あさなじみ
| 名称 | あさなじみ |
|---|---|
| 別名 | 朝馴染み、暁口合わせ |
| 起源 | 平安時代末期の京都 |
| 成立母体 | 茶商人組合と町医師の協議会 |
| 主な用途 | 朝の味覚調整、来客のもてなし、商談前の儀礼 |
| 流行期 | 大正末期から昭和20年代 |
| 主な実施地域 | 京都市、金沢市、長崎市、東京下町 |
| 関連組織 | 日本朝味研究会 |
あさなじみとは、末期にの茶商人たちの間で発達した、夜明け前に仕込んだ液体や粉末を、日の出と同時に最初の一口で「口当たりを整える」ための生活技法である。後世には初期の都市文化と結びつき、朝食・喫茶・儀礼の境界にある慣習として知られるようになった[1]。
概要[編集]
あさなじみは、朝の最初に摂る飲食物をあらかじめ一度だけ「慣らす」ことで、舌の過敏さや胃の驚きを抑えるとされた風習である。単なる朝食前の習慣ではなく、、、の接客作法が交差した領域にあると説明されることが多い。
一般にはの旧商家に由来するとされるが、のでは独自に「金箔を浮かべた白湯で行うあさなじみ」が伝えられ、ではオランダ由来のと結びついた例が知られている。なお、明治期の衛生行政がこの慣習を「食前調律」として一時的に奨励したという記録があるが、出典が曖昧である[2]。
この習慣は、朝に強い味のものを一気に摂ると腹が鳴る、あるいは客人が寝ぼけて茶碗を落とすといった実務上の問題から広まったとされる。一方で、の一部では「朝の会話を滑らかにするための口慣らし」として受け継がれ、昭和30年代には企業の朝礼前儀礼として導入された例もあったとされる[3]。
歴史[編集]
成立[編集]
成立については、にの六角通で茶葉を扱っていた渡辺宗清が、夜通し焙じた茶の湯気が朝の咳止めに有効であることを見出したのが始まりとする説が有力である。これに門前の薬種商が、白湯に梅肉を一滴落とす方法を加え、いわゆる「一滴あさなじみ」が定着した。
ただし、の史料とされる『晨口記』には、すでに「朝、舌を馴らして客を迎うべし」との文言が見えるため、起源はさらに古い可能性がある。ただしこの文書はに古文書収集家の佐伯一之助が写したものしか残っておらず、真偽は今なお議論されている[4]。
都市文化への浸透[編集]
後期になると、あさなじみは武家屋敷よりも町人文化に深く入り込んだ。特にの魚河岸では、朝いちばんの競りの前に昆布だしを一口だけ飲む「見極めの馴染み」が慣行化し、これが価格交渉の口火を切る役目を果たしたという。
期にはのカフェー文化と結びつき、モーニングサービスの前に店員が客へ薄いミルクティーを差し出す習慣が一部で発生した。1928年にが「朝の一口が商談を決める」と報じたことから全国に知られ、1929年には東京・神田の喫茶店で月間1,240杯の「馴染み湯」が売れたと記録されている[5]。
制度化と衰退[編集]
10年代には、の外郭団体とされる「朝生活改善委員会」が、家庭向けに『あさなじみ手引き第一号』を配布した。そこでは、起床後15分以内に常温の液体を3口飲み、5分置いてから主食に入る方法が標準とされた。配布部数は時点で推定48万部に達したとされるが、実際に誰が集計したかは不明である。
戦後はの生活改善政策と接触し、英語圏では “Morning Acclimation” と誤訳されて紹介された。これにより米軍関係者の間で「日本人は朝に味覚を訓練する」という奇妙な理解が広まり、のPXで薄い味噌汁を試験販売する動きまで生じたという。もっとも、1960年代以降は冷蔵庫の普及と朝食の簡便化によって急速に衰退した。
実践方法[編集]
伝統的なあさなじみは、単なる一口目の行為ではなく、時間・温度・器に厳密な作法があるとされる。最も標準的なのは「三口・三拍・一呼吸法」で、第一口は舌先で味を確認し、第二口で喉の通りを整え、第三口でその日の機嫌を占う。
の老舗では、冬は、夏は、雨の日はの器を用いるとよいとされた。温度は37.2度前後が理想で、これを超えると「馴染みが過熱する」とされる。また、来客に対しては右手で器を差し出し、左手で時刻を示すことで「朝の約束」を視覚化する作法があった。
地方差も大きく、では金箔を一片浮かべることで縁起を担ぎ、では砂糖をひとつまみ加えて異国船との交易を象徴した。なお、では味噌を用いるあまり、実際には朝食本体より濃くなってしまう例が多かったと記されている[6]。
社会的影響[編集]
あさなじみは、食文化にとどまらず対人関係の潤滑にも用いられた。昭和初期の商家では、初対面の客にあさなじみを勧めることで、取引条件の交渉前に心理的な余白をつくることができたとされる。特にの一部記録には、あさなじみ導入後に朝の成約率が17.4%上昇したとあるが、母数はわずか23件である。
また、学校教育にも一時的に影響した。が1948年に作成したとされる副読本では、「朝の一口は声の明瞭さを整える」と説明され、朗読前の白湯習慣が推奨された。これにより、地方の小学校では給食前に「朝馴染みの時間」が設けられた例があり、児童が全員そろって湯飲みを掲げる光景が写真に残っている。
一方で、過度な実践が胃腸に負担をかけるとしての生理学者・森下忠彦が警鐘を鳴らしたこともある。しかし彼自身が研究会の後に必ず昆布茶を飲んでいたため、批判はやや弱かったとされる。
批判と論争[編集]
あさなじみをめぐっては、そもそも実在した慣習か、近代以降に作られた生活改善神話かをめぐる論争が続いている。とりわけにが発表した『近世食前儀礼の再検討』は、一次史料の大半が戦後の再筆である可能性を示し、学界に衝撃を与えた。
また、1980年代には健康食品業界がこれを商品化し、「あさなじみ顆粒」「朝馴染みドリンク」「暁の一滴」などが販売されたが、いずれも味が似通っていたため差別化に失敗した。特に「朝の第一口を科学する」と称する広告は、なぜかの天気予報と並べて掲載され、消費者から「季節限定の味ではないか」と誤解されたという。
なお、にで開催された企画展「朝をならす」は、来場者の約3割が「あさなじみ」を正式な流派の名と勘違いしたとされる。展示図録には「地域によっては起床後に庭石へ向かって一礼する」との記述があり、これが最も笑われた箇所である[7]。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯一之助『晨口記影写本考』京都史料出版社, 1911.
- ^ 森下忠彦『朝食前後の胃部反応に関する研究』東京帝国大学生理学教室紀要 Vol.12, No.3, pp. 41-88, 1934.
- ^ 渡辺宗清『六角通茶商往来覚書』日本食文化叢書, 1898.
- ^ Yamada, H. "Morning Acclimation and Urban Etiquette in Early Showa Kyoto" Journal of East Asian Habits Vol.7, No.2, pp. 113-146, 1968.
- ^ 朝味民俗学会 編『近世食前儀礼の再検討』朝味民俗学会報 第14巻第1号, pp. 5-39, 1972.
- ^ 鈴木まどか『白湯と礼法の近代史』みすず書房, 1999.
- ^ Thornfield, Margaret A. "A Cup Before Dawn: Ritualized Taste Training in Port Cities" Cultural Anthropology Review Vol.19, No.4, pp. 201-229, 1987.
- ^ 大阪毎朝新聞文化部『朝の一口が商談を決める』大阪毎朝新聞社, 1928.
- ^ 国立歴史民俗博物館 編『朝をならす 展示図録』国立歴史民俗博物館出版, 2021.
- ^ 小島源一『朝馴染み顆粒事件の広告史』広告と生活 第3巻第9号, pp. 77-81, 1984.
外部リンク
- 日本朝味研究会
- 京都生活儀礼アーカイブ
- 朝馴染み資料室
- 港町コーヒー史研究所
- 国際食前作法データベース