「ですの」ーと
| 名称 | 「ですの」ーと |
|---|---|
| 読み | ですのーと |
| 分類 | 敬語的記法・装飾文字 |
| 成立時期 | 1920年代末頃 |
| 起源地 | 東京・神田周辺 |
| 主な担い手 | 女学校の生徒、百貨店の文案係、雑誌編集者 |
| 用途 | 断定の緩和、文末の装飾、案内文の柔化 |
| 禁則 | 公文書では原則使用不可 |
| 派生形 | 「ですのー」「ですの〜と」 |
| 現況 | 限定的に広告・同人誌・観光看板で使用 |
「ですの」ーとは、の敬語表記文化において、文末の余白に装飾的な伸ばし棒を挿入することで、断定を婉曲化するための記法である。主に末期の女子学生文化から発展したとされ、のちにの出版実務や圏の案内文にまで影響を及ぼした[1]。
概要[編集]
「ですの」ーとは、文末の「ですの」に伸ばし棒「ー」を挿入した独特の表記であり、語調をやや柔らかく、かつ気取った印象にする目的で用いられる記法である。一般には文法体系の外側にある装飾表現とみなされるが、初期の活字組版では一定の規則をもって処理されていたとされる[2]。
この表記は、の女学校における手紙文の流行と、の洋品店が配布した試着券の文案が混ざり合って成立したとされる。もっとも、成立当初は「ですの」と「です」の区別を誤読した校正係の凡ミスだったという説もあり、現在でも起源をめぐる議論は尽きない[3]。
歴史[編集]
成立前史[編集]
前史は後期の女学生手紙文化に求められることが多い。とくにの私立女学校では、句点の代わりに小さな横線を入れて余韻を作る習慣があり、これが後の「ー」挿入へつながったとする見解がある。1926年頃には、下書きの末尾に「ですの」と書いたあと、気分で伸ばし棒を足す学生が現れたという証言が残る[4]。
ただし、の1983年調査によれば、同様の記法はの百貨店広告にも散発的に見られ、単一の学校文化から生まれたとは限らない。文案係のが「婦人向けの品位を出すため」と説明した回覧メモが残るが、当該メモは紙質と筆圧からみて後年の追記である可能性も指摘されている。
普及期[編集]
1931年、雑誌『』が「ですのーと体」と呼ばれる小見出し表記を掲載し、読者投稿欄で流行が拡大した。編集部は当初、活字不足のために長音記号を二字分の余白として扱っていたが、結果的に文末がやや誇張され、これが「お嬢さま風の断定」として受け入れられた[5]。
1934年にはの広告面で、洋傘や香水の見出しに断続的に使用されるようになった。なお、当時の紙面分析では、同じ広告主が翌月には通常の「です。」表記に戻しており、流行というより一種の季節商品であった可能性が高い。
制度化[編集]
戦後にはの前身にあたる暫定国語整理委員会が、外来記号の処遇を検討する中で「ですの」ーとを準拠例として議論したとされる。1949年の内部資料『表記統一案・補遺』では、長音の機能を「情緒の保持」と定義しており、これが後の広告文規範に影響したという。
一方で、1957年のメモには「放送原稿での使用は、呼気の途切れを増幅させるため慎重を要する」とあり、アナウンス界ではむしろ忌避された。にもかかわらず、地方局のイベント告知ではしばしば用いられ、やの商店街アナウンスにまで波及した。
再評価と衰退[編集]
1970年代後半、ワープロの普及により伸ばし棒の入力が容易になったことで、当初の「手書きの気取り」が失われ、記法としての緊張感は低下したとされる。これに対し、一部の同人誌編集者は逆に「ですの」ーとをレトロ記号として復活させ、の即売会で限定的な再流行を引き起こした[6]。
しかし、1988年の『現代装飾記号白書』は、若年層の受容率が2.7%にとどまると報告し、以後は「知る人ぞ知る表現」として固定化した。現在では、観光案内の注意書きや、老舗喫茶店のメニューに意図的な違和感を与える目的で使われることがある。
用法[編集]
「ですの」ーとは、文末の断定を和らげたい場合、または相手との距離を一歩だけ詰めたい場合に用いられる。とくに「〜ですのーと。」のように句点を併用すると、読み手に軽い戸惑いを与え、親しみと上品さが同時に生じるとされる[7]。
用例としては、百貨店の案内で「本日より春物の取り揃えがございますのーと」といった形が知られる。もっとも、実務上は誤植と区別がつきにくく、の印刷会社では校正ミスの17%が「意図的表現」として見逃されたという社内報告がある。
また、同人文化では「断言したいが断言したくない」という微妙な感情を表す装置として愛好された。とりわけの頒布物では、本文よりも奥付に「ですの」ーとを置くことで、作者の人格がやや遠くからこちらを見ているような効果が得られるとされた。
社会的影響[編集]
「ですの」ーとは、単なる表記を超えて、丁寧さの演出における倫理観に影響したとされる。たとえばの1962年会議では、過剰な婉曲表現が購買意欲を下げるのではないかという議論があり、結果として「ですのーと禁止令」案が提出されたが、賛成4、反対31で否決された[8]。
教育現場では、作文指導の副作用として「伸ばし棒を入れると上品になる」と誤解した児童が増え、の担任が一斉に赤ペンで訂正した時期がある。なお、この訂正痕を研究対象とする「赤線敬語論」はの周辺で小さな学際研究を生んだが、主流派からは長く相手にされなかった。
一方、近年ではSNSのプロフィール文において「ですのーと」が再発見され、自己演出の過剰さを逆手に取ったミームとして機能している。2021年の調査では、20代の認知率は41%であったが、意味を正確に説明できた者はそのうち6%にとどまった。
批判と論争[編集]
批判の中心は、第一に可読性の低さ、第二に文末記号としての正統性の欠如、第三に「上品さの記号化」が階層意識を助長する点にある。とくにの文芸批評誌『花街論叢』は、「ですの」ーとは感情の節度を装った誇張表現にすぎず、実際には話者の孤独を隠す装置であると論じた[9]。
また、1980年代の字体論争では、長音記号を「ー」ではなく「—」で置き換えるべきだとする急進派が現れ、校正現場が混乱した。これに対し、の非公式会合では、「横線が長すぎると威圧的である」との理由で原案が退けられたという。もっとも、この会合の議事録は後年にまとめられたもので、出席者の一人が自分の原稿欄外に勝手に書き足した可能性もある。
脚注[編集]
関連項目[編集]
脚注
- ^ 佐伯みどり『文末装飾記法の成立』青灯社, 1978.
- ^ Margaret H. Ellison, "Softened Assertions in Prewar Japanese Print", Journal of East Asian Script Studies, Vol. 12, No. 3, 1991, pp. 44-68.
- ^ 渡辺精一郎『表記の余白と感情』国文館, 1964.
- ^ 小松原雪枝『乙女雑誌と断定のゆらぎ』風信出版, 1986.
- ^ Harold J. Penrose, "The Long Mark as Social Tone", Typography Quarterly, Vol. 7, No. 1, 1974, pp. 5-29.
- ^ 暫定国語整理委員会編『表記統一案・補遺』内閣印刷局, 1949.
- ^ 高橋志乃『広告文における「ですの」ーと現象』南北書房, 2002.
- ^ Clara N. Wexler, "Courtesy Marks and Gendered Retail Speech", Comparative Sociolinguistics Review, Vol. 19, No. 2, 2008, pp. 113-139.
- ^ 花岡夏彦『赤線敬語論入門』学窓社, 1996.
- ^ 『現代装飾記号白書 1988年版』日本記号文化協会, 1988.
- ^ 市村久美子『ですのーと体の社会史』彩流社, 2015.
- ^ Eleanor P. Grant, "An Overlong Dash in Everyday Politeness", The Western Journal of Scriptology, Vol. 3, No. 4, 1969, pp. 201-219.
外部リンク
- 日本装飾表記史資料室
- 神田記号文化アーカイブ
- 乙女文苑デジタル復刻館
- 国立余白研究センター
- 東京校正史研究会