あのどの
| 分類 | 日本語の指示・婉曲表現 |
|---|---|
| 成立時期 | 明治後期-大正初期 |
| 発祥地 | 東京府下町会記録圏 |
| 主な用途 | 場所・人物・案件のぼかし指定 |
| 初出資料 | 『東京府内略式案内帳 第7冊』 |
| 標準化 | 昭和3年 文部省仮名遣い試案 |
| 関連機関 | 東京市役所 参考課 |
あのどのは、末期のにおいて、住所の特定を避けるために用いられた婉曲表現から発展したとされる、日本の準敬語的指示語である[1]。後に文書やの帳簿で独自の用法を獲得し、初期にはほぼ独立した地名指示語として扱われた。
概要[編集]
あのどのは、対象を直接指ささずに「そのあたりの件」「例の場所」「問題の人物」を含みうる形で示す際に用いられる表現である。一般には古風な言い回しとされるが、内の小売商や巡査補の間では、相手に記録を残させないための便利な省略法として広く流通したとされる。
語感としては「あの」と「どの」が連結したものに見えるが、実際にはの荷役人夫が使った「案の道(あんのど)」が転じたという説、あるいは言語学研究室の速記符号が民間化したという説が並立している。なお、の前身にあたるとされる民間団体「語尾整理会」が1931年に採集した聞き取りでは、回答者の27.4%が意味を説明できなかったという[2]。
歴史[編集]
発生[編集]
もっとも有力とされるのは、ごろの下宿街で生まれたとする説である。下宿管理人のが、滞納者や未払いの客を廊下で呼ぶ際に「例の、あのどのへ回せ」と言ったのが広まり、やがて「どの」が単独でも「どこか特定しない先」を意味するようになったとされる。
この言い回しは、当初は書き言葉ではなく口頭の場でのみ機能した。特にの通報記録では、所在地不明の荷物や、本人確認を拒む人物の記載欄にしばしば「あのどの方面」「あのどの者」と書かれているが、これは記録係が面倒を避けた結果であるとも、実際に通じる略語として採用されたともいわれる。
官製化[編集]
7年には地方課が、町村合併後の旧地名保全に関する通達案の中で「あのどの地区」という語を試用した。これは、統合された複数の字名をいちいち書くのを避けるための実務上の工夫であったが、現場では「丁寧なのに何も言っていない」と評判になった。
に東京市役所参考課が刊行した『町名略記実験報告』では、・・の三区で試験的に導入され、窓口の処理時間が平均で11.8秒短縮したとされる。ただし、同報告書の第4表はなぜかのカボチャ出荷量の推移になっており、後年の研究者を大いに悩ませた[3]。
衰退と再評価[編集]
10年代に入ると、標準日本語の整備により「あのどの」は一度は旧弊な言い回しとして退けられた。しかし戦後の再編期には、道路工事や区画整理の影響で、具体地名を避けつつ現場を指示する必要が増え、再び実務用語として復活した。
とくにの内水道工事台帳では、「あのどの掘削位置」「あのどの仮復旧」といった記載が急増しており、現場監督たちの間では「最も伝わる曖昧語」として知られた。もっとも、この時期の使用例にはしばしば赤鉛筆で「要明記」と書き込まれており、制度と現場の妥協の産物であったことがうかがえる。
用法[編集]
あのどのの用法は、大きく「地点指定」「人物回避」「案件ぼかし」の三類型に分けられる。地点指定では「駅のあのどの側」「川向こうのあのどの角」といった具合に用いられ、人物回避では「例のあのどの氏」「あのどの先生」など、名前を出すと差し障りのある相手に対して使われた。
案件ぼかしは特に官庁文書で発達したとされる。たとえばの内部稟議では「件名:あのどのの件」とだけ記され、添付資料を開くと畜産補助金の再計算、港湾労務の手当改定、さらには宴席の席順まで混在していた例がある。ひとつの語に複数の責任逃れを圧縮できる点が高く評価されたのである。
なお、関西圏では「あのどの」の発音がさらに短縮され、「あどの」「あどん」となる傾向があった。これをは「曖昧語の圧縮現象」と呼んだが、地元の帳場では単に「せっかちの言葉」と呼ばれていた。
社会的影響[編集]
あのどのは、単なる言語表現にとどまらず、日本の事務文化そのものに影響を与えたとされる。特にの古い聞き取り調査によれば、昭和30年代の事務員の約18%が「指示をあのどの化することで、上司の怒りを半分くらいにできた」と回答している[4]。
一方で、曖昧さが過度に制度化された結果、現場では誤認も多発した。1974年のの倉庫火災では、避難誘導票に書かれた「あのどの出口」が、北口なのか裏口なのか誰にも分からず、数名が売店へ向かったという逸話が残る。被害は軽微であったが、以後、自治体の掲示物では「あのどの」の使用に赤字注記を付す例が増えた。
また、文学方面では風の硬質な婉曲語として模倣され、私小説の中で「彼女はあのどのように笑った」といった奇妙な比喩が流行した。批評家のはこれを「指示語の貴族化」と評したが、同時代の読者の多くは意味を取り損ねたとされる。
研究史[編集]
語源研究[編集]
語源研究では、出身のが1938年に発表した論文『曖昧指示の市民化』が基礎文献とされる。羽田川は、あのどのを「記憶ではなく配慮によって保存された言葉」と定義し、口承と事務文書の往復によって意味が固定化したと論じた。
ただし、彼のフィールドノートにはとの聞き取りが混在しており、同じ事例に異なる番号が振られているため、後世の研究者からは「資料の曖昧さが対象を模倣してしまった」と批判されている。
現代言語学での扱い[編集]
21世紀に入ると、あのどのは日本語教育の教材で「高度な省略表現」の例として再評価された。とりわけの調査では、若年層の62.1%が意味を知らない一方で、会話の場面提示をすると92.3%が直感的に使い分けられたという結果が出ている。
この数値は、一見すると世代間断絶を示すが、実際には動画投稿サイトで「あのどのを使ってみた」系の検証企画が流行した影響が大きいとされる。中でもの配信者「ことば実験室・三輪」が、の不動産案内で「あのどの」を連呼し、内見客にだけ通じるかを調べた企画は、再生数48万回を記録した。
批判と論争[編集]
あのどのをめぐっては、曖昧さが実務効率を高めるのか、それとも責任回避を助長するのかをめぐる論争が繰り返された。特にの大会では、「あのどのは日本的合理性の結晶である」とする肯定派と、「会話を霧化するだけの習慣である」とする否定派が激しく対立した。
また、の教育委員会が1993年に作成した教材では、児童が「あのどの」を多用した結果、自由帳に地図ではなく矢印だけが増殖したとして問題になった。これに対し一部の教師は「現代的な抽象思考の芽生えである」と擁護したが、保護者説明会ではほぼ全員が首をかしげたという。
なお、近年はSNS上で「あのどの」が皮肉表現として再流通し、政治家の説明や企業会見を揶揄する定型句として使われている。これに対し、あのどの保存会は「本来の用法はもっと誠実な曖昧さであった」と声明を出したが、声明文自体が「あのどの件につきましては慎重に検討中」と始まっていたため、逆に炎上した。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 羽田川宗一『曖昧指示の市民化』東京言語研究社, 1938.
- ^ 東京市役所参考課『町名略記実験報告』第2巻第4号, 1928, pp. 14-39.
- ^ 斎藤兼三郎『下宿と口頭略語の研究』本郷文化出版, 1911.
- ^ 三浦澄子『指示語の貴族化』文藝評論社, 1962.
- ^ 文化庁日本語課『現代指示表現の世代差調査』第18号, 2021, pp. 3-28.
- ^ M. A. Thornton, "Indirect Deixis in Urban Japanese Bureaucracies," Journal of East Asian Pragmatics, Vol. 7, No. 2, 1979, pp. 88-117.
- ^ 田所善一『官庁文書における省略と配慮』行政資料研究所, 1957.
- ^ Kobayashi, R. and Miller, J., "The Anodono Effect in Municipal Records," Urban Language Studies, Vol. 12, No. 1, 1994, pp. 41-66.
- ^ 内務省地方課『町村合併後の地名整理に関する試案』昭和7年, pp. 5-19.
- ^ 語尾整理会編『口頭調査票 第3輯』民間言語資料刊行会, 1931.
- ^ 西園寺澄夫『あのどの論:日本語の霧と光』青潮社, 2008.
外部リンク
- 語尾整理会アーカイブ
- 東京市事務用語資料館
- 日本曖昧表現学会
- 下宿語彙研究室
- あのどの保存会