Morokochi(モロコチ)
| 分野 | 民俗音響学/食文化史 |
|---|---|
| 地域 | 山形県北部(置賜地方中心) |
| 成立年代(伝承) | 江戸時代後期(1780年代とされる) |
| 記録媒体 | 家帳、火床札、竹片の打刻 |
| 代表的手法 | 泡音符(あわおんふ)採譜 |
| 関連組織 | 置賜泡音記録会(通称:泡音会) |
| 論点 | 科学的再現性の低さ |
Morokochi(モロコチ)は、山形県北部で発見されたとされる「口伝の発酵音(はっこうおと)」を指す語である。とくに、家庭の煮炊き中に聞こえる微細な“泡のリズム”を記録する民俗技法として、置賜地方の古文書に散見される[1]。
概要[編集]
Morokochiは、液体を温めた際に生じる微細な気泡音の周期性を「符号」として扱う民俗技法とされる。一般に、鍋の縁から聞こえる“ぽろ…こち…(ときに伸びる)”という反復を手掛かりに、家庭の味のブレを補正する知恵として語られてきたとされる[1]。
その語源については、口伝では「藪(やぶ)で育つ山芋の芯を噛むと鳴る音」だという説が有力とされるが、別系統の整理では「藍染の下地塗りが乾くときの低周波」を表した擬音であるとも説明されている[2]。なお、実際の研究者は“Morokochi”を固有の発酵食品名とみなさず、音の運用体系として分類する傾向がある[3]。
歴史[編集]
起源:火床札の制度化[編集]
物語として最もよく語られる起源は、江戸時代後期の飢饉対策として整備された「火床札(ひどこふだ)」である。置賜の豪農である川野源左衛門は、炊事の失敗が家計に直結することから、煮炊きの失敗を“音の採譜”で予防できないかを提案したとされる[4]。
記録会の手引き書(写本)では、火床札は「高温区」「中温区」「保温区」の3分類で、各区に割り当てられた“泡音符”の数を合計すると「52拍」に揃う設計だったと書かれている[5]。さらに、初期の札は竹片に刻む方式で、刻み幅は0.7寸(約2.1cm)とされるが、これは後年の修復で再計測された値だと注記されている[6]。
発展:軍用天秤との“偶然の接続”[編集]
明治期に入ると、食の品質管理が行政の関心事になり、山形県の衛生係が「台所の安定」を衛生指標に取り込もうとしたとされる。ここで登場するのが、旧陸軍技術官長谷部謙作が持ち込んだといわれる“微振動天秤”である[7]。
天秤は、本来は弾薬の微小重量差を測るための装置だったが、ある台所見学の席で、湯の泡音が天秤の針の震えと相関することが見出されたという。もっとも、当時の資料には「相関係数0.48」とだけ記され、計測回数が“ちょうど13回”で止まっているため、後世の編集者からは「意図的に端数を残したのでは」との指摘がある[8]。この“偶然の接続”が、音を数値化するMorokochi様式(モロコチ式採譜法)を後押ししたとされる。
制度化:置賜泡音記録会(泡音会)の誕生[編集]
大正末期、置賜地方で台所の達人が互いの手順を交換する場が増え、1923年に「置賜泡音記録会」(通称:泡音会)が結成されたとされる[9]。会の会則には、見学者の参加条件として「鍋の底面温度を誤差±2℃以内に保てること」と書かれていたとされるが、実際の“測定”は湯気の色見本を指差す方式だったとも伝えられている[10]。
また、泡音会は毎月「第◯回採譜祭」を行い、Morokochiのフレーズを“家ごとに採譜し、互いに読み合う”ことで味のレシピが共有される仕組みを作った。ここで不可解なのが、保存のために火床札を「乾燥箱(かんそうばこ)」に入れるのではなく、あえて“米袋の隣”に置くルールがあった点である。米の匂いで音が変わるのか、単に忘れ物が減るだけなのか、議論が長く続いたと記される[11]。
Morokochiの運用体系(採譜と補正)[編集]
Morokochiの運用では、泡音を「頭音(とうおん)」「谷音(たにおん)」「尾音(おおん)」の3要素に分けると説明される。頭音は鍋を置いた直後の立ち上がり、谷音は音が最も弱まる瞬間、尾音は余熱で細く伸びる段階であるとされる[1]。
実際の家庭では、採譜はまず“口”で真似をし、次に紙片へ記号化する。たとえば、谷音が短い場合は「▽」ではなく「V」の向きを変え、尾音が遅い場合は「●」を一つ増やすといった運用が伝わっている。ある手引きでは、補正の目安として「谷音の間隔が+1/6拍なら塩を半粒だけ先に入れる」とあり、ここで半粒が物理的に何に相当するかは書き手ごとに異なる[2]。
なお、科学的再現性に関しては「録音装置のマイク位置で結果が変わる」ことが問題視された。にもかかわらず、泡音会の保存箱は微妙に角度を持っており、記録者が“いつも同じ角度で聞ける”ように設計されていたとされる。つまり、自然科学というより儀礼工学に近かったのではないか、という後年の評価もある[3]。
社会に与えた影響[編集]
Morokochiは、台所を個人の腕任せから“可視化できる手順”へ移す文化装置として機能したとされる。泡音会の活動が広がると、味の継承が技能伝承だけでなく“符号の読み書き”へも拡張され、若い世代が失敗を恐れず学べる空気が作られたと報告されている[4]。
一方で、音符の解釈には地域差があり、同じMorokochiでも隣村の記号表と噛み合わないことがあったという。たとえば白鷹町周辺では尾音の伸びを「—」ではなく「=」で表したとされ、他地域からは「記号が強すぎて味が濃くなる」と冗談めかして語られた記録が残っている[5]。
さらに、食材の流通が変化する昭和期には、音符が“新しい味”の受け止め方を決めるようになったとされる。古い米の炊き方ではMorokochiが短く出るが、新しい米では谷音が長く出るため、同じ手順でも採譜がズレる。これが地域の販売競争にまで影響したという話もあり、泡音会の会計係が「採譜祭の参加料を半分にしないと新米が売れない」と頭を抱えたとされる[6]。
批判と論争[編集]
批判として代表的なのは、「音の相関は装置依存ではないか」という点である。特に、当時の測定者が使った“標準マイク”が家庭の台所用ではなく、郵便局の集音室から転用されたとされるため、背景音の成分が結果に含まれている可能性があると指摘された[8]。
また、泡音会の保存資料には“要検証”とみられる数字が混在している。たとえば、ある会計帳では採譜祭の総参加者が1927年に「1,042名」と記され、翌年が「1,045名」といった増加の仕方をしているが、同時に「参加者の年齢構成は19歳以下が3割」とも書かれている[9]。この3割は端数処理が不自然であり、編集者がどの場面から数字を拾ったのか不明だとされる。
さらに、少数派の研究者はMorokochiを食文化ではなく“共同暗示(きょうどうあんじ)”として捉えるべきだと主張した。彼らによれば、真似をすることで人が同じタイミングで鍋を触り、結果として音の一致が起きるという。しかし泡音会側は「真似が先なら音が先でもある」と反論したとされ、会議の議事録には「議論は火床札の角度が変わってから激しくなった」と妙に具体的な記載が残っている[10]。
脚注[編集]
脚注
- ^ 川野源左衛門『置賜火床札の心得(写本)』置賜文庫, 1803.
- ^ 長谷部謙作『微振動天秤と台所音響の相関(報告草稿)』陸軍技術研究会, 1889.
- ^ 佐藤澄恵『泡音符の記号学:Morokochi運用の分析』音響民俗学会誌, Vol.12, 第2巻第1号, 1934, pp.33-57.
- ^ 置賜泡音記録会編『採譜祭の手引き』置賜泡音会出版部, 1923.
- ^ Margaret A. Thornton『Household Acoustics and Culinary Rituals』Cambridge Lantern Press, 1978, pp.141-169.
- ^ 鈴木篤志『台所の温度誤差と口伝補正』日本衛生民俗研究叢書, 第6巻, 1962, pp.201-219.
- ^ Hiroshi Nakamura『Symbolic Timing in Domestic Boiling』Journal of Ethno-Acoustics, Vol.4, No.3, 1991, pp.10-29.
- ^ 相田紗羅『米袋と音符保存の習慣:文献学的再解釈』東北生活史研究, 第9巻第4号, 2007, pp.77-98.
- ^ 白井俊一『Morokochiの再現性試験:要出典データの再評価』台所科学季報, Vol.21, 第1号, 2012, pp.55-84.
- ^ (書名が不自然)『置賜泡音札:第◯巻第◯号総索引』置賜文書館, 1928.
外部リンク
- 泡音会アーカイブ
- 置賜文書館デジタルコレクション
- 民俗音響研究ポータル
- 台所科学季報バックナンバー
- 記号学的採譜ノート