換の途中に生じる「揺り戻し」を利用する点にある。理論上は、入力AをBへ変換し、そのBをCへ戻すことで、AとCの差分に余剰情報を発生させるとされる[6]。
この余剰情報は「フリップ残差」と呼ばれ、映像では微細なぶれとして、都市計画では歩行者の自発的寄り道として現れるという。もっとも、残差の測定方法は研究者ごとに異なり、1970年代後半には系のグループと系のグループで解釈が真っ向から対立した。
また、hyperflipの有効性は、反転回数が奇数か偶数かではなく、「三の倍数から一つ外れた回数」が最も安定するとされる。これは小石川試験局での偶然の観測に基づくが、なぜそうなるかについては今なお明快な説明がない。
社会的影響[編集]
hyperflipは、技術用語でありながら、1970年代には一般社会にも浸透した。とりわけでは、商品を右から左へ読ませるのではなく、最初に結論だけ見せてから理由を逆順に提示する手法が「ハイパーフリップ型構成」と呼ばれ、月刊広告誌の特集で流行語化した[7]。
教育分野でも、の一部教員が、答案を最後から採点することで思考の順序を反転させる試みを行ったとされる。生徒の満足度は高かったが、採点ミスも3倍に増えたため、正式採用は見送られた。
さらに、の秋には、の商店街で開催された「反転市」で、店先の値札を裏返しに掲示する催しが行われ、来場者は1日で推定4万8,000人に達した。もっとも、実際には値段が安くなったように見えるだけで、会計時に正気へ戻る仕組みであったため、苦情も相当数寄せられたという。
批判と論争[編集]
hyperflipには、理論の曖昧さをめぐる批判が絶えない。特にに発表された『反転のあとに残るもの』では、定義が論文ごとに違いすぎるため、hyperflipは技法というより「研究者の気分の記述ではないか」と指摘された[8]。
また、国際的にはの一部研究者が、hyperflipを「精密な冗談」と評したことで論争が起こった。これに対し、日本側は「冗談であるなら再現性が高すぎる」と反論し、両者の共同実験は結局、反転回数を数える担当者が途中で酔ってしまい中断された。
なお、とだけ書かれたまま放置されている節が多く、編集史をたどると、同じ一文がからまで6回も復活していることが確認できる。これはhyperflip研究が、学術よりも編集合戦によって生き延びた稀有な事例とみなされている。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 渡辺精一郎『可逆操作における連続反転の研究』国立反転技術研究所紀要 第3巻第2号, 1969, pp. 11-38.
- ^ 三輪ユミ子『ハイパーフリップと映像の逆順構成』映像文化出版社, 1975.
- ^ 神崎隆一「反転導線の歩行誘導効果」『都市設計学報』Vol. 12, No. 4, 1981, pp. 201-219.
- ^ 佐伯和夫『フリップ残差の測定に関する試論』東京工業大学出版会, 1979.
- ^ Margaret L. Thornton, “Hyperflip and the Semi-Reversible Interface,” Journal of Applied Reversal Studies, Vol. 8, No. 1, 1984, pp. 55-79.
- ^ 田島宏『広告における順序逆転表現の実務』日本広告研究連盟, 1978.
- ^ K. Endo and P. R. Whitman, “On the Three-off Resonance in Hyperflip Cycles,” Proceedings of the International Symposium on Reversible Systems, Vol. 5, 1987, pp. 144-163.
- ^ 『反転のあとに残るもの』編集委員会『反転のあとに残るもの』特別増補版, 1983.
- ^ 宮本澄子『都市の1.3回転計画——試験導入の記録』建設政策評論社, 1982.
- ^ R. J. Holloway, “A Precise Joke? The Japanese Hyperflip School,” Cambridge Review of Contradictory Engineering, Vol. 2, No. 3, 1991, pp. 9-27.
外部リンク
- 国立反転技術研究所アーカイブ
- 小石川実験史資料館
- ハイパーフリップ編集史データベース
- 都市反転計画研究会
- 可逆工学ネットワーク